- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022511737
作品紹介・あらすじ
性奴隷vs.売春婦、もはやこの議論は無意味か。対立する「記憶」の矛盾を突き、「帝国」と植民地の視点で見直す。「慰安婦問題」解決のため、"第三の道"を提案する、大佛論壇賞受賞者による渾身の日本版。
感想・レビュー・書評
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慰安婦、挺対協、アジア女性基金のそれぞれの経緯、画一的な善悪性ではなく、検証された歴史的な事実に基づき、問題の解決方法を提示しています。
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読むには気の重い本だと思いながら買ったが、読み始めると一気に最後まで読んでしまう、そんな迫力のある本である。慰安婦をめぐり、日本と韓国の間には、硬直した関係が続いている。韓国はこの問題を女性の人権の問題として国際社会に訴え、日本の一部の人たちは強制性はなかったとして、慰安婦問題自体をなかったかのように処理してしまおうとしている。ぼくは韓国の態度はやはりかたくなというか、本当に慰安婦のことを考えているのか、この問題を借りて日本たたきをしようとしているのではないかと思ってしまう。日本に謝罪を求める態度は、近頃はやりの土下座をさせずにはすまないという態度に通じるものがある。おそらく、謝罪は永遠に続くであろう。土下座は優越感を満足させるものでしかない。本書は、そんな両国間に横たわる硬直関係を、事実を提示することで、なんとか打破したいという気迫のこもる良著である。なにが問題か。残念なことだが、軍にとって慰安婦は必要不可欠なものであった。これはどこでもあることで、女性の人権という観点から言えば、米軍に対する韓国人慰安婦も、日中戦争期の米軍に対する中国人慰安婦もそこに入る。しかし、韓国が日本を非難するときに持ち出すのは、年端もいかぬ少女たちをむりやり連れて行って性奴隷にしたという点である。軍が慰安婦を必要としたことは事実であるし、軍の管理のもとにおかれていたのも事実だ。(慰安婦を連れて戦地を行軍もしている)しかし、少女たちを無理矢理連れていったり、暴力をふるったのはむしろその仲介をした朝鮮人業者たちではなかったかとパク・ユハさんは言う。彼らが貧しい親たちに甘言で少女たちを連れていったという方が事実らしい。もし、強制というものがあれば、その業者たちこそ非難されるべきであり、それは過去の朝鮮人みずからに批判を向けることでもあるが、慰安婦問題ではそこがすっぽり抜けていたという。もちろん、元を正せば、それは朝鮮を植民地にした日本帝国そのものの責任ではある。本書が「帝国の慰安婦」と称するゆえんだ。つまり、日本帝国の植民地であるがゆえの貧困、皇民意識等々が韓国の女たちを慰安婦にさせたと言えるのである。だから、一番悪いのは帝国であるが、そこにいた女たちの親、業者の朝鮮人たちに非がなかったかというとそうでない。そのことに対する反省なくして日本だけを責めることができるかというわけである。逆に、この問題を女性の人権問題だけに限ってしまうと、朝鮮での特殊性が消し去られてしまうのである。たとえば、韓国は中国と手を組んで日本を批判しようとするが、中国で日本軍が中国人を強姦したり、無理矢理慰安婦にしたのは犯罪行為である。オランダ人慰安婦の場合もそうだ。質が違う。20万という数も挺身隊の数としては合うが、挺身隊に行かされた(あるいは自ら行った)少女たちがすべて慰安婦になったわけではない。しかも、慰安婦になったものは、そのほとんどが20歳を越えており、15歳などという年齢にあるものはごく例外だという。日本大使館やアメリカにおかれた慰安婦像は身なりのいい女子学生であるが、そういう子たちは挺身隊へ行き、ときに慰安婦にさせられることはあっても、最初から慰安婦として連れていかれたのではない。最初から慰安婦としてだまされ連れていかれたのはもっと貧乏な子たちであった。したがって、こうした特殊なケースを従軍慰安婦の典型とし、日本を批判し、世界に訴えていくことは、時に兵隊たちとともに戦おうとした慰安婦や、兵隊たちを愛した慰安婦たちの存在を忘れ、彼女たちを政治的に利用するものでしかない。朝鮮における慰安婦の特殊性はまさに日本帝国とその植民地という構造が生み出したものであり、日本人はもちろん、朝鮮人もそのことを直視せず、その構造を抜きに慰安婦問題を論じることはできない、パク・ユハさんはそう訴える。日韓条約締結の際、日本が個人保証の可能性を提起したにもかかわらず、韓国政府は経済援助を優先させ、その提案を断っているのだそうだ。日本がこの問題は法律上終わっているというのには理がある。だから、アジア女性基金が名目上民間の名の下でやったのは仕方なかったし、実際のところ、そこには政府がかなりかかわっていたのである。それを拒否したのは、本当に助けるべきはだれかを忘れた行為ではなかったろうか。
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ずっと読もうと思っていたのだが、韓国で慰安婦の人から(著者によると支援団体から)名誉毀損等で訴えられてるとなんとなく知り、どういうことなのかと思ってますます読めなくなった。
手強そうなので、まず90分の高橋源一郎さんの講義、続いて90分著者と高橋さんの対談(「飛ぶ教室」のイベント)をYouTubeで見る。ついに読もうと思ったのはこの「飛ぶ教室」の課題の本として取り上げられたからなのだった。著者のお話を聞いた時点で、名誉毀損で訴えられた理由もわかった。韓国や慰安婦の支援団体にとっては、認められない内容だからである。しかし、慰安婦の名誉を少しも棄損してないことは読めばわかる。
「公的記憶」という言葉を初めて知ったのだが、それは必ずしも事実ではないのである。「公的記憶」に合わない事実は削除されていくという。
この本を読んだことと講義を聞いたことで、ますます自分の中の慰安婦に対する考えが複雑になった。
もともと単純だとは思ってはいないのだが、今から思うと一面的であったような気がする。
慰安婦と言っても一色ではない、個人個人色々なパターンがあるということは、忘れがちなことだった。
まだまだ理解が足りない。
できるだけたくさんのことを知る、ということが大切ということをおっしゃってたので、知り続ける努力をしていきたい。 -
慰安婦問題で、挺身隊と慰安婦と分けながら、慰安婦とした業者の問題を中心に説明している。
日本の軍隊の問題については前提としてあまり説明されていないので、軍隊と慰安婦については他の本で予備知識を得てもいいかもしれない。
単純な解決法はないという主張。 -
映画「主戦場」にも登場
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事実認定を細かくしている良書であるが、本国で焚書扱いされているのが残念!朝日新聞出版が出しているのは驚いたが親会社の朝日新聞は、もっと自らの誤りを世界に発信しなければならない!
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一度は読んでおこうと手に取ったところ、読むほどに引き込まれ、また自分の持つ「正しさ」の基準が揺らぐのを感じた。自らの強い政治的主張を前提としたような本であれば冷笑もできるのに。
物理的な強制連行か、無垢な少女か売春婦かという議論は重要ではない、という筆者の指摘に色々考えてしまった。国家としての謝罪や合意にはどこかで線引きが必要だとしても。
「軍人の強制連行」はなかった、慰安婦と兵士の疑似家族・同志的関係、韓国の米軍基地村、こういった記述は筆者の言う「否定派」を喜ばせるかもしれない。自分自身、極限的状況下で韓国人慰安婦の命を救おうとした軍や日本人慰安婦の記述の中に人間性を感じてほっとした。しかし、筆者の主張の根幹は、強制性を「直接的」と「構造的」に区分した上で、前者の強制は業者であったとしても、後者の強制、言い換えれば植民地かつ女性であるという二重の搾取の原因は日本という帝国にあるというものだ。
同様に筆者は挺対協を中心とする「支援派」も批判する。「無垢な少女が連れ去られた」という「公的記憶」に当てはめて純化してしまった、というものだ。筆者が引用する多くの慰安婦の証言は90年代に韓国で出版されたものなのだが、「支援派」は自分の活動に合致する部分のみ抜き出して利用している、ということだろうか。
末尾で筆者は、解決に向けて、日韓両政府が国民協議体を作り期間を決めて対話を始める、日韓のマスコミはこの20年の誤解を正し相互理解を深められるような記事を書くべき、と提案する。だが現実には、ここまで本問題がこじれてしまってはもはや難しいように思える。