- Amazon.co.jp ・本 (42ページ)
- / ISBN・EAN: 9784034253700
作品紹介・あらすじ
「朝、目をさますといつも、ぼくのまわりはことばの音だらけ。そして、ぼくには、うまくいえない音がある」
苦手な音をどもってしまうぼくは、クラスの朝の発表でもまったくしゃべることができなかった。放課後にむかえにきたお父さんは、そんなぼくを静かな川べりにつれていって、ある忘れられない言葉をかけてくれた。
吃音をもつカナダの詩人、ジョーダン・スコットの実体験をもとにした絵本。
デビュー以来、作品を発表するごとに数々の賞を受賞して注目を集めるシドニー・スミスが、少年の繊細な心の動きと、父親の言葉とともに彼を救ってくれた美しい川の光景を瑞々しいタッチで描いている。
感想・レビュー・書評
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彼のお父さんのように、子どもの悩みに寄り添い大切な一言をくれる人が一人ひとりのそばにいますように…
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この人の、不思議な絵。
写真のようなのに、全体がゆるい感じが、すごくふしぎ。 -
吃音のぼくを救ってくれたのは、あの川の流れだった。学校に行くと、先生から当てられませんようにと、いつも思っていた。おとうさん川に連れて行ってくれて、川を見ろ、あれがお前の話し方だ。川を見ると、川は泡立って、渦巻いて、波打ち、砕けていた。思いどおりに言葉が出てこない時はどうどうとしたこの川を思いうかべよう。川だってぼくと同じように吃っている。ぼくは川のように話す〜
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吃音の本を調べていたら、偶然図書館のリストに上がってきた1冊。
カナダの詩人が書いたという。彼も吃音者。
私も吃音持ちである。
だから、彼の描く世界とメッセージに胸が震えて涙が出た。
私たち吃音者は、言葉がスラスラ流暢に話せないことを非常に悔しく思っている。
そして、自分の努力ではどうにもならないことを、なんとかしようとしてもがいている。
恥ずかしいから、知られたくない。
だから隠そう。
それは偽りだ。
本当はみんなに知って欲しい。
吃音はこういうものだと。
でも勇気がない。過去に経験した バカにされた瞬間、からかわれ笑われた屈辱的な体験が、素直になる自分に蓋をしてしまう。
もうあんな経験はしたくない。
そんな思いから、、気持ちも行動とどんどん下を向いていく。
曇った表情、気持ちは川に流そう。
主人公が父親と訪れた川を見て、
父親は彼に言う。
「お前の話し方は川のようだ」と。
彼の言う、川は澱みなくスルスル流れているという意味ではない。
川の水をよく見ると、突き出した岩にぶつかり砕け散ったり、枝や高低差を流れて泡立ったりしている。
滞りなく流れているばかりではないのだ。
私たちの話し方も同じようなものだ。
スラスラ話せる時もあるけど、連発で同じ言葉を連続して言ったり、最初の音が言えず詰まったり、伸ばしてしまったり。
あなたのその話し方はおかしくない。
と、人そのものを丸ごと尊重する彼の父親の姿に、とても感銘を受けた。
あとがきの「ぼくの話し方」
の中に、
吃音、それは言葉と音と体が絡み合った、とても個人的な苦労の塊です。
とある。
そうだ。苦労の塊なんだ。
頭では言いたいことがちゃんと浮かんでいるし、口もその言葉の形をしているのに、なぜか音だけが出ない。出せない。言えないのだ。
その言葉、たった一音言うために、10秒、ましてや数分必要とする人もいる。
挨拶ですら、ちゃんと言えるかなと過度に心配して背中に汗をかく始末。
私たちは苦労しながら言葉を出している。
毎回毎回、喉の奥から言葉が出るのを待っている。
そんな吃音者の苦悩と絶叫したいほどの叫びが込められていた。
作者は最終的に、吃音である自分自身を受け入れたのだな。
川のように話す自分でもいいんだと。
これからずっと付き合っていく自分だから。
私も、いつか自分を丸ごと受け入れられるように。 -
朝の気持ちが痛いくらいに、響いてくる。
「川のように話す」は流暢にスラスラはなすのではない。
川はあわだって、うずまいて、なみをうち、くたけていた。
「川のように話してるんだ」 -
表紙がずっと気になってた。
こんな内容とは知らなかった。
吃音の人が感じている世界。
朝の描写にどきっとした。 -
吃音がある男の子
うまくしゃべれないので
学校でも縮こまってビクビクしている。
そんな息子を
お父さんが川につれていった。
だまって歩く二人。
川を見ながら肩をだきよせ
「ほら、川の水を見てみろ、
あれが、おまえの話し方だ。」
川は、あわだって、うずをまいて
なみうち、くだけていた。
川だってどもっている。
ぼくとおなじように。
ぼくは話す。川のように。。。
父の愛が感じられる。
きみだけじゃないんだよ。
個性なんだよ。
言葉少なく認めてくれる父の愛があたたかい。
絵が素敵。 -
吃音を抱えながら生きる子供のお話。
上手に言葉を発することが出来ず、友人に笑われたり日常生活の中での苦しさを語る。そんなときに父親に川へ連れて行かれ、こう言われた。
「ほら、川の水を見てみろ。あれが、おまえの話し方だ。」
川は一直線に流れているようで、実は違う。泡立って波を打って渦を巻いて流れて行く。川だって途中で吃ることはあるけれど、遥か遠くの海を目指して弛まず流れて行くのだ。そんな川と吃音同じように思えた。
そして僕はこう思う。
「僕は話す、川のように。」
自分の話し方に劣等感を抱いていた少年だったが、父親に言われた言葉をきっかけに自分の話し方は個性なんだと気がついた。それは決して悪いことではなく、僕には僕なりの話し方があり、それこそが自分らしさなんだと。
人とは違う部分に関して一人で悩んでしまうと劣等感を抱いてしまう。だから他の人がそれを個性だと気が付かせてあげることって大切なんだと思う。
物語のストーリーそして水彩とアクリル絵の具などで描かれた柔らかい絵が良かった。 -
苦手な音があって、舌に絡みついたり、喉に引っかかったりするのを口の中に気持ち悪く詰め込んで学校へ行く。「みんなとちがう、ぼくのしゃべり方」を笑われる「ぼく」の苦しさ。切ないです。
お父さんの言葉が感動的です。ページを扉のように開くと、キラキラ光るまぶしい川面の絵に、書かれているのです。胸を打たれ、ハッとします。
「おまえは、川のように話してるんだ」
川は、日本語にある「立て板に水」みたいに同じペースでさらさら流れているわけじゃない。自然の水は、「あわだって なみをうち うずをまいて くだけている」のが当然。人間の心だって、そうですよね。だから、上手く、ではなく、「川のように話」しましょうよ。 -
吃音についての絵本。めちゃくちゃ良い本。
吃音のどもりって普通に話せる人からしたら、不自然に感じるよね。
きっと吃音のある人はみんなそれが嫌で、話さなくなったり、自信を失ったりすることが多いんだと思う。
でも、川の流れを見てごらん。
すーっと綺麗に流れる川なんてものはなくて、
渦巻いたり、波打ったり、泡だったりして、流れている。
それが普通なんだよ。
自分らしく、自分の吃音と付き合って。
川のように話すことが、1番君らしい。