- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041049778
感想・レビュー・書評
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上巻が長くきつくなかなか進まなかった。
何故自らが、存命中の父に問いただすことができなかったことを執拗に想像と状況的な判断で、おそらくこうであっただろうと、父も自分も打ち続けるのか、なかなかその文脈で寄り添う事が難しかった。
下巻になり、戦後70年代半ばまではまだ町中で見かけた傷痍軍人(本書にならうと、存在はみたことがあるからしっているがなんでそこにそのようにおられたかよくわからない小さな自分には、ショーイグンジンだった)
父親のスリッパで殴る発言、虐殺関係者に天皇が栄典、、数々の戦争犯罪行為を表彰栄典などなどされたものは取り消される事もなく、戦犯とされたもののうち今でいう上級市民のような上位のものは許される国政などの華やかなところに戻り繁栄つづけ、、、すっかり忘れていた、昭和天皇のアッソウと、文学のあや、広島の原爆投下はやむをえない、
など少し前ならみんなが知っていたような事を今は自分もすっかり忘れてしまっていて、戦後とか戦後民主主義という言葉の中で戦争を知らないなりに反戦の風景を自分なりに思い描いていたが今はそんな事誰も知らないし反戦とか軍備を持たないとか若い人にはわからないように、恥を知らぬ者たちに支配され長い年月、たかだか70年なのに、わからないように喧伝されこんな世の中になってしまった。
自分が小津安二郎に全く関心もなく好きではない理由もよくわかった。国立映像アーカイブの日本映画史の展示でも感じた通りであった。
空気と記憶の抜け殻、自問もしないし、自答もしない、何事もなく続いていく無責任の系譜。
自らを鞭打ち死んだ父親を鞭打ち、恥じて、
辺見庸が、堀田善衛や武田泰淳に学び続く細々としたもう一つの系譜、辺見庸考え省み慄き恐れ恥じる系譜を意識すること。今を何とかすること。できなくても忘れないこと思い出すこと思い出させることだけでも。
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