- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022518163
作品紹介・あらすじ
小説講座の人気講師がセクハラで告発された。桐野夏生さん激賞「この痛みは屈辱を伴っているから、 いつまでも癒えることはないのだ」 * * *皮を剥がされた体と心は未だに血を流している。動物病院の看護師で、物を書くことが好きな九重咲歩は、小説講座の人気講師・月島光一から才能の萌芽を認められ、教室内で特別扱いされていた。しかし月島による咲歩への執着はエスカレートし、肉体関係を迫るほどにまで歪んでいく--。7年後、何人もの受講生を作家デビューさせた月島は教え子たちから慕われ、マスコミからも注目を浴びはじめるなか、咲歩はみずからの性被害を告発する決意をする。なぜセクハラは起きたのか? 家族たちは事件をいかに受け止めるのか? 被害者の傷は癒えることがあるのか? 被害者と加害者、その家族、受講者たち、さらにはメディア、SNSを巻き込みながら、性被害をめぐる当事者たちの生々しい感情と、ハラスメントが醸成される空気を重層的に活写する、著者の新たな代表作
感想・レビュー・書評
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ハラスメントのこと。
セクシャルハラスメントは、誰にも言えない、言いにくいことだろう。
だが、心にも身体にも苦痛をもたらすものであり、吐き出さない限り、ずっとしこりとなって残ってしまう。
相手にとっては、たががそれくらい…
拒否しなかっただろう…と気にもとめていない。
言わない限り、訴えない限り知ることはないのだ。
そして、知らないってことはまた同じことを繰り返して被害者を増やしていく。
辛いけど告発しなければ、明るい一歩を踏み出せないと知らされた。
度肝を抜くようなタイトルだが、深い意味があった。
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作家志望だった咲歩は書くことが好きだった。赤いノートに日記を書き、小説講座にもかつて通い、小さな賞の候補になるほどだった。しかし、7年前、人気講師の月島に追い詰められて性的関係を強要されたことが今でも忘れられず…
「生皮」という題名と表紙の女の子に絵のイメージから、殴られるイメージだったら嫌だなと思いながら読んだところ、殴られることはありませんでしたが、やはり最初から苦しい心の内が書かれていました。
咲歩、月島、文章教室の受講者たちなど、様々な立場から様々な考え方があって、咲歩の味方になる人もいれば、攻撃する人もたくさんいます。
どうしたらいいのかわからない夫の「本当なのか、あれ、全部」には、読んでいてやりきれない気持ちになりました。
苦しさを受け入れて生きていこうとする女性たちにエールを送りたくなります。
ご両親とクレープを食べるところも、最後の終わり方もとって好きでした。 -
「彼がしたことは、私の皮を剥ぐことでした。…私は彼に生皮を剥がされた。…無理矢理に。その皮はいまだ再生されていません。皮を剥がされた体と心は未だに血を流しています。」
「あるセクシャルハラスメントの光景」という副題を見てルポだと思って読んでみたら、柴田咲歩という女性が七年前受けたセクハラ(ほとんど「性犯罪」と言ってもいい内容だったが…)の告発とその出来事を中心に、老若男女問わず、様々な人の、社会の視点からセクハラへの認識と、どうしてセクハラが発生してしまうのかを驚くほどリアルに描いた小説だった。
とても難しい、描きにくい問題を見事に描き切っていた。
視点や切り口が若々しいというか瑞々しさが感じられたので、作風的にてっきり2,30代の方が書かれたのかと思ったら60代のベテラン作家さんによるもので驚いた。なんで今までこの方の著作読んだことなかったんだ…。
セクハラ被害者咲歩と、加害者であり、咲歩が被害当時通っていたカルチャーセンターの小説講座の人気講師である月島光一を中心に、咲歩の夫・俊や、月島の妻・娘、月島の講座を受けていた年配の女性、他にも過去に月島から性被害を受けた有名女性作家、咲歩の告発したセクハラからの余波でセクハラ特集が取り上げられ、そのうちの一つである俳句講座で俳人先生のハーレムに属している女性視点、これらの事件とは一切関係ないけど#被害者はむしろ男などのワードでネットで咲歩(被害者)を非難する男視点…
実に様々な人間の目線から描かれるセクシャルハラスメント像。
異様に思っていながら止められなかったと冷静に自省する男性がいるかと思えば、月島に惚れ込み、月島がそんなことをするはずがないと咲歩の方を糾弾する年配女性がいて、自分が被害を受けているはずがないと苦しむあまりセクハラがあったことを否定してしまう女性がいたり。
どの登場人物に感情移入するか、いろんな意味で本当に人によって分かれそうですね…
それだけ「性的な行為」というものは、様々な感情が突き動かされ、誰も無視できないものであるのでしょう。
最初から性別を与えられ生まれてきたこの世の人間たちは等しく性やセクハラの当事者にならざるを得ないから。
咲歩や有名女性作家が受けた被害は、セクハラではなく完全に性犯罪だと思われるが、それ以外の様々なセクハラ問題も取り上げており、「セクハラ」と呼ばれる多くの事案や光景を取り上げたかったから、「ある性犯罪の光景」とはしなかったのかなぁと思った。
セクハラというものは扱う範囲がとても難しい。
咲歩の例は、月島の講座内の雰囲気がすでに月島の言うことは絶対という洗脳の効果を持っている・被害者が神のように思っている講師が加害者であるところがキーだなぁと。
ちょっと話が逸れるけど、DVのうちの一つである性暴力や、実親や兄弟・親類から受ける性被害なども、今回の咲歩の例と性質として似ている部分があると思った。
親や信頼している年上の親しい人・恋人は、子どもの頃は特に神と感じる部分があるから。
咲歩は被害を受けた当時すでに成人しているが、やはり神すなわち親のように思っている相手からまさかセックスを強要されるわけがないと信じたくなるのは当然の心理だろう…と思われた。
読みながら、あーこの調子じゃいろいろとどうしようもないなぁーと思うところはありつつも、ラスト咲歩の未来に希望が見えたのがせめてもの救いです。
改めてシンプルながら内容を端的に表しているいいタイトルだと思った。
表紙の女性が鼻血を出している理由について考えたが、感想冒頭に引用させていただいた「皮を剥がされた体と心は未だに血を流しています。」という本文中の言葉を受け取って描かれたとすると、全身血だらけの女性を描くわけにはいかないから(下手するとホラーになってしまいそう)、表現を鼻血に留めるに至ったのではないか、性犯罪は暴力であるというメッセージ性を含んでいるのではないか、というのが勝手な解釈。 -
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加害の心理に物語で迫る セクハラが題材 『生皮』刊行の井上荒野さん 許容する「空気」変えたい:東京新聞 TOKYO Web
https:/...加害の心理に物語で迫る セクハラが題材 『生皮』刊行の井上荒野さん 許容する「空気」変えたい:東京新聞 TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/180358?rct=book2022/05/30 -
【書評】『生皮』性暴力やパワハラは瞬時に起きるものではない|NEWSポストセブン
https://www.news-postseven.c...【書評】『生皮』性暴力やパワハラは瞬時に起きるものではない|NEWSポストセブン
https://www.news-postseven.com/archives/20220527_1756563.html?DETAIL2022/05/30 -
「セクハラをする人、された人の謎を書きたいと思った」井上荒野の新刊『生皮』〈週刊朝日〉 | AERA dot. (アエラドット)
http...「セクハラをする人、された人の謎を書きたいと思った」井上荒野の新刊『生皮』〈週刊朝日〉 | AERA dot. (アエラドット)
https://dot.asahi.com/wa/2022061500030.html2022/06/17
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生皮、というタイトルがもう痛い。血が流れ続けている感じ。生皮を剥がされたらそれは死にかけるだろう。セクハラという言葉はマイルドだと感じられる。この物語はある男の犯罪行為の発端と結末の話だと思う。
自分が何をしたかということを全く理解できないこのカリスマ講師のような男性は実際まだ世の中にはいるんだろうなと思ってしまう。
そしてそういう扱いをされることを、優遇や恋愛だと勘違いして庇ったり味方になってしまう気づいていない女性もいるんだろうなと思う。
昨年読んだ「キャッチアンドキル」(ある大物プロデューサーによる女優に対する性被害ドキュメント。その件を調べていた本書の著者も圧力を受けて職を喪いつつも真実追求を諦めず本書を出版。こちらはドキュメントなのでまた重みが違います。お薦めします。)を思い出した。「気づいてきた」人は多くなってきたけれどまだ狭い世界では根が深いのでは、とも思う。
こういう小説が出てくるのは時代よね、とも思います。 -
※
尊敬していた人からの思いもよらない行為
から起きたことが受け入れられず、
混乱し打ちのめされた心と体は機能を止め
正常な判断力を失ってしまう。
どれだけ自分を騙しても無理に剥ぎ取られた
生皮から流れる血は容易には止まらず、何度も
かさぶたを剥がしてはその痛みに耐える日々。
嫌だと言えないことを強要されてできた傷、
癒えることのない生々しい傷跡の物語。
ーーーーー
セクシャルハラスメントに晒させた人物が
何人か同時します。
人により傷の隠し方や誤魔化し方が違うけれど、
自分自身を守るために感情をすり替えるところは
痛々しくて胸が詰まります。
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7年前の小説講座で受けたセクハラ被害を告発する女性、そしてそれを社会が、つまるところ私たちがどう取り扱うかを問う小説。
当事者、あるいは第三者の視点を入れ替えながら話がすすんでいくため、それぞれの考えや認識の差異をみせつけられて、良い意味で愕然としながら読んだ。
展開がすごく気になって、ページをめくる手が止まらずあっというまに読了。
それにしても、似たようなニュースを最近聞いたばかりだぞ。次々と告発された、映画界の有名監督やベテラン俳優による腐り切った性加害。
『みんなやってる』『仕事をあげるよ』そういう言葉で洗脳されて断れずに追い込まれていく女性たちが山ほどいるのだ。
なんで何年も経ってからとか、その時は受け入れたくせにとか、被害女性に対する想像力を欠いた批判は甚だ見当違いで、問題は全くもってそういうことじゃないんだよ。
「彼が何のためにそうしたかとは無関係に、彼がしたことは略奪です。暴力です。彼は私の皮を剥いだ。無理矢理に。その皮はいまだ再生されていません。皮を剥がされた体と心は未だに血を流しています。ヒリヒリと痛いです。どうにかしようとして、上から何か被っても、その下でずっと血が流れているんです。今もそうです。」
生皮、というのはとても的確なたとえだと思う。
剥がされたそこは、再生せずずっと消えずに残り続けてしまう。
現実でも、ベテラン俳優からの性加害を告発した女性のインタビュー記事の最後に、”なんで役者として演技をしたいだけなのに、いつも性行為の話が出てくるんだろうって……。”と結ばれていたのが脳裏に浮かんだ。
本当そうだよ……。なんでそんなことで女性が頭を悩ませて自分の身を守るために警戒し配慮しなきゃいけないのか、これは心の底から不可思議で理不尽で許せないこと。女性はもっと怒っていい。-
つづきさん、こんばんわ。
つづきさんの感想、すごく響きました。この本、読んでみようと思います。
でもほんと、女性はもっと怒っていい。つづきさん、こんばんわ。
つづきさんの感想、すごく響きました。この本、読んでみようと思います。
でもほんと、女性はもっと怒っていい。2022/05/04 -
raindropsさん
コメント嬉しいです♪
あまりにもタイムリーな題材だったので、現実とリンクさせながら私も興味深く読みました。
男性に...raindropsさん
コメント嬉しいです♪
あまりにもタイムリーな題材だったので、現実とリンクさせながら私も興味深く読みました。
男性にもぜひ読んでもらいたい一冊です!2022/05/04
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どこまでが酔った勢いなのか、はたまたハラスメントなのか、難しい。
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面白かった。久々一気読み。
賛否分かれる「セクハラ」ものを井上荒野さん流の渇いた筆で一つの作品に仕上げた印象。
挿画はもう少し抽象度を上げたものにしてほしかったので残念。
5章からなり、現代から過去経由でまた現代に戻る展開。登場人物たちがどう関わり、その時にどう感じ、どのような判断や行動を選択したのかということに焦点が当てられ、善悪の価値判断は極力排して描かれている。
一義的な善悪の価値で階級闘争に終始し、文芸ではなく「ノンフィクション+α」に留まる姫野カオルコ氏の作品とは読後充足感が異なった。
同じ場に居ながら、それぞれ見えていたもの、感じたことが異なるということが浮き彫りになる。それは夫婦でも、親子でも日常的に感じること。
「同じであること」に過剰に価値を置かれ、安泰を感じる風潮には疑問を禁じ得ない。
作中、様々な立場の登場人物たちがそれぞれの枠組みで事柄を咀嚼する様が興味深い。
セクハラ、パワハラ騒動では、「これぐらいは誰にでも起こること」「嫌だったら嫌と言えばいいじゃない?」の声が沸き起こる。
こうした批判に対して、「可哀想な人」を攻撃するなんてという闘争は平行線に思えてならない。どっちもどっち。
嫌なことを嫌と感じずに、言えずに成育した人間にとっては嫌なことを嫌と認知する環境の変化が必要。安心して自らの嫌悪や恐怖を明かせる人の存在。
自分が嫌と言えても、言えない人がいることへの想像は不可欠だと思う。
畑野智美さん作『消えない月』のストーカー被害を受けた女性を思い出した。
主人公咲歩の成育歴に言及がないが、自分の感覚を抑圧してきたのだろうと察する。
彼女の認知の枠組みには、「女性」が自己抑制的かつ従属的であることへの大きな価値があるように受け止めた。積年無意識に刷り込まれた「女性」の価値観が彼女の判断や認知に大きな影響を与えていると思う。
今もなおテレビでは、男女の役割に関するメタメッセージが変わることなく流布されている。
男性がスーツにネクタイでメイン司会、女性がふんわりカジュアルな衣装でサブはよくある光景。
女性アナウンサーやアスリートがやたらと「笑顔」を強調されるのも違和感。
笑顔で控えめで可愛らしく、気の利く女性こそお手本的な。
SDGSを訴えながら、実は固定化したジェンダー観を未だに流布しているのはメディアだよなあと。
加害者VS被害者論争に終始しても落としどころが見つからず剥き出しの攻撃性は世間を摩耗させていく。
むしろ意識外の領域で日常的に性別的役割を限定するメタメッセージにさらされていることにもう少し目を向け、「noをno」として怖がらずに環境で言える風土が老若男女問わず醸造されるといいのにな。
などと思考が止まらなくなるほど、面白い1冊でした。