- Amazon.co.jp ・本 (428ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022503237
感想・レビュー・書評
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ブグログのメンバーの方たちは、当然、読書好きのはずだが、読書好きの方の中には、とにかく「本そのもの」が好きという人も多いのではないかと思う。私がそうだ。本を「読む」ことももちろん好きなのだが、本、ことに「紙の本を見る、手に取る」ことが好きなのである。結果的に、自宅には、「積読」になっている本、入手したけれども、いつか読もうと思って、まだ読んでいない本が沢山ある。数えてみたら、約140冊あった。それに加えて、図書館から借りている本が、現在10冊程度ある。この本もそうだ。私の住んでいるあたりでは、近くの自治体が相互に市立図書館を利用できるように連携をしている。私は5つの市の図書館の利用カードを持っている。だから、現在は10冊の本を1つの図書館から借りているのだが、複数の図書館から借りている場合、それが20冊になったり、30冊になったりすることも多い。実際に借りたは良いが、そのまま「積読」となり、ページを開かないまま返却する本も多い。更に、実は一番好きなのは書店に行くこと。これだけの本が家にあるので、実際に本を購入することは、あまりないが、それでも、本が並んでいるのを見るだけで気分が良くなるので、週に一度くらいは書店に立ち寄る。
私と同じことをしている人は、ブグログメンバーの方の中には数多くいらっしゃるはずだと思う。
読もうと思う本の選択は、書店で見かけて、ということもあるが、それよりも多いのは、書評を読んで、である。そして、今回手に取ったのは、川上弘美書評集。これだけ「積読」本が多いのに、なぜ、書評を手に取って、読みたいと思う本を増やそうとするのか。冷静に考えると、我ながらおかしなことをやっているなぁと思う。でも、本そのものばかりではなく、「読みたいと思う本」が増えないことも寂しいのである。私はAmazonの欲しいものリスト(「あなたのリスト」)に読みたい本を登録しているが、「あなたのリスト」が最近増えないなぁと感じると寂しくなり、書評を手にすることが多い。
本書は、川上弘美の初の書評集である。川上弘美は、読売新聞と朝日新聞の書評委員を、都合10年くらい務めていた時に本書を発行している。あらためて自分が書いた書評を集めて読んでみての感想を、川上弘美は、「あとがき」に以下のように書いている。
「自分の書評のつたなさにも、驚いた。取り上げた本を読んでいない読者の方に、ほとんどわからないようなことを平気で書いていることにも驚いた。(中略)書評のつたなさについては、もう、いかんともしがたい。ことに書きはじめてから数年のものの、がちがちな感じ、説明不足な感じ、飛躍多すぎ、な感じ」
私自身は良い書評とは、その本を読みたくなるもの、と思う。上記の川上弘美の書いていることはその通りで、本書の最初の方(書きはじめ時代のもの)の書評は読みにくい。面白いかどうか書評情報からは判断するのが難しく、書評で取り上げられた本を読もうとする気持ちが起きないものが多かった。しかし、私は、本書を「あとがき」から読んでいたので、すなわち、最初の方の書評は面白くない可能性があることを知りながら読んでいたので、「そのうち、面白くなるだろう」とも考えて読み進めた。そうすると、途中から、本当に面白い書評が増えて、「この本は面白そうだ、読んでみたい」という本が目白押しになってきた。
ということで、Amazonの「あなたのリスト」に登録している本、要するに「読みたい本」のリストは大幅に増えてしまったのである。しばらくは、書評を読むことを自分で禁止する必要がありそうだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
川上弘美さんの初の書評集。その中身よりも、本の選定に癖がある。
小説は基本読まないので疎いのですが、その選ばれた人たち」を見れば知らない人ばかり、できるだけ参考にしてひろげてみようと気になる本を選んでみました。
【未読本】
『夜のある町で』荒川洋治
『マンガは哲学する』永井均
『本という不思議』長田弘
『夜のミッキー・マウス』谷川俊太郎
『老人のための残酷童話』倉橋由美子
『たましい話』池田澄子
『新さん』泉昌之
『ニッポン居酒屋放浪記』太田和彦
『枕草子REMIX』酒井順子
『わたし いる』佐野洋子
『男もの女もの』丸谷才一
『すいかの匂い』江國香織
『ユルスナールの靴』須賀敦子
【既読本】
『毎日新聞』佐藤雅彦
『博士の愛した数式』小川洋子
『家守綺譚』梨木香歩
『ねにもつタイプ』岸本佐知子
『坊ちゃんの時代』関川夏央・谷口ジロー
未読の本、今年中にちょぼちょぼと読み出します・・・・。 -
芥川賞作家の川上弘美さんによる書評集(新聞等掲載の115篇・文庫本、全集の解説文30篇)です。真摯な姿勢が窺える著者あとがきに、「自分の書評のつたなさに驚いた。取り上げた本を読んでいない読者の方に、ほとんど分からないようなことを平気で書いていることにも驚いた。・・・書評を行う時も、文庫本の解説をお引き受けする時も、心に決めていることがある。できうる限り、その作者の他の著書をあわせて読んでみて、そのうえで書評する、ということだ。・・・知って、好きになって、とてもいいと思うから、書評したくなるのだ」と。
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作家さんの書評集ってわたしはとても好き。
「集」だからその作品の発売日前後のじゃないし。
帯や広告が放つ営業っ気を嫌うわけじゃないけれど、そそられて読みたくなる以外の読みたくなる動機を作ってくれるからかも。
知ってはいるけれど、読みたくなかった本、
全く知らないけれど、読みたくなった本、
読みたくなかったけれど、読みたくなった本。
予想はしていたけれど、違う解釈の本。
読みたくなった本のタイトルと著者名を意地汚く、たくさんメモりました。 -
最近になって好きな作家の書評集を読むようになった。
その作家が好きだからといって、必ずしも本の趣味まで同じかというと結構違うってことを、理解できるようになったから。
分厚い本で肩が凝ったけど、川上さんらしい評論で時に読みやすく、時に読みづらかった。
いくつか読んでみたい本が見つかったので、満足。 -
2008.09.06. この本が、大好きな本になりそう。好きな作家の書評集を読むのはとても楽しいし、読みたい本がまた増えてうれしいしで、すごくお得。川上さんの独特な感覚で表された書評、いいなぁ。どの本も読んでみたい。
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川上弘美の書くものは何でも好きなのだけれど、特に書評には、はまる。本人があとがきでも書いているように、書評を読んでどんな本であるのかを知りたいと思うのであれば、別な書評子を当てにした方がよいが、川上弘美がどれだけこの本を、というかこの作者のことを気に入ったのかを知りたいのであれば(そして、その審美眼を羅針盤として頼り、出版物の大海原を旅したいと思うのであれば)、これ以上の読み物はないと思う。
読売の書評の後、朝日の書評を始めた頃、そろそろ誰かが彼女の書評をまとめて出版するだろうとのんきに構えていたが、いやはや随分と掛かりましたね。勿論全ての書評が取り上げられている訳ではなくて、記憶にある、あの書評やこの書評が編まれていないということはある。それは残念でもあるが、ぎりぎり文字を成すことを生業とする川上弘美の職業意識の表れなのかと思い納得もする。
とは言うものの、衝撃モノのマニル・スーリーの「ビシュヌの死」の書評なんて、川上弘美にしか書くことが許されないようなものだった、と自分の記憶はしつこく訴える。破天荒なところ、それも川上弘美の文字の世界のいいところで、まあ、それは敢えて書評の中にまで求めずともいいのではあるけれども。
こうして一冊に編まれた書評を改めて読んでみて思うのは、実は不思議なことに川上弘美が放っているオーラというか影響力の及ぶ空間が、意外に時間と密着しているものなのだな、ということだ。これは彼女の個々の文学作品を読んでいる時に感じる非具体性、没固有名詞性とは、全く逆な印象なので、とても意外。
翻ってみるに、例えば短篇であれば、雑誌に発表されたデザイン性の高い頁に置かれたものを読んでも、単行本の中の白黒の文字列を読んでも不思議と印象が変わらないのに、むしろともに文字の持つ情報を主とするはずの、新聞紙上に発表された書評とこうして集められたものを読んだ時に受ける印象の差が大きい。その差を単なる時代性という言葉で集約することは間違っていると思うけれど、何故かそれ以外の理由が思い浮かばない。
それにしても、朝日新聞社の英断には拍手。よりによって読売紙上に発表された書評も入れてくれちゃうとは!紙面を選ばず、それでいて発表する媒体によって微妙に立ち位置を動かす(と言っても、右足を少し外へ向けたりするくらいのことだけど)川上弘美の書評集を、画竜点睛を欠くことなく読めるのはすばらしいことです。 -
私の好きな作家が私の好きな作品を賞賛する幸せ。しかも当然のように私よりその作品の良いところを的確にうまく語るのがさらに嬉しい。その上まだ読んだことないものが大半なのでこれからの読書も楽しみになっちゃった。
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【請求記号】019.9||K
【資料ID】10703890