世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析

著者 :
  • 角川書店(角川グループパブリッシング)
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  • / ISBN・EAN: 9784041101162

感想・レビュー・書評

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  • 著者がヤンキーの特徴として挙げているのは、「感性的行動主義」「家族主義」「関係性を志向する情緒」「反知性主義」「実学優先」「厳格でありながら包摂的な母性」「日常に根差したリアリズムと日常と乖離したロマンティシズムの混交」などである。そして橋下徹とその支持者に典型を見る。こうしてみてくると、これらの特徴はヤンキー的というより日本人的、といった方がいいのではないか、と思える。
    たとえば、著者の指摘するヤンキー的リアリズムの一つは、「帰属する集団の選択に際しては自由主義的に振る舞い、ひとたび集団が選択されれば集団主義が優位になる」というものだが、これって典型的な役人と同じ性向ではなかろうか。配属先については結構自由に希望を出すが、どこに配属されようと配属先の利害と一体化する、というような。あるいは、「個人的な夢が世俗的な欲望に基づいているため、彼らが夢を語ると、社会における集団的な欲望を形成する共同幻想を強化してしまう」という分析は、そのまま戦後日本人像に見えてしまう。
    だから、だろうか、著者は(違った文脈上ではあるが)「日本人がキャラ性を極めていくと必然的にヤンキー化する」とも指摘している。もちろん全部がヤンキー化することはないだろうから、日本はヤンキーと非ヤンキーへ分裂、ということになる。この分裂は経済格差とは相が違う。都市対農村でもない。そして、ヤンキーが圧倒的多数だ。
    岡田斗司夫はケータイ小説の支持層とヤンキーを重ねた。マス文化の牽引力は多数派で好みの似ているヤンキーが握る、非ヤンキーは少数である上に好みが多様化しているから、何かの動向を左右するような力にはなりえない、と。

  • 読み終えた直後の感想は、目からウロコがおちた、というところだろうか。非ヤンキーの私にとって、ヤンキーがいかなる存在で、日本の深層とどう関わっているか、鮮明に示してくれた。まあ、精神分析にしろ、カルチュラルスタディにしろ、食いつきが足りない、という指摘はあろうが、それはヤンキーの本質がそれほど確固たるものがない以上、しようがない、と私はおもうが、皆さんはどうだろうか?

  • "われわれの日常に潜在するヤンキー性とは一体何か"というテーマで,文学,音楽,ファッションや芸能に見るヤンキー性の特徴やその質などが論じられている.
    どうしてこの本を手にしたのかというと,斎藤環という人の論を読んでみたかったからなのだけど,読み終わっていろんなレビューを見ていたときに見つけた記事に参照されていた東洋経済のインタビュー(http://toyokeizai.net/articles/-/13068)を読んで,これを読んでからこの著書を読んだらもっとすっきりしたな,と思った.背景としてヤンキー性のより最新の現状を把握した上で読めば,その意義も深まる.

  • ヤンキーを多角的に分析した本。
    そうだね、そうだね、と頷きつつ読む。
    個人的にはヤンキー文化とは重ならないところで生きてきたけど、歌舞伎は好きだし、そういうところまで含めるとヤンキー文化を全く好きじゃない人はゼロに近いかもね。
    日本にはわび・さびの文化と、派手でナンボの文化が同時に存在しているので、後者がヤンキーの源流とするなら、日光東照宮は言うに及ばず玉虫の厨子も大仏も金閣寺も若冲も暁斎もみんなヤンキー。
    この本ではあくまで戦後(とりわけ80年代以降)のヤンキー的なものを分析しているけど、本格的に検証しようと思ったらそんなものでは足りない。
    そういう意味ではものたりない。
    もっと日本人の本質に迫ってほしかった。
    しかし、『ジョジョ』がヤンキーテイストがない、とあるが、そうかな。
    大げさで派手な絵といい、気合いを感じさせるセリフといい、私からみたら十分ヤンキー的だけど。著者がジョジョ好きだから、ヤンキーに入れたくないんじゃないの?と思った。

  • 私がなんとなく嫌悪していたもの(自民党、坂本龍馬、キムタク、EXILE、相田みつを等々)全てに共通点があった(そうか!俺はヤンキーが嫌いなんだ!)というのは、「己が何者か?」がわかったというか、自分のポジションが明確化して非常にスッキリした感じがする。それにしてもヴィトンがヤンキーってのはわからないでもないけど、ディズニー・サンリオまでもがヤンキーとは(言われてみればそうかな?って気もしないでもないが)
    「これらには規範も本質的な価値観も、系統的な教義もない。ポエムはあっても文学性はなく、自立主義はあるが個人主義はなく、おまけにバッドセンスで反知性主義ですらある」とリベラルなインテリ医師がヤンキー文化なるものを厳しく糾弾するのは痛快ですらある。
    但し、これだけ嫌悪しているヤンキー文化だが、無意識に部分的には受け入れて、自分を侵食している点もあり、ウイルスのような恐ろしさも感じる。また、ヤンキー的リアリズムは評価すべき点もあり、彼らの行動主義というのは使い方次第ではないかと思う。(が、リーダ・責任ある立場になるのは危険だと思うが。)
    「内なる他者」として住みついてる「アメリカ」をどう考えるか?も「父なるアメリカ(規範)」と「母なるアメリカ(イノセンス)」の2つにわけると、アメリカ的普遍性を愛しつつも、アメリカそのものを嫌悪するという矛盾した感情に説明がつき、納得感が得られる。
    本作はかなりの名著だと思うのだが、売り方に失敗したような。新書でコンパクト化し、キャッチーな題名にすれば、かなり売れたのではないかと思う。

  • 精神科医の斎藤環さんが、安倍政権になってから、盛んに「ヤンキー的」というキーワードで、メディアで批評していて、それを読んだら、結構総論、僕は好きだったんですね。
    で、じゃあちょっとホンを読んでみようか、と。
    ただ、読み終わってから実はもう数週間経ってて。コレ、うっかり備忘録書くの忘れてました。
    なので、もうかなり忘れてます。
    でも、もっとどんどん忘れていくので、せめて今のうちに思い出して書きます。

    結論で言うと、当然ながら? ヤンキー的文化を肯定はしてなくって(笑)。どっちかっていうと嫌いだってハッキリ言ってるんですけどね。
    でもまあなるたけ冷静に。善悪や好悪じゃなくて、なんなんだろうね、というお話ですから。
    で、盛んに「オタク的文化」と比較するんですけど、そもそも「オタク的文化論」が僕はよくわからないから、そこのあたりは曖昧ですが。

    確か、要は、漫画とか芸能人とか色々研究して、要はキムタク的、あいだみつお的、感覚だけのなんとなくのガンバリズムっていうか、根拠無き前向き精神っていうか、そういうテレビ=芸能界的伝播っていうのも大きいんじゃないか、とか、書いてあったような・・・。

    それでやっぱり、言語も思想も確立できない、曖昧な意識で社会に向き合う多くの人々、特にある劣等意識を持たざる得ない人々、にとって、矢沢永吉的なある種の新興宗教みたいなもので。ヤンキー的な価値観っていうのは、いちばん集団としても保守的に成立しやすい。ムラ社会の中では。

    じゃあそのヤンキー的文化とか精神とかっていうのが、真ん中に何があるのかっていうと、見事なまでに、何も無い、と。ある種の寂しさを埋めるための、「アゲ」「盛り上がることの肯定」だったり、マッチョなだけでは疲弊するところの、パロディ的女性性、カワイサ、だったり。結局は、そこに、ブンガク的な内面性とか我は独りのヒトとして自分以外とどう向き合うかといった、実存みたいな意識は皆無である。
    現実的に成功すること、お金やメディア露出、といったことが何のためらいもなく結実としてモノサシになる。
    で、モトが劣等意識から来ているので、でもアナキズムとか、価値論的な反社会精神はないので、必然的に、成り上がり肯定になる。
    当然ながら、金銭その他の社会資本に恵まれていない前提、(または恵まれていても、他のどこかで自分は劣等である、と下層に設定することで安心できる)なので、結局のところ、根性主義。言ってみれば自民党大喜びの保守精神。その中での努力や苦労が報われる、という前提での集団。どうしてかっていうと、当然、現体制で既得権益を持っているヒトビトが上に立ってエサを蒔いている訳で、だから当然そうなるんですね。
    だから、当然ながら経済の仕組みでいうと、今の日本という国で言えば、どちらかといえば地方の方が、ヤンキー的になる。
    ただ一方で、不景気が長引くと、失業者が増えると。都市でも増えますね。

    一方で面白かったのは、ヤンキーという文化?が、そもそも単語もそうだけど、保守だけどアメリカコンプレックスに基づいている。
    このへん、岸田秀さんとか懐かしい人が出てきて比較解説。
    なるほど結局、当然ながらアメリカ消費文化は眩しいんですね。
    だからいわゆる不良文化的なこと、バッドテイストってアメリカ的なんですよね。
    でも厳密にアメリカ文化を輸入したんじゃなくて、憧れたひとが都合のいいようにしてるだけなんで。
    だからある種パロディ。つまり消費行動として、見事なまでにアメリカにヤられまくってる。
    それはある種、作られたイメージのあこがれがあるんですよね。アメリカの実像と関係なく。
    「アメリカ放浪する!」みたいな浪曼っていうか。
    でもそこの上で、オラがムラ、オラが家族にプライドもちたいから、日本風な、ものを乗っけてくる。扮装とか。夜露死苦とか(笑)。
    無論全部、論理じゃなくて感覚。

    戸塚ヨットスクールをはじめとして、教育とか引きこもり矯正とかの現場でも、理論なき、「情緒的な行動主義」、ヤンキー的なやり口で、むしろ支持を一部得る人もいる。

    「個人主義」と「宗教的使命感」が決定的に欠けている。それがヤンキー文化なのでは、と。
    個であることが不安なところから、あるいはその不安を認められないプライド、世間体、恐怖から始まってるからなんですかね。
    そこから翻って、家族主義になりますね。集団主義の理論前提というか、そこに行き着けば、理屈議論にならないでしょ、ということなんでしょうね。
    で、そこのところから、例えば教師モノドラマの分析で、面白い。

    いかなる問題も愛と信頼があれば解決できるという大嘘ファンタジー。

    <自由で自立した個人であるためには、何らかの知的スキルの向上が不可欠である、という信念ないし常識。これが日本の熱血教師ドラマにいちばん欠けている視点>

    うーん、そのとおり。

    理屈や検討という事柄を、パフォーマンスとしても軽視したがる美学。原点、直球、愛、信頼、気合、といった言葉たち。
    「暴力的おせっかい、という名の母性」である、と。
    ある種、ヤンキー的マッチョイズム?って女性的なんだよね。という論があったり。

    その、勢いの言葉だけあって、中身が、why?という問いを重ねると、ラッキョウのように中身のない感じ。
    そういうことを究極、神道的、日本的、天皇的なところまで、論を持っていきます。
    まあでも、それは強引なようにみえて当たり前だと思うんですけどね。
    分析されているように、ヤンキー的と斉藤さんが呼んでいるものは、僕たち誰の中でも大なり小なりある、田舎者性、ムラ社会性、だと思うんですよね。
    日本を田舎と考えた場合にその原点には当然神道があるわけで。
    神道っていうのも、キリスト教とかイスラムとかに比べると、なんとも可愛いくらいに、ある種むちゃくちゃな、気合と雰囲気だけのカッコつけですもんね。
    それは、島国の田舎で、論争や競合にさらされずに、作られたものですから。
    別にそれは、良い悪いではないんですけどね。

    で、そういう気分から、安倍政権だったり橋下支持だったり、という分析。
    それはね、僕は納得。

    で、面白かったのは、総論の雰囲気とはしては、なんとなくヤンキー的なこと嫌ってるんですけどね。
    でも。

    ムラの中で、お祭りとか行事、お年寄りを助ける。仕組み枠組みの中で現実的に体を動かす、それを盛り上げる。そういうことは、ヤンキー的気質が引っ張る。
    と長所?も明記していることですね。
    これ、確かだと思うんですよ。
    書いてますけど、大震災があって、翌日からがれきを運び始める、そういうエネルギーって、ヤンキー的なエネルギー、現実主義、行動主義なんですよね。

    だから、別に、ヤンキーだ、非ヤンキーだ、というんじゃないと思うんですよ。
    僕もあなたも誰も、「ヤンキー的な精神」と「そうじゃない精神」が、それぞれのバランスで持っていて、
    それぞれに生活や具体に応じて出し入れするんだと思うんですよね。

    うーん 非常に曖昧ですが、そんな本、そんな僕の感想だったと思います。
    漫画、映画、歌手、政治家、引きこもり問題、教育問題、ジェンダー、歴史、いろんな豊富な話題と事例を出し入れして、若干オモシロオカシク語ったりしてくれています。
    ちょこっとね、うーん・・・不意に衒学的?だったり。わかり易い例証の言葉が足らなかったり。
    ちょっとこ自分の論理展開に酔ってる感じがしたり。
    ちょこっとサブカル的現象に追随する身振りをしながら現代を考え分析する姿勢にプライドもってるかんじがにおったり(笑)。
    は、ありますけどね。でもソコソコ面白かったです。

    全体に乱雑乱筆失礼。思い出しながら、まんまなんで・・・・。

    (でもね、なんかこういう比較してもしょうないんですけど、小熊英二さんの方が好きかな・・・今のところ。)

  • ヤンキー的なものとは何か。ヤンキーはどこから来たか、どんな存在か。
    ヤンキーのもつ関係性原理の中から、その文化の本質は、中核ではなく周縁・形式に宿ることを解き明かし、最後は古事記や橋下まで。
    なんとなくわかったような、説明しろと言われると困るような。

  • この本を読む前に、水道橋博士の「芸人春秋」を読んだ。読みながらずっと気持ち悪さを感じていて、それは私がテレビを見ないからの違和感だと思っていたのだけれど、この本を読んでちょっと腑に落ちた。芸能界はヤンキー文化圏だからだ。

    ヤンキーの行動様式、ヤンキーの美意識、などが書かれておりまして、アゲアゲの体当たり至上主義、反知性主義、「地元・絆・仲間」志向ゆえの保守なんて、言い得て妙です。

    そんなすべてが、個人的にはとても苦手だけれど、日本でブームになるものは、ほとんどヤンキー文化の支配下にあるという、ね。大衆にウケたければ、ヤンキーテイストを活用すべし、か。

  • 良い出会いがあり、読むことが出来た本。

    ヤンキーというジャンルは、私とは縁の無い話かな〜と思いきや、身の回りのヤンキーなものの多さたるや!

    EXILEに始まり、キムタクと白洲次郎、矢沢永吉、金八先生。
    これらに共通するのが「ヤンキー」。

    ヤンキーな人物はそれぞれ夢を持っているけども、その夢は、ロレックスの時計や一戸建ての家といった世俗的な夢が多いとのこと。

    本書では、そんな世俗的な夢について、以下のように述べている。

    「世俗的な夢が悪い、というわけではない。ただ、彼らの無垢なる夢は、それが最初に胚胎した時点において、ある種の矛盾を抱え込んでいることは指摘しておこう。きわめて個人的なものであるはずの夢が、同時にきわめて世俗的な欲望に基づいているということ。彼らが「夢の大切さ」を語れば語るほど、それが社会における集合的な欲望を形成する共同幻想(たとえば『ヘテロセクシズム』)を強化してしまうということ。」(p.141)

    ヤンキーの憐れさが見て取れる。

    この箇所だけ見てしまうと、ヤンキーについて痛烈に批判しているように思える。

    実際、著者も言い過ぎなた感じは自覚しているようだが、本書はその一方で、愛すべきヤンキーについて、温かい眼差しも伺える。
    そこが私は素晴らしいと思う。


    本書を読んで、新しい視点を持てた。
    出会いに感謝。

  • ヤンキーをキーワードに
    ヤンキーのみなさんの生態を
    心理学の側面から分析しています。

    ヤンキーは母性的なつながりを重んじ
    ファンシーものをたのしみ
    とてもいいやつたち!みたいです。

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著者プロフィール

斎藤環(さいとう・たまき) 精神科医。筑波大学医学医療系社会精神保健学・教授。オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン(ODNJP)共同代表。著書に『社会的ひきこもり』『生き延びるためのラカン』『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』『コロナ・アンビバレンスの憂鬱』ほか多数。

「2023年 『みんなの宗教2世問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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