新書434 歴史の読み解き方 (朝日新書)

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  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022735348

感想・レビュー・書評

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  • 流布している通説と歴史的事実は、区別しておく必要がわかる

  • 著者が自ら古文書を収集し、読み解く中で歴史の新たな考察を見出している。新鮮な見方に接する心地よい驚きがある。
    会津、長州、薩摩各藩の人材育成の違いなど興味深いトピックスが連なる。
    説明も分かり易く、読み易い。

    以下引用~
    ・濃尾平野に生まれたプロト江戸時代型の集団と、鉄砲という新兵器が結びついた。これが歴史のポイントでした。濃尾平野は「兵農分離」が自然的・経済的条件から、すすみやすかったのです。
    (織田信長、徳川家康)

    ・藩の最高意思決定者は、藩主・大名と思われがちですが、これは半分以上、間違いです。「家老と奉行の合議」で決めました。

    ・名将とは意志と行動との間に、かけはなれがない。(秋山真之)

    ・長州の侍には学問があります。すでに戦国時代からのことでした。長州は大陸が近く、中世以前から、漢学がさかんなところでした。

    ・長州藩が他の藩と違う点について、御前会議がある。
    殿様は、ふつう藩政の会議自体に出ないものでした。毛利敬親が「そうせい公」と呼ばれ、何もしなかったようにいわれていますが、そうではありません。先ず、長州藩は藩主が会議に参加していたのです。

    ・大村という技術者と、木戸・高杉という判断力をもった人が出てきて、ようやく、長州藩は軌道にのったといっていい。

    ・会津藩は統治と教育を一体化して考える思想を打ち出しました。
    「治教」が会津藩の根幹思想になっていきました。

    ・学校でもって人材を国家が吸い取り、官僚に養成して、富国強兵を成し遂げるモデルは、先ず熊本藩がつくり、佐賀藩や会津藩がそれをまねました。

    ・薩摩の郷中教育で『忠孝の道に大形なし』との言葉があります。忠孝のやり方は、時、所、位によって変わっていく。これをみても薩摩は近世朱子学に染まりきっていない。

    ・薩摩人は「もし、こうなったら」と考える反実仮想力が高く、あらかじめ手を打つから、想定外のことが起きて、あわてることが少なかったのです。事実、幕末の薩摩は、ずるいといわれるほど政局判断に誤りがありませんでした。

    ・「細心焦慮は準備の要領」(秋山真之)
    準備のときはまことに細かく、臆病にする。しかし、実行の段になったら平気でいく。優れた軍事家たちはすべてそういう性格を生まれながらに持っていました。
    家康もそうでした。戦場にでると、大胆どころか、凶暴性さえある。

  • 司馬遼太郎の歴史文学の神髄に迫る「司馬文学を解剖する」、幕末各藩の藩士教育を比較検討し、危機管理の必要性を説く「幕末薩摩の『郷中教育』に学ぶ」、「歴史に学ぶ地震と津波」では大災害にいかに備えるかを論じる珠玉の歴史評論集。(2013年刊)
    ・江戸の武家生活から考える
    ・甲賀忍者の真実
    ・江戸の治安文化
    ・長州という熱源
    ・幕末薩摩の「鄕中教育」に学ぶ
    ・歴史に学ぶ地震と津波
    ・司馬文学を解剖する

    索引があるかないかで本の価値が決まると言ったのは誰であったか、文庫の随筆集にはあったのに、新書には無いというのは、豊富な資料を使っているだけに残念なことである。

    ネタは面白い。著者は古文書探しの名人で正確に解読できるという。(自称古文書スーパーコンピューター)しかし論じ方が気になり、どうにも座り心地の悪さを感じる。本書は大変わかりやすく書かれているが、わかりやすいゆえに疑問な点もあり、読んでいてモヤモヤする。

    例えば戦艦大和を引き合いに「専門家は目が狭く、空母の時代だから空母を作ろうと言わないこともある。それを上層部が追認してしまうと、海上の高級ホテル・戦艦大和ができてしまいます」と解説している。この説明は一般論として専門家は視野が狭いイメージがある事、大和が飛行機に沈められた事実と突き合わせるとを考えると一見納得させられるが、果たしてこれは歴史的事実と言えるのだろうか、大和は1937年に起工されているが、その当時が空母の時代だったと言えるのだろうか。1941年に太平洋戦争が始まるが、その当時が空母の時代だったと言えるのだろうか。(チャーチルは日本軍の侵攻を阻止させる事を目的とし戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスをシンガポールに派遣したが、マレー沖海戦で航空機の攻撃により撃沈したことに戦争全体で一番の衝撃を受けている)
    結果的にみると日本は間違った選択をしたかもしれないが、どうにも過程が気になる。

    著者は会津藩の教育を、かたくなで柔軟性に欠ける面が倍加したとして、白虎隊が城下町が燃えているのを落城と勘違いして自刃を例を挙げている。どうもこれは俗説であり、実際は敵の包囲をくぐり抜け城内に入る事は困難だと判断し自刃を選んだようである。両者とも柔軟性に欠けたという結論は変わらないかもしれないが、どうにも過程が気になるのである。
    逆に、薩摩藩の鄕中教育を評価しているが、西南戦争の体たらくをみると、どちらも一長一短あったような気がする。
    どうにも、都合の良い点を集めて、意見主張しているようで座りが悪い。
    (もっとも自分の意見「最悪の事態を考える事の大切さ」を主張するために、あえてその様にしているのかもしれない。)

    あと瑣末なことであるが、家康の有名な逸話について、鳥居元忠の父が家康を岡崎城の倉庫に案内し「この銭は家康公が徳川家を再興するため銭です」と言ったという事が気になりました。

    「甲賀忍者の真実」「歴史に学ぶ地震と津波」「司馬文学を解剖する」は面白い。なかでも「歴史に学ぶ地震と津波」は必読です。

  • ≪目次≫
    第1章  江戸の武士生活から考える
    第2章  甲賀忍者の真実
    第3章  江戸の治安文化
    第4章  長州という熱源
    第5章  幕末薩摩の「郷中教育」に学ぶ
    第6章  歴史に学ぶ地震と津波
    第7章  司馬文学を解剖する

    ≪内容≫
    相変わらずの面白さの磯田さん。次から次へと目からうろこのお話が…。
    今回も第1章の公務員的武士団が濃尾平野から生まれた(近世的)とか、綱吉の生類憐みの令辺りから本当に江戸は平和(治安のいい状態)になったとか、刀狩りの最初は、雑賀根来一揆からとか(これは知らない私が悪い…)とかね。

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著者プロフィール

磯田道史
1970年、岡山県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。茨城大学准教授、静岡文化芸術大学教授などを経て、2016年4月より国際日本文化研究センター准教授。『武士の家計簿』(新潮新書、新潮ドキュメント賞受賞)、『無私の日本人』(文春文庫)、『天災から日本史を読みなおす』(中公新書、日本エッセイストクラブ賞受賞)など著書多数。

「2022年 『日本史を暴く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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