- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022951090
作品紹介・あらすじ
いつの世も、知恵と知恵の戦いが歴史をつくる。時にそれを「陰謀」という。よく知られた史実も、本来は何者かの陰謀の産物かもしれない――。必敗の対米開戦を決定づけた「空白の一日」、ルーズベルトが日本に仕掛けた「罠」、西郷隆盛が見誤った「会津の恨み」、「天皇がいて、いなかった」大正の特異な5年間、大杉栄虐殺の真犯人、特攻攻撃の本当の責任者、瀬島龍三が握りつぶした極秘電報の中身……。歴史は陰謀に満ち満ちている。そして真相は、常に闇に閉ざされる。近現代史研究の第一人者が、その闇に光を当てる。あの戦争を中心に、明治以降の重大事件の裏面と人物の命運を史料と肉声で検証。「真実」を明らかにする!〈目次〉第1部 陰謀の近現代史 第1章 仕組まれた日米開戦 第2章 事件の伏線、人物の命運第2部 歴史から問われる、大局観 第3章 戦争に凝縮された日本的特質 第4章 歴史の闇を照射する記録と証言
感想・レビュー・書評
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●戦争指導の内幕がよくわかる一冊。
●天皇の命令は中々書かないから読めて良かったと思う。特に年上の陸軍大臣、参謀総長から舐められていたのは悲しい話。東条だって怪しいもんだし、当時の天皇の心中はいかほどのものか。信用できない家臣に囲まれることほど、辛く情けないものはない。
●後半はかなり具体的な名前が出てくるからかなり興味深い。つくづく歴史を記録することの困難さを実感する。神の視点はないわけで、どうしても客観性が怪しくなる。結局、長生きした連中にいいように修正される可能性もあるわけだね。
●昭和の戦争指導はひどいもんだ…かなり頭のいい人たちもいたはずなのにこんなことになってしまって…本土上陸作戦がなくなったのが我々日本民族にとってせめてもの救いだったのかもしれない。祖先に感謝したい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
明治維新から敗戦までの時代の、基本的事項は既に押さえている人向けの書籍。
仕事でアタマが疲れている今の時期に読む本ではなかった。
主題を吟味しながら、再読しようと思った一冊。 -
開戦の決断が軍官僚たちによる願望まみれの非合理なものであったのは知っていたが、敗戦に向かう過程でも戦争目的を見失い「負けを認めると自分たちの欺瞞を満天下に晒すことになるから戦争を継続する」という人間への尊厳も国家の存立も無視するようなものであったことを知りショックを受けた。
また出陣学徒壮行会で総代だった人物に関する経緯を知ることができたのも大きい
93年当時私が聞かされた話と全く異なりこれも驚きだった。
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陰謀とあるが、歴史を真っ直ぐ扱っており必ずしも陰謀論的な内容では無い。むしろロシアのウクライナ侵攻を見るに、この本で語られる過去の日本の姿とロシアの姿が重なるように思われる。
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戦争についてあらためて考えさせられた。
今の日本では、戦争体験をした人たちが少なくなってきている。小学生のとき、祖父から捕虜となったときの話をきいたりして、怖かった。大人になって、戦時中の話を聞く機会もあったが、もっときいておけばよかったと思う。
近現代史については、表面的なことしか学んでこなかったが、本書はとても興味深いことが書かれていると思った。 -
●→引用、その他は感想
●前日の5日に近衛と軍事指導者達が天皇から、外交を第一にせよと言われたのならば、戦争を軸にしている項目の順位を変えるのが筋なのに、彼らは無視している。さらに明治天皇は日清、日露の戦争の時は 当初は強く反対していた。そういう事実を勘案していくと、軍事指導者には抑制した姿勢が必要だった。ところが彼らは天皇に二枚舌を使いながら、責任だけは天皇に押し付けたのである。天皇制ファシズムのからくりである。
● 東條が首相ポストに就いたのは、内大臣の木戸幸一と天皇の合意によると思われる。では二人はなぜ東條を信頼したのだろうか。理由はひとつに絞られる。表面上は天皇に最も忠誠を誓っているように見えたからだ。(中略)このころまで陸軍の軍人の中には自分達より20歳近く若い天皇を、まるで自分が鍛えるかのようなふるまいをする指導者が多かった。 (中略)全体に陸海軍の指導者は天皇の発言を軽視する傾向にあったが、東條はそうは見えなかったのである 。
→「「昭和天皇実録」の謎を解く」参照
● 遡ること37年前に始まった日露戦争に比べて欠落している要素が多い。戦争を国策として決定する会議のメンバーがあまりにも少なく、何より軍官僚が中心となって政治の側がほとんど関与していないという欠陥があった。(中略)軍官僚の発想で始まった戦争というのが昭和の戦争の特徴なのである。
●この時期は軍事の評判が極めて悪かった。大正デモクラシーの広がりによる人道主義的な考えが、社会に定着しつつあった。加えて1920年代の国際協調時代でもあった。(中略)日本社会でも軍人への風当たりが強かった。(中略) 意外なことにこの5年間は4人にとって「冬の時代」だったのである。昭和に入って軍人が専横を極める時代は、この「冬の時代」への反発もあったといえるだろう。社会的屈辱を晴らすという意味もうかがえるのだ。
● つまり昭和初期の軍人のテロやクーデターは、天皇のお気持ちに一歩先んじて起こした「大善」であると言うのであった。このような歪みは大正末期の「天皇がいて、いない時代」の副産物だったのである。
● 中野正剛の自殺に納得できない東方同志会の会員や中野を崇拝していた門弟、あるいは東條の異様な弾圧を受けた民間人は、戦後に相応の仕返しを行った。
●「もしも」言っても仕方がないことだが、日本政府と軍部がもう少し度量のある政策に転じていたなら、日本は追い詰められず、対米戦争という選択には至らなかっただろう。(中略)昭和の軍人たちが冷静かつ客観的な思考法を持ちえなかった原因は、成績至上主義に尽きるだろう。目前の勉学に励み、優秀な成績で陸大などを卒業して、やがて軍隊という官僚組織で出世を目指す。指導者にも彼らに大局的な世界観を磨かせようとの発想はまったくなかった。
●太平洋戦争の最大の問題点は、軍官僚が自らの存在を示すための戦争を行い、たとえ兵士たちが戦略の失敗でなくなろうと、それを隠蔽し、 偽りの発表で自分たちの責任を回避したということであった。軍人が戦争をしたのではない。軍官僚が自分たちの手柄にするための戦争であった。
● 海軍に限らず陸軍も天皇に知らせたくない現実は、かなり隠蔽、歪曲した節もある。天皇は、 都合のいい発表ばかりを聞かされていたことになる。天皇は騙されていたのである。
● 天皇は、 大和がこのような最期を迎えたことに強い衝撃を受けたようであった。『昭和天皇独白録』の中でその衝撃と戦争の行く末に不安を覚え、そしてこうわの方向に強い意志を持つことになったと告白している。 (中略)天皇は選挙の現実を客観的にもよく掴んでいたと言えよう。
→大和出撃には、確か天皇の「なぜ大和は・・・」という発言も絡んでいたと思うが…
※本書では、全体的に天皇は軍部にだまされた被害者とのトーンが貫かれている。「昭和天皇の終戦史」参照。 -
もし日本史が好きならば必読の一冊。
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東2法経図・6F開架:210.6A/H91i//K