- Amazon.co.jp ・本 (601ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041017777
作品紹介・あらすじ
死地から帰還した羽生。伝説となった男は、カトマンドゥにいた。狙うのは、エヴェレスト山頂、前人未踏の冬期単独登攀――! 山に賭ける男たちの姿を描ききり、柴田錬三郎賞に輝いた夢枕獏の代表作。
感想・レビュー・書評
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老若男女、みんな大好き、ミステリの王様「東野圭吾」ですが、このお話では事件が起きたり犯人を捜したりはしません。ただ、「クスノキに念を預けたり、誰かが預けた念を受け取ったりできる」という不思議なことが起こります。クスノキに関わる様々な人たちの、それぞれの感情が伝わって、最後は涙がこぼれます。
(K.M.先生)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ここに俺がいるから。そう言えるだけの熱い思いが自分にはあるだろうか。
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文句のつけようなど一つとしてございません。
漫画→アニメ映画→原作という順だが、
結局この原作小説が一番心に来た。
理由の一つに、とにかく夢枕獏氏の文章の巧みさ、読みやすさが上がる。
本当に賢い人は、誰にでも伝わりやすい言葉で簡単に表現できると言うが、
まさに氏のような方のことを指すはずだ。
とにかく氏の文章は、読み易いばかりでなく、人や時代が匂い立つように浮き上がる。
こと本作の表現の話題になると、
冬山の美しさや冷徹なまでの過酷さ、孤高の登山家の心の在りようなどに焦点が当たる。
しかし私はそれ以上に、
当時の日本の情景や日本人たちの描写が異様に巧みであるがために、
その勢いのまま、全く趣の異なるカトゥマンドゥの異国風景や、苛烈を極める冬山登山の場面にも、読者は異様な没入感を保ったまま読みふけることができると考える。
まあここまでの不朽の名作ともなれば、
上記のようなみみっちい考察なんて何の意味も持たない。
タイトルや題材の濃さ・骨太さで誤解されがちかもしれないが、
中学生や高校生くらいの年代にこそ強くお勧めすべき良作だと思う。
昨年だったか一昨年だったか公開されたアニメ映画。
本作の大ファンだというフランス人有志達の執念で膨大な時間の末に完成させたらしい。
映画という尺の制約の関係上、
どうしてもカットせざるを得ないシーンや展開もあるのだが、海を越えて創られた愛の詰まった作品。
よければ是非是非アニメ映画の方もご覧ください。
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※上下巻共通のレビューです
実写とアニメの映画を鑑賞した後に読みました。上下巻通してかなり引き込まれました。物語の骨組みがしっかりしているし、細かい所もかなり考えられています。
上巻は下巻のために舞台設定をした感じですが、ミステリー小説のように楽しめました。これからどうなる?と言う期待感を持ちながら、また情景を感じつつ読みました。
万を期した下巻は、精神的哲学的な要素が強く、一言一言に考えさせられました。上巻は登録フレーズ0でしたが、下巻は11登録しました。「薄い時間」と「濃い時間」の考え方、そして「何故、山にゆくのか。何故、山に登るのか。それには答えがない。それは、何故、人は生きるのかという問いと同じであるからだ。」とか、「登れるのがはっきりわかっているルートなんか、地面を歩くのと同じじゃないか。それだったら、岩なんかやらずに、通常の登山道を歩いてればいい」とか身に沁みます。
ラストも最高の締めくくりでした。 -
当方、この作家の小説を初めて読んだように思うのですが、畢竟の傑作ではないかと思います。
小説に詩の感性も加わった、何とも日本の小説という気がします。とにかく熱さ満載で、これは読んどかんとあかんでしょう、と思います。逆にこれ以上の作品がこの作家に書けるのかな?と思う位です。
(追記)
すいません、この作家の小説、1冊読んでました。完全に忘却の彼方です。。。 -
史実を織り交ぜながら作られている。作者の熱い山に向かいう情熱が伝わってくる。羽生の徹底した姿勢と、深町の迷いを含みながら踏ん張る姿勢。後半はスピード感持って読めた。充実した1冊だった。終わり方もよかった。
実は2度目だった。 -
全ての物事がその人の人生を描いていて
その人の誇りと持っているもの、持ちたかったもの、得たもの、得られなかったもの
全てが心に突き刺さった -
素晴らしい!
ハラハラ、ドキドキして、先を読みたいんだけど、読みたくない!みたいなw
みんなが絶賛するのは当然だわねぇ〜。 -
泣いた
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後半は
カメラマン深町は登山家羽生を追い、とうとうエベレスト南西壁冬期無酸素単独登頂を目指す
深町はどこまでついていけるのか…
それなりにトレーニングを積んだが、もちろん天才クライマー羽生とは比較にならない
羽生は8年間もかけて入念に準備をしてきたのだ
尋常ではない緊迫感がひたすら続く
氷塊、クレバス、雪崩、落石、垂直の岩壁…、凍傷、強風による低体温症、どんどん酸素は薄くなり、高度障害が出始める
読んでいるだけで苦しくて辛い
(軽い高山病の記憶がよみがえる そんな時でさえも、食事は喉を通らず、頭痛と吐き気がし、筋肉が鉛のように動かなくなる
次の一歩を出すのに使うエネルギーが足りず辛い この何百倍の辛さかと想像するだけで倒れそうである)
ここでの高山病の恐ろしさをピックアップしてみる
ちなみに富士山標高は3776メートル、エベレスト標高は8848メートルである
以下は本文からの抜粋
〜4000メートル越えた場所であっさり死ぬことも珍しくない
6000メートルが人間が順応できる限界か
ここを越えた場所に長時間滞在すると、大量の脳細胞が死んでゆく
ヒマラヤ登山は生物にとっての極限状態を日常に体験することだ
人によって高山病の症状が出る高度はまちまち、かつその時のその時で高度も違う、体調にも左右される
スタミナがあっても、高山病になればベースキャンプにさえ、たどり着けないことも…〜
その中で山頂アタックできるのは、体力だけでなく、強靭な精神力と強運(天候も含め)が必要である
そう最後は神に許された人間だけ…なのかもしれない
登頂中、カメラマン深町が羽生と直に接し、羽生のある意味生きる姿を目の当たりにして、深町は自分と向き合うことができたのだろう
その後、彼は何らかの答えを導き出していく…
何で人は山に登るのか…
不思議である
何で生きるのか…と同じ質問だ
何度か自問自答したことがある
大雨と暴風の中、「二度と山に行かない」と何度も心に誓いながら、とにかく早く終わらせるためだけに、無我夢中で歩いたこともある
1日、10時間以上、10Kg以上の荷物を担いで、山行した後、かわいそうな足の潰れたマメを見ながら、もうここまでの縦走はいいんじゃないの?
と自問自答する
参考計画を立てても行きたくなくなる…
こんなことの繰り返しで山に登っている自分が何だか可笑しい
答えがなくてもいいのだ
趣味で登山をする程度でさえも不思議な力にどうやら取り憑かれる
さてここからは番外編
ネパールについての知識
シェルパは職業的な名称だとずっと勘違いをしていた
シェルパはネパールのソロ・クンブ地方に住むシェルパ族を指す
「東の人」という意味の種族名とのこと
頑健な肉体と、高地に順応した心拍機能に着目し、イギリスが1900年代初めに、ガイドやサポーターとして雇ったのが始まり
イギリス人は彼らに英語を教え、登山道具を与えた
このようなシェルパと呼ばれる山岳ガイドが成立してゆく過程は、グルカという兵士集団が成立してゆく過程と似ている
グルカはイギリス陸軍に設けられた、ネパール人兵士の外国人部隊のことだ
こちらもグルカ族といういくつか部族の総称である
山岳部に住む民族のため、シェルパ族同様、
肉体は頑強、肺活量、忍耐力などの基礎体力が他の部族より優れる
地上最強の部隊と呼ばれた時代もある
いずれもネパール人でありながら、外国人のために生まれた職能集団である
経済的に貧しいこの国は、外貨をこのように得ている
そしてもちろん一番の収入源はヒマラヤを中心とした観光である
トレッキングから、外国人登山隊がおとしていく外貨や入山料なとである
入山料だけで約100万円以上である(日本の富士山にそんな制度はない)
ネパールは世界最貧国のひとつであり、カースト制、民族格差、教育問題、民主化など、様々な問題を抱えている国である
ネパールの国を垣間見れたことも興味深かった
どうも小説部分より、登山とネパールにフォーカスを当ててしまったが、一般的には小説としても充分楽しめる作品だろう
極寒の地でありながら、非常に暑苦しい世界が展開する
ヒリヒリする痛みを感じながら、息苦しさと、突き上げてくる熱い思いとともに一緒に冒険できる
そんな内容であった
誰に何と言われようとも、自分が納得した人生を送るための手段なんて人それぞれだ
そんなことをこの小説は教えてくれる気がする
但し、残念ながら個人的にカメラマン深町に全く共感できず…
昔読んだ鎌田敏夫氏の小説を読んでいるみたいで、もうそういう熱くて青い感じは受け入れられる年齢ではなくなったなぁと客観的に冷静にしか読めず…
もう少し若いころに読んでおくべきだった(笑)