- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022510778
感想・レビュー・書評
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生きるために文章を書くしかなかった人と、死に直面して(あるいは自死の直前でも)文章を書くしかなかった人。
文字の連なりが尋ねてくるのは「あなたは誰に、なにを、どれほどの気持ちで伝えたいのか、問いかけたいのか」ということで、私はこれまで自分が書いてきたものを思い返して慄然とした。大げさでなく、もう書くなんて無理とも思った。
それでも重い筆を持ち上げて、一字一字をじっと書くこと、書きたいと願うことが唯一の方法。私が私自身へ覚える耐え難さや、他者の言葉から受けたダメージから脱するための。
本に載っているのは決して明るい文章ばかりではないのに、読んでいて安堵感があるのは、それに気づいたせいだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
私は文章を書くのが苦手だから。それを少しでも克服したいと手に取った一冊だった。ただ、その想いは読み始め10分で裏切られた。
この本は文章の実践的な書き方(構成の仕方、などなど)について説いていない。その本質について語っている。
普通のハウツー本では飽き足らない方にオススメ。 -
文章を書くノウハウ本というより、こういうのも文章だ、という見本市のような本だった。おばあさんが生まれて初めてかいた、誤字だらけの文章が強烈に胸に残った。文章はテクニックじゃないと教えてくれる。
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貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
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本書は一般的に言われる「文章が上手に書けるようになる本」とは少し違います。取り上げられている文章はあまり知られていないもの、一見しただけでは何が書かれているのかわからないものばかりなのです。それなのに、なぜか印象に残ってしまう、心に響いてくるから不思議です。上手な文章とはどういうものなのか?本書の中から心に響く文章を見つけてみてはいかがでしょうか?
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20140106
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著者が好きな文章たちを読者に紹介、どこがどういいかを解説してくれる。朝吹真理子さんの文章を、「わけがわからないもので一杯」な世界を文章自体に充満させた、という説は、ちょっと目から鱗だった。
「伝わる」事に重きをおくのか、まったく違う視点で書くのか。
作者いわく、必要なのは、(真剣に相手の)目を見ること、(落ち着いて、世界でなにが起こっているのかを)耳を澄まして聴くこと。だそう。個人的には、短い文章を書く難しさに思いを馳せる。なんとなく手に取ったけれど、面白かった。
それにしても、著者が親切すぎるくらい親切でやさしい。 -
高橋源一郎の文章教室。といっても美しい文章を書くための教室ではない。高橋サンの文芸評論ではいつも取上げられた文章が全然別のものに見えてくる。
例えば、この本で取上げられている印象的な文章は、小島信夫のボケ老人小説や木村センという遺書を書くためだけに文章を習って初めて書かれた文章。
どちらも高橋さんに取り上げられなけが出会ったとしても何じゃこれで終わる文章だ。
特に小島信夫の小説に対してはある種の希少性に対するレスペクトがある。「直し」が入っていない文章。これを「直接的」、子どもの言葉のように「直接的」だと言う。
高橋サンは死者およびいまだ生まれていない者への視線について言葉を重ねてきた。そして小島信夫の小説を、死んだ人間が書く小説と言う。これらの文章は逆に文章には相手があることを強く意識させるのである。
また労働について書かれた文章について、高橋サンの経験も交えて語ってくれる。次の「思い出しながら、書いた」の中に労働経験を通じて「出会った」文章もあるのだろう。
「ぼくは、ぼくがどうやって「文章」を書くようになったのかを思い出しながら、この本を書いた。ぼくは、たくさんの「文章」を読んだ。そして、いくつもの、素晴らしい「文章」たちに出会った。その「文章」たちは、ぼくを揺すぶり、時にはぼくを突き放し、でも、いつも必ず最後には、ぼくを優しく抱きしめてくれた。そして、気がついた時、ぼくは、ぼくの「文章」を手に入れていたのだった。」
自分も、素晴らしい文章に会ってきたんだろう。高橋サンの文章もその中のひとつだ。 -
おさらいその2
だけど、つまらなさすぎて挫折しました。
ジョブスの引用は面白かった。 -
この人の文章読本は、
何冊目なのだろう。
たくさん出している。
でも、
これは今までのものより、
ちょっと違う。
何が違うか。
生きる、ということが、
言葉とどう関係しているかが、
中心に書かれてある。
初級向けの文章引用はない。
老年になって、
はじめて読み書きを覚えた言葉で、
書く、「遺書」。
鶴見俊輔の少年時代の、
「校長先生」の短い言葉の意味。
何度、書くの? と思わせる、
小島信夫著「残光」の、
文章のこと。
「小島さんは判っていたのじゃないか、ぼけて<やっと書ける文>のことを」
と新たな、小島信夫論の進展。
高橋源一郎がずっと思考している証拠が、
この本にある。
持続して考え続ける、
ということ。
それも、自身が「偉い人になりつつあるまわりの雰囲気、イメージ」を拒むというか、通過する重要性のことを、
鶴見俊輔の「校長先生」の短い言葉から学んでいるように、
思えるのです。
後半の鶴見俊輔論は、面白くないけれど、
僕は好きだな、この作家は。
っていうか、みんなの文章教室で、
あれだけ鶴見俊輔のことを書くというのは、
まあおそらく僕の読みが、まだ浅いからだろうと思う。