- Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022606228
作品紹介・あらすじ
アイヌ文化の精華を伝え民族の魂を守る男の自伝。
感想・レビュー・書評
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繰り返しているだけだ。
文明も、民族も、文化も、社会も。一番無造作で、一番節操のないものが、図々しく蔓延っていく。それがこの人間の作る世界。
そいつは、定まっていないのだ。分かっていないのだ。己というものがどんな姿をしているのかということを。自らというものが見えていない。これっぽっちも分からない。分かろうともしていないのだ。
自らも定まらないものが、その自らを抑制することなんてできない。どうなりたいのか、どうしたいのか、どういう姿でいたいのか。思うこともなく、考えることもなく、ただ状況に飲み込まれていくだけ。空気に動かされていくだけ。それが、この世界に変わらずあり続ける、一番強大なエネルギー。
アイヌという世界に、文化にずかずかと踏み入っていくことも同じだ。
アイヌを旧土人と表すことも同じだ。
旧土人保護法なんてものを「与え」てあげることも、すべては同じことだ。
定まっているということは、留まるということと同じだ。止まることができということと同じ意味だ。
どこに線を引くか。どこで立ち止まるか。ふとすれば、ただただ溢れ出し、漏れ出し、抵抗なく広がっていくだけの「自分」を、どこで止めようとするのか。その区別ともいえる意思があって初めて、「自分」と「それ以外」の存在が立ち上がるのだ。
それができない。
できないよりも、しよとしない。きっと、たぶんしたくもないのだ。
アイヌに起きたことだけではない。歴史を見てみれば、そんなことはまるで普通のように溢れていて、そんなことばかりしかないのがこの世界だと見紛うほど、その事実は人間という存在と等価だとただただ受け止めることしかできないのかもしれない。
自分というものが区別できて、そうやってはじめて、自分じゃないものが見えてくる。自分があるからこそ、自分じゃないものに意識を向けることができる。そのお互いの間にある線によって、自分がどうなっているのか、どうしようとしているのか、自分という形が、向き合うそれ以外にどう影響を与えようとしているのか、想像できるようになる。相補的に世界が広がるようになる。自分が嫌だと思うことが、自分じゃないものに起こることを重なるように捉えることができて、想像ができてようやく、自分というものの在り方を考えることができる。
こんなに簡単なことが、ままならないのが人が作る世界であり続ける。どうしようもなくあり続ける。
嫌いだ。
そういうことに平気でいられるものが。空気に動かされているものが。それしかないものが。それしかないということが、きっと大袈裟ではない。
定めたくない。考えたくない。どこかのだれかに、インターネットに、社会に、定められたい。とにかく自らではないものに、定めてほしい。こうあればよい。こうしていればよい。同じように生きていればよい。提供されるものにちゃんと反応する自分でなければ不足してしまう。足らなくて不安になる。自分がないんじゃないかと、不安になってしまう。そうではないためにちゃんと、誰もが受け入れてくれる、この社会が受け入れてくれる「自分」になる。
歴史が繰り返していることと、いまに溢れている空気と、それはちゃんと繋がっている。
ほんとうに規定されたいんだ。そればかりなんだ。道具に呑み込まれているのもそう。スワイプし続けるのもそう。画面から顔を離せないのもそう。空気はちゃんと繰り返されている。
まずは、止まれよ。
ちょっと待ったと、自分を否定してみろよ。
たった1歩、その脚を止めるだけで、自分という線がすーっと引かれることが、きっと分かるだろう。 -
著者の心情含め本自体に資料としての価値がある。
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萱野さんのお父さんの祈りの場面が印象に残る。全てのものにカムイがいて、カムイに語りかける。この世界観は他に類を見ない荘厳な世界だ。
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この本には失われていく文化の悲しみがある。
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アイヌ民族初の国会議員だった萱野茂さんの自伝的な一冊。祖父や父の受難の歴史もほどほどに、氏がいかにしてアイヌの歴史や民俗、言葉を残すのに奔走するようになったのかが手に取るようにわかる一冊です。「民族の歴史」ではなくて「萱野茂一代記」になっているところも、嫌みが無くて面白いです。
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元国会議員のアイヌ人の著者の自伝。昔のアイヌの人たちの暮らしや無茶苦茶な苦労がわかる。
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日本という国の中でひとつの民族が滅びかけ、かろうじて息をしているということを、単一民族神話の中でわたし達はあまりにも考えてこなかった。 文中に出てくるアイヌ語の弔辞はあまりにも美しく、儚い。
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アイヌとして生きた作者のエッセイです。
これだけの苦しい生活を乗り越えて生きてきただけではなく、素晴しい文化人であることに驚嘆し、尊敬します。
あまりにも日常になっていることで、重要視されない、でも大事な文化というものの保存にいち早く気がつき、勢力的に活動なさった作者の業績は素晴しいものです。
ですが、このエッセイの中には、それを誇るとことなどなく、実に素朴で純粋で温かな人柄が伝わってくるものばかりです。
文化は努力して守らなければならない時代に入りました。
そのことを、我々も忘れてはならないと思います。