わかりやすさの罪

著者 :
  • 朝日新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784023318762

作品紹介・あらすじ

“わかりやすさ”の妄信、あるいは猛進が、私たちの社会にどのような影響を及ぼしているのだろうか。「すぐにわかる!」に頼り続けるメディア、ノウハウを一瞬で伝えたがるビジネス書、「4回泣ける映画」で4回泣く人たち……。「どっち?」との問いに「どっちでもねーよ!」と答えたくなる機会があまりにも多い日々。私たちはいつだって、どっちでもないはず。納得と共感に溺れる社会で、与えられた選択肢を疑うための一冊。はじめに1 「どっちですか?」の危うさ2 「言葉にできない」3 要約という行為4 「2+3=○」「○+○=5」5 勝手に理解しないで6 理解が混雑する7 「一気にわかる!」必要性8 人心を1分で話すな9 なぜそこで笑ったのか10 なぜ笑うのか、なぜ笑えないのか11 全てを人に届ける12 説明不足13 「コード」にすがる14 ノイズを増やす15 4回泣けます16 コーヒーを吹くかもしれない17 深いって何だろう18 見せかけの優位19 偶然は自分のもの20 わざと雑にする21 そんなこと言ってないのに22 自分に迷わない人たち23 みんなで考えすぎ24 人はいつもぐちゃぐちゃおわりに コロナ禍の「わかりやすさ」の中で

感想・レビュー・書評

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  • 「わかりやすい」のと「わかりにくい」のどっちがいいの? そもそも「わかる」って何だ? 面白く読めるけれどいろいろわからなくなってしまった

    ◎信州大学附属図書館OPACのリンクはこちら:
    https://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BC0161625X

  • わかりやすいことって良いことだと思い、どうやったら相手にわかりやすく伝えることができるのか、ということをずっとずっと考えていて

    そんな中、このタイトル

    わかりやすさに罪ってあるのか?

    と手に取ってみました
    えぇ…?って思う部分があるのと同時に、そんなに簡単にわかってもらいたくないよなぁとも思う

    人なんて、わからないものですよね

    散々わかりやすく相手に伝えること、という本を読んでいただけに、反対意見を読むことは新鮮でした

    片方だけの意見は自分の考えも偏りがちになると改めて思わせてくれた本です

  • 少々、図々しいかもしれないけれど著者の武田さんと対話するように読んだ1冊。わかりやすいということは単純に絶対的に正しいように思えるが、そもそも「正しさ」は絶対善だろうか。その正しさは特定の個人、集団のものであって他の人、集団にはどうなのか。回答、結論にたどり着くまでの時間、プロセスをコスパという言葉で安易に片付けず、思考と対話を繰り返すこと、深みあるいは厚みをましてこそのわかりやすさではないだろうか。
    また、就職活動における事後PRの交雑も共感した。
    「これが私です!」「これが本当に自分キミ?」というやり取りは残念ながら入社後も続く。他者に大工を求めすぎる社会は成熟や成長ではなく、疲弊と格差を大きくしていくのではないか。

  • 【概略】
     「わかりやすさ」に価値がついている昨今、その価値は本当なのか?「わからない」は、実は大いなる「わかる」への第一歩ではないのか?YESかNOか?わからないことへの不安から膨らむ恐怖という副作用、否「わかりやすい」を肯定的に受け入れる助けとなる一冊。

    2024年01月25日 読了
    【書評】
     毎度、悩むことがあって。それはコンテストスピーチの稽古において「わかりにくい」というフィードバックへの飯能。「どう『わかりにくい』のか、わかりやすく教えてくれ!」と思うのだけど、そこはうまく言語化してくれない。ひと昔前の劇団の演出家の「ちが~う!」連呼を彷彿とさせる。
     そして、ここから新たな悩みが。やはりコンテストスピーチ。わかりやすくわかりやすく工夫するとね・・・ミルフィーユみたいに重層的にしたいのに、クレープの作り始めのフライパンに薄く広げた生地みたいな・・・なんとも浅いスピーチになっちゃうのよ。こんなの聴いて、面白いかい?なんて思っちゃったりする。(ここでいう「面白い」は、笑えるって意味じゃなく色んな要素で心が揺さぶられるという多面的な意味での「面白い」ね)
     なんていうかさ、聴き終わった後に「ふうっ・・・」って感じで、ズーンって感じで、お家に帰ってお風呂に入ってる間もなんとなしにそれを考えてしまう・・・そんなスピーチができたらいいのにと思いつつ・・・「わかりにくい」でぶった切られる。そしてさらにこういうボヤきを入れると、「そんなことを吹っ飛ばすスピーチを作ればいいんだ!」という大日本帝国軍の鬼軍曹がごとくお叱りを受ける始末。あっ、また叱られる。
     「余白を読者であり観客が埋めてく感じ」が最近の好みであったので、ジャケ買いのような形で手に取ってみた。ミュージカル「オペラ座の怪人」鑑賞後の東京で。あっという間に読み進んでしまった。
     全体的な印象として、落語のようなリズムで進む文体が軽妙だなと思いつつ、著者の感情にスイッチが入った時点で、感情の渋滞が文章に跳ね返る。この落差が魅力だったりするのかなと思ったりする。そして、友達として膝をつきあわせて話を聞きたいなとも感じてしまった。「へぇ~そういう着眼点で物事を見ることができるんだ!」と感心してしまう。
     ビジネス上のやりとりにおいて、こちらと相手の間には誤解を生じる確率を極力減らしたいというのは重要。相手が話していることを聞いて、(日本語って色んなものをめっちゃ省略する言語ということもあり)複数の捉え方ができてしまう場合なのは、「〇〇ということですか?それとも△△ということですか?」という確認をすることも重要。当然、相手に伝える必要がある場合には、複数の捉え方が起きないように注意することも、必要。そして、物事を要約する能力も、超・重要。読書感想文を書く文化で育った日本人は、感想はかけても要約(あらすじ)は苦手だと思う。
     ただし、他人が要約したものをありがたがる昨今の風潮は、著者と同じ感覚。本を一冊全て読み終えたとして、残ったものが1でも、読む・読み終える過程の中で無意識に蓄積されるナニカ(申し訳ない、言語化できてない)が大事なのであって、抽出された、濾過された一滴だけを味わったところで受け手の身体に浸透しない。時間効率(タイパ)や合理化、無駄を省くという、もはや宗教のように昇華されてしまったマインドに、かくも縛られているものかと思ってしまう。そういった感覚をお持ちの方にとっては、ウンウンと頷きながら読み進むことができるのではと思う。
     しかしながら一点だけ、これはこの本が元々は雑誌かなにかの連載で、エッセイとして書き綴られたからこそ起きてしまうことだと思うのだけど、終盤までの著者と終盤の著者と風味が変わってしまっていることが、わかりにくさにブーストをかけている(この場合の「わかりにくさ」は褒め言葉になっているのかな?)。「???」だったのが、320ページの「『特に言葉なんていらない』でいいのか」の部分、文脈によるから仕方ないのかも知れないが、本書の前半でキレの良い文体で愉快に読ませてもらった箇所、とりわけ「言葉にできない」あたりでは、言葉にできない部分に対しての可能性を見出しているにも関わらず、この「特に言葉なんて・・・」の箇所では、他者のシンプルな感想について「言葉にする能力が欠けていることなのかもしれないのに」と切ってしまっていること。本書のタイトルに近い内容なのに・・・。
     一つ上の段落での言及は、ちょっと重箱の隅をつつくような書き方をしてしまったけれど、軽妙なリズムで読み進めることができて、著者のクリティカルシンキングを十二分に楽しむことができたよ。そして本書の「コーヒー吹いた」一番の局面は76ページ「理解が混雑する」の部分、「一体あんたに、私の何がわかるっていうの!」というブチギレを先に置いて、そのセリフを面白く活用している部分。脳内に起こした映像で、見知らぬ人に道を尋ねられて「一体あんたに、私の何がわかるっていうの!」と返す人を想像してしまった。こういうの、大好き。
     うん、そうだな。「わかりにくい」という蒟蒻問答のようなフィードバックが来たら、その相手に対しては、「何卒、何卒、どこがどうわかりにくいのか、私にわかりやすくご指導をいただけませんか?」と投げ返すことにしよう。

  • うーん、著者が食ってかかるところはご尤もなところもあるけど、ソコ気にする!?みたいな賛同できないところも多く、序盤の段階でなんかすごいめんどくさい感性持ってるなあと思ってしまった…
    わかりやすさ・わかりにくさのバランス感覚から外れた例を取り上げて、なぜそれが良くないかを論じているが、あまり斬新な記述は無かった。概して、著者のバランス感覚から外れた表現たちを批判する本のような印象を受けたが、読後に自分に残るものは少なかった。

  •  日々「分かりやすく相手にモノを伝えるにはどうすればいいだろう」と考えるなか、このタイトルに惹かれて手に取った。タイトルから想像される内容の通り、主旨は「あらゆることは複雑であるのだから、その複雑な状態を手放すかのような"分かりやすさ"へ誘導する動きに搦め捕られてはいけない、自分の頭で考えなくてはいけない」といったもの。本を通じてこの大きなメッセージはひしひしと伝わってくるが、挙げられたエピソードを全て腹落ちさせられたかというとそういうわけでもない。そのことがまさにこのメッセージの要点なのかもしれない、とも考えさせられる。
     他人に分かりやすく伝えることが大きな価値を持つ場面には遭遇してきたし、それは間違いなく存在する。ただ、分かりやすさこそが正義なわけじゃない。それを認識させてくれる本だった。

  • オーディブルで読む。

    そうそう、なんでもわかりやすさを求めるな!と思うんだよね。
    「わかりやすく表現できていないのは頭の中が整理されていないからだ」と指摘されたことがあるが、頭の中をすっきり整理することの危険性っていうのもあるよねって思う。

    わかりやすさを求めるっていうことは、頭の複雑さを手放して、シンプルになることを求めているってこと。それは個人的にはやだな。
    頭の中のモヤモヤは悪いことではない!

    ♪The Mayor Of Simpleton/XTC(1989)

  • 少し考えさせることは大切 オーディブル

  • 表題に惹かれて手に取る。
    万事単純化に関する危険性には同意。
    抽象度の高い事柄を単純軸で語るのは土台無理がある。
    それにもかかわらずメデイアは染み込んだ判官贔屓思考や手放すことができないルサンチマンに足を取られ、「国民」「市民」「庶民」「皆さん」に「寄り添う」スタンスで物事を伝える体。

    抽象度の異なる事柄を一緒くたにし、抽象度を下げて単純化することでこぼれ落ちる事柄の重要性を無視して「正義」を語る。

    「わかりやすさ」「優しさ」が常に揺るがぬ「善」とは限らないよなあ。

    とりあえず私自身は報道で最近必ず盛り込まれる街録つまり「街の声」で世論を拾ったつもりの定型にメデイアの力の低下を感じずにはいられない。

    以前のメディアにも問題は山積だったけれど、先鋭化して権力批判一色になったり、安易な単純化に終始するメディアに疑問。

    武田さんの文章から「正しさ」を纏う攻撃性みたいなものを感じてしまって、残念ながら私が期待したものではなかったです。

  • ・「分かりやすさ」が物事を単純化させる雑さを生む
    ・「分からないということが分かる」ことを良しとせず、「こちらに分かるように説明でかない方が悪い」とする社会への警鐘
    (筆者の主張からすると本の内容を要約して理解した気になることも悪だとしているが)

    内田樹氏の「複雑化の教育論」にも通ずるものがあった。作者自身も自分の主張がまとまらないと言い、様々なトピックから「わかりやすさの罪」について論じていた。
    中盤までは良かったが、後半から「表現の不自由展」を巡る問題やコロナ禍における政府の対応などの政治的な部分にも話が伸びていた。これらは簡単に是非を論じてよい問題ではないにも関わらず、作者が気に入らない人物の言動のみをもって「わかりやすさの罪」と絡めて批判していた。作者自身が、自ら主張する「わかりやすさ」に陥ってしまっておりそこが残念に感じた。
    しかし、物事をスパッと断言してしまっている「分かりやすい」本より印象に残った部分は多いので、安易な「分かりやすさ」に逃げてしまわないよう自戒したい。

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著者プロフィール

1982年、東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年よりライターに。近年ではラジオパーソナリティーも務める。
『紋切型社会――言葉で固まる現代社会を解きほぐす』(朝日出版社)で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞などを受賞。他の著書に『日本の気配』(晶文社、のちにちくま文庫)、『マチズモを削り取れ』(集英社)などがある。

「2022年 『べつに怒ってない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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