- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006003791
感想・レビュー・書評
-
ニヒリズムから出発する。
そう、その通りだ。その意味で、いま、哲学がほんとうに必要とされている。
うまいことを言ってくれたものだ。
どれほどの聖人であっても、ニヒリズム、虚しさを知らない人間を、私は信用しない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ぶねうま舎から出版されたものを新しく岩波で入れなおしたものである。いろいろなところからの論文や講演記録を集めたものなので、分かりやすいものから専門的なものまでさまざまである。哲学を初めて学ぶ人にはわかる講演の部分だけを読むのが望ましく、専門性を追求する人は、研究発表の論文の章を読むのが望ましい。
この本は、ある程度哲学に精通しており、永井均をずっと追って読んでいる人のためにはいい。
しかし、岩波現代文庫に入れて文庫化すして、一般に読んでもらうという目論見は外れているような気がする。 -
東2法経図・6F開架 B1/8-1/379/K
-
第1章。あまたいるヒトのなかで、なぜ己の意識が他の肉体ではなくこの肉体にあるのか、また悠久の時の中でなぜ己が「存在の祝祭」のうちにあるのか。そのように本書が立てる問いは、方法的懐疑または懐疑のための懐疑をつきつめていないようにも見える…が、そうではない。懐疑のなかで己をサスペンドし、改めて虚心坦懐に社会を見渡したとき、はじめて広がる景色なのではないだろうか。たとえ自分がいなくても、たとえ自分の意識が存在しなくても、きっと世界は存在するはずだという硬い直感をもつ境地に至るのならば。
第3章。ニヒリズムを語るくだりは勇気をもらった。確かにニヒリズムを土台としない人とは話がかみ合わないような感覚がある。ニヒリズムを前提として生きる者こそ、あらゆる価値の真の探求者となることができる。また、世界が表現する機微に心から感動することができる。これからは、その感覚に自信を持とう。「それは本当は、どうでもいいことなのではないか」と思いながら。
第4章。現代倫理学は仮言命法のため、倫理の基礎づけに葛藤をはらんでいるように見える。秋葉原事件や池田小事件は、法という罰でも倫理というツールでも防ぐことはできない。歴史的に倫理の根拠として定言命法の可能性が模索されてきた背景って、きっとこういうことなんだよなと思う。
第8章。私的言語論をめぐる野矢茂樹との対話。ネガな永井もポジな野矢もどちらもファンが多いので、ボーナストラックな感じ。 -
著者:永井 均
【版元】
本体1,280円+税
通し番号:学術379
刊行日:2018/03/16
9784006003791
A6 並製 カバー 320ページ 在庫あり
人生において考えることは闘うこと――哲学者・永井均の最新の思考過程がたどれる論文集.「自己」とは,「道徳」とは,そして「言語」とは何か? これまで著者が長年哲学のテーマとしてきた問題群が,人生相談,エッセイ,論文など様々な文章を通して浮び上がる.「常識」を突き崩し,真に考える力を養う永井哲学の集大成!
https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b352589.html
【目次】
0 人 生
■ 悩みのレッスン
Ⅰ 自 己
第1章 〈私〉が存在することの意味
1 〈私〉であるという,他の人間たちと違うあり方をした人間が存在する
2 問いの意味
3 〈私〉が複製された場合
4 〈私〉が分裂した場合
5 どういう場合に〈私〉は存在するのか
6 言葉で表現できない〈私〉と〈今〉
7 〈私〉の死によって失われる〈存在〉
第2章 自己という概念に含まれている矛盾
1 どういう問題か
2 他己もまた自己である
3 カントの「存在論的証明」批判と志向性の問題
4 マクタガートの時間論と反省的・再帰的自己意識の本質
5 自己もまた他己である
■ 自分とは何か――存在の孤独な祝祭
■〈今〉と〈私〉の謎
■翔太と由美の修学旅行
Ⅱ 倫理
第3章 ニヒリズムとしての哲学
1 根底のニヒリズム
2 善悪は生きる力を与えない
3 しょせん,すべては小さなこと? ――ニヒリズム的円環へ
4 哲学のニヒリズム
5 子どもの哲学的な問いについて
6 なぜ哲学を語るのか
第4章 馬鹿げたことは理にかなっている――社会問題を超える/の根底にある哲学的な問い
1 「罰する」ことの有効性/無効性
2 「罰する」という観念が作り出す/見失わせるもの
3 道徳の可能性/不可能性
4 問題の源泉へ
5 対立する二つのピクチャー
6 哲学とは何か
■「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いは哲学的な問いか
■ 主客逆転の問題からの再考
■ 道徳の腹話術
Ⅲ 存在
第5章 現実性について
1 現在(今)について
2 私について
3 現実について
4 結 語
第6章 なぜ世界は存在するのか――なぜわれわれはこの問いを問うことができないのか
1 ある対話
2 それは「私」でありえようか
3 「存在」は内容を規定する述語ではない
4 懐疑論と志向性――認識論的問題への反映
5 世界が存在しないことは可能か
■ 過去はどこに行っちゃったの?
■ 神様っているのかなあ?
Ⅳ 言語
第7章 語りえぬものを示す(1)――野矢茂樹『語りえぬものを語る』一八章における私的言語論の批判
1 「E」は意味と真偽を有する有用な公共言語であらざるをえない―― 一八章の本文における私的言語論の批判
2 血圧上昇感――註1について
3 「感覚E」と「体験E」――註2について
4 隣り合う各人(各時)の心
第8章 語りえぬものを示す(2)――時間を隔てた他者の可能性としての私的言語の可能性
1 問題の前提
2 私的言語は今秘性の不在をどう乗り越えるのか
3 「E」は書かれなければならない
4 噓がつけない言語としての私的言語へ
5 独我論の側から私的言語へ
6 結語
あとがき
岩波現代文庫版あとがき