夜は暗くてはいけないか: 暗さの文化論 (朝日選書 600)

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022597007

作品紹介・あらすじ

「明るい」ことはよいことか?より人間らしい思考・生活のできる明るさ、暗さとは?日本と北ヨーロッパの芸術作品や現存する建築物の比較、ビルと照明の歴史などを通して提唱する暗さの再評価論。

感想・レビュー・書評

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  • 夜が明るくなって、人間の活動時間は大幅にのびたけど、その分考えることが少なくなってるんだって。ちょっと分かる。
    ジャンルは全然違うけど、「極夜行」(角幡唯介)の人とかめっっちゃ考えてたもん。
    あれ暗かったからなんだね。

    それ以外にも、日本とロンドンの日照時間の違いとか、共産党の国における電飾看板の規制とか、興味深い記述もあり。

  •  ロンドンの冬で、一つ忘れてはならないものに霧がある。霧が冬の空の暗さを増幅している。ロンドンの霧はだれでも知っているし、最初はディケンズがいったという「ロンドン名物」も俗になりすぎたが、霧は空の暗さを語るときには欠かせない。(p.16)

     われわれの祖先は、ガス灯の明るさに目つぶしをくらい、ガス灯が、さらに煉瓦造ビルを含む他の多くの文物もだが、ヨーロッパの暗い空の下で生まれたことを見落とした。それらが、くらい国々独特の暗さと分かちがたくむすびついていることに、考えおよばなかった。くらい空の影響を間接的に受けながら、それを意識しなかったところに、問題がある。黒ずんだ煉瓦造ビルが日本に根づくまえに、対象時代の白い大きなビルが優勢になってしまったのは、時代の変化が速かったからというだけではない。高度経済成長期以来の日本が、都市といわず建築といわず、こうも明るくなったのも、時代の潮流に乗ったからというだけではない。それもこれも、理由の一半は、暗さを理解することなく出発した文明開化に求められるのではないか。(p.21)

     谷崎は、わずかな燭台の灯で照らされた大広間の暗さが、小座敷の暗さとは濃さがちがう、ということをいっている。ちょうど大広間へ「這入って行った時、眉を落としてお歯黒を附けている年増の仲居が、大きな衝立の前に蠟燭を据えて畏まっていたが、畳二畳ばかりの明るい世界を限っているその衝立の後方には、天井から落ちかかりそうな、高い、濃い、唯一と色の闇が垂れていて、覚束ない蠟燭の灯がその厚みを穿つことは出来ずに、黒いかべに行き交ったように撥ね返されているのであった。諸君はこういう『灯に照らされた闇』の色を見たことがあるか。」(pp.28-29)

     夜の暗い景色は事実青いということ。夜の街を歩くと、一口に黒いといっても、そこにはさまざまな黒さがあるのがわかる。建物や路面などの近景は、光があれば黄色みをおびるし、光から遠いところは茶色みがかった、やや暖かみのある黒である。しかし、神社や公園の遠い樹木などはちがった見え方をする。樹木も表面の光が当たるところは、黄緑っぽく見えるが、奥の方の茂みや根元など光のとどかない部分には、真の黒もあるが、ときに青の混入しているのを感じることがある。そのような青黒さは、さらに遠くの森や山などでは、もっと明瞭になる。それから空も、低い雲は白みや黄みをおびるが、光のとどかない高い雲や星空は青黒く見える。(pp.52-53)

     暗くて、身体の動きも少ないが、しかし眠くならないときがある。人間がものを考えるのはそういうときだ。外界の刺激は、光にかぎらず五感のすべてで最小になっていて、眼には、黒く、ぼんやりした、ときには青みがかった映像が映っている。思考は内へ向かわざるをえない。哲学はおそらくそういう状況からはじまったのではないか。
     暗さの中で、太鼓の人間は悩み、不安、恐怖などを知ったであろうし、はたまた、死とか、終末とか、来世に思いいたったろう。そこから宗教が生まれるまであと一歩だった。(p.54)

     夏のゆっくりくれる黄昏はだいじなポイントである。日の非常に短かった冬至以来、じわじわとおそくなってきた日没、じわじわと長くなってきた薄明などの記憶を基準にして、彼らは夏の黄昏をたっぷりと味わう。日本だと夏冬の差が少なくて、夏の黄昏にそれだけの味が出ない。日本からの旅行者がロンドンの夏の黄昏に接しても、彼の基準はせいぜい出発まえの日本の夏でしかない。彼はロンドンの日の長さに感心はするだろうが、現地の人ほどにその日の長さを味わう準備に時間をかけていない。旅行者の限界である。(p.67)

     日本における、夏冬の日の長さのちがいなど、ヨーロッパ人から見れば、無視できる程度なのだ。ことに、光の明るさとなると、ほんとうに夏と冬で差がない。とくに、本州の太平洋側地域では、快晴日は夏より冬の方が多い。したがって、冬の空は、太陽は低くとも、太陽の出現率の大きい空、つまり、夏に劣らない明るい空なのである。つまるところ、光はわれわれの関心事になりえない。
     しかし、気候となると話はまったく変わる。すでに述べたように、日本の気候は温度―湿度の変化範囲が広い。われわれは、はっきりした季節の区別と、それに対応した衣や食をもち、不十分ながら住もなんとかこなしている。(p.71)

     石の上の地上部分には、もちろん光が入るが、その家は一方では光の射すことのない地下にも通じている。現代では、石の家とはいえ、地上波開放的になりすぎてしまったが、地下にはまだ究極の石の家と称するに値する閉ざされた空間が脈々と生きている。地下ワイン庫はその例だ。ワイン庫ひとつにも伝統があることが見落とせない。「ゲーテの生家の地下室」にかぎらず、中世以来ワイン庫が建てつづけられていたからこそ、現代住宅におけるたくさんの地下ワイン庫の存在にも、石の家としての正統性が認められるのである。(p.101)

     第二次大戦後、蛍光灯が市場に出まわりだしたとき、普及のスピードもすごかった。それは統計数字の上にも、はっきり現れているのだが、私は、昭和20年代の後半、夜の町を歩いていて、住宅も商店も、それまでの黄色い光が、短期間のあいだに白い光に変わって行った情報を今もありありと思い出す。当時の日本人はめったに外国に行けなかったから、なにもわからなかったが、蛍光灯の普及がこれほど速かった国は世界にない。ヨーロッパやアメリカの住宅では、蛍光灯は拒絶されたし、今日にいたっても普及はじつにゆっくりしている。(p.156)

     人は夜おそくライトの消えた本物を鑑賞することができる。真夜中、古い町を散歩すると、教会の塔の黒さがこわいように迫ってくる。そうだ、中世はこうだったのだ。そんなとき、塔を照らすことのおろかさにふと気がつく。生活者としては、もともと投光照明などありがたくないのである。(p.171)

     星を見るという目的にかぎっていえば、眼の感度の下限は、今よりもずっと暗かったころの夜にぴったりだった。現代ではどうも星がよく見えなくて欲求不満になるが、われわれはもって生まれた眼の感度を変えることはできない。日本人が昔のように星空を堪能するためには、明るくなりすぎた今の空を、明治維新ころの暗さにまで回復させるしかないのである。
     夜は暗くてはいけないか、と問われると、だれでも一瞬動揺するだろう。なるほど都会の夜が明るいのは楽しく便利だが、暗い夜もあっていいはずだ、暗い夜には現代人が捨て去っただいじなものがありそうだ、と直感的にわかるからである。(p.183)

     都市内の高速道路も、無個性、無地域性ということでは引けをとらない。そして、高速道路で箱形ビルよりひどいのは、その足元や周辺に非常にいやな暗部をもたらすことだ。前世紀までの都市には、こんな暗部はなかった。いや、もっと正確にいえば、暗いから不快なのではない。醜悪な異物や、町の中に割りこんで居すわったから不快が形成されたのである。古い石造建築の一階部分に彫りぬかれた歩行者通路などは、暗いけれども、ちっとも不快をあたえないではないか。(p.191)

  • タイトルから分からないが建築の本

  • カテゴリ:図書館企画展示
    2013年度第1回図書館企画展示
    「大学生に読んでほしい本」第1弾!

    入学&進級を祝し、本学教員から本学学生に「是非読んでもらいたい本」の推薦に係る展示です。

    西原直枝講師(教育学科)からのおすすめ図書を展示しました。
        
    開催期間:2013年4月8日(月) ~2013年6月17日(月)【終了しました】
    開催場所:図書館第1ゲート入口すぐ、雑誌閲覧室前の展示スペース

    大学院修士課程の頃に出会った本です。建築物、照明、芸術作品などを例とし、日本とヨーロッパを比較しながら、人間らしい思考や生活に適した光・視環境について論じています。私が学生の頃、様々な場面において明るいものが良い、というような風潮があった中で、この本に出会い、光と陰、明るさと暗さの両方の美しさに触れ、少しほっとしたことを思い出します。谷崎潤一郎『陰翳礼讃』をあわせて読むとより楽しめます。

  • この本が、ブリューゲル「雪中の狩人たち」から
    始まらなかったら、手に取らなかっただろうな
    本の印象って不思議です

    谷崎の陰影礼賛って、面白いな~
    暗いことが味わいがあるっていうか(^_^)
    作者の言う、畳のことも
    日本人ながら気がつかなかった
    畳は、明るくて下から上へ溢れ出る
    普通は、上から下だもんね

    日本は夏と冬は、寒暑の違いがある
    ロンドンは、昼間の長さが違う
    過ごしてみないとわからないよね
    黄昏の時間が長いんだよね
    自分が、夏至のころにドイツに行った時は
    10時ごろまで明るかったっけ

    ロマネスク教会のところでは
    暗さを★でランキング
    なんか、マニアックで笑っちゃう(^_^);
    日本のお寺のほうが明るいなんて意外
    すぐ、室内に入るから、
    目が慣れないせいもあるんだけど

    オフィスの不均一照明もいいよね
    実際、こういうのって目が疲れたりしないのかな?

    次は、LEDの時代だね
    作者は、どんな考察をしてるかな

  • 北欧の照明文化と日本の照明文化の違いや、西洋人と日本人の虹彩の違いが照明や日射に対する眩しさ感覚の違いを理解できた。

  • 西欧と日本での光に対する感性の違いから、その文化の違いを論じていく本。

    途中で頓挫、最後まで読めませんでした。

    内容は難しくないのですが、どうも筋道立てて物事を説明するのが作者は苦手なようです。文章の前後関係で矛盾とまではいかなくてもつながりがおかしい部分がかなりあり、読んでいて疲れます。

    暗さの文化論という着眼点は悪くはないですが、それを論じ切るだけのしっかりした文章を書いてほしかったです。

    二度と読まないでしょうから、読み終わったとしておきます。

  • この本を知ったきっかけは,東日本大震災後に読んでいた本で,節電の影響で夜が暗くなった,というようなくだりで,いや,いままでの日本の夜は明るすぎたのだ,という文脈で紹介されていたように思う。
    建築,照明の専門家である著者は,アルプス以北のヨーロッパを例として,照明の歴史=いいかえれば,いかにヨーロッパは暗かったか,ということを述べていく。暗さは人を思考にいざなう,というように,暗さの効用を指摘する。
    私自身,ヨーロッパの夜の街を歩いたことがあるが,現在の日本の都市の夜の明るさはちょうどそれと同じ程度である。
    間接照明のよさ,谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』への言及(私もこの随筆は高校時代に読んで大好きだ)など,豊富な話題によって,暗さの効用について考えさせてくれる。

  • 絵や建築を用いて、明るさと暗さに関して現代の明るすぎたのではないかという照明の話と、昔のヨーロッパにおける採光の重要性などに関する話。
    確かにヨーロッパ地域に行ったときに夜遅くまで明るいなあというのと、朝暗いなあという感想があったことの裏づけが取れた感じです。
    地震後にそこまで明るくなくてもいいのではないかという感じがしたので、タイトルに惹かれました。

  • 夜の暗さを楽しみたいタイプです。だんだん暗くなっていくのを、照明を灯さずに眺め味わいたいと思っています。
    著者は建築家らしいので、内容も建築寄りと思われますが、題名に惹かれて。

    目次は以下の通り。

    1 暗さのもたらすもの
      鉛色の空
      『陰翳礼讃』再読
      暗いことの意味
    2 暗さをたずねて
      光の文化
      石の家
      ロマネスク教会の光と陰
    3 現代に暗さをつくる
      照明の変遷
      夜は暗くてはいけないか
      オフィスビルの採光と照明
      不均一照明のすすめ

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