自分自身への審問 (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
4.25
  • (5)
  • (5)
  • (2)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 79
感想 : 9
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043417100

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 初読。病に倒れる前と後で辺見庸は変わったのか。考えることににブレがないから変わらないともいえるし、切り捨てる、突きつける刃の鋭さがいよいよ増していて、変わったともいえる。自らに迫る刃の鋭さがますます容赦ないことにも驚嘆する。死を前にしてなお強靭な姿勢には平伏するしかない。

  • ドキュメンタリー作品「もの食う人びと」が面白かったので、
    それにつられて、何となく買った作品。

    が、内容は世界各国で記号化された土地を
    わざわざ訪問したリアリティと博愛が混在する同じ著者とは思えないほど、
    次々と研ぎ澄ました刃で自傷するかのような暗鬱な内省を展開している。

    「もの食う~」の取材から帰ったのち、脳出血と腸ガンを立て続けに患い、
    文字通り、死と隣り合わせになった著者。

    その半身不随の身体と記憶の多くを消失した脳みそで、
    世界を、経済を、思想を、文化を、システムを、文学を広角な目線から批判し、
    その批判の急先鋒にいつも著者自身の自己を据えている。
    自分が自分を批判する構図。

    本書を通じて挙証されるテーマは無数にある。
    恐らくは、読んだ人の数だけ、解釈を許す多義性があるが、
    僕が最も心惹かれたのは、文書を書く人間として「衒う」という営為。

    この衒いが、必然的に、唯只管に自己を内面を見つめるだけの眼の存在を焙り出し、
    「無自覚な罪障」と名付けた、自らの深い罪過のありようを見つめる。

    内省によって新たな内省を求められ、その内省が別の内省を要請するが、
    本当に最後の部分は、僕が読んでも書ききれていないと分かる。
    けれど、その書ききれてない様も詳らかにすることで、
    人間としての自己の浅慮と愛と虚無の混在する多面性を浮き彫りにしている。

    「語ること、行うことの底方の不実」の罰は「生涯にわたる沈黙」。
    どこまでも衒いがつきまとう。

著者プロフィール

小説家、ジャーナリスト、詩人。元共同通信記者。宮城県石巻市出身。宮城県石巻高等学校を卒業後、早稲田大学第二文学部社会専修へ進学。同学を卒業後、共同通信社に入社し、北京、ハノイなどで特派員を務めた。北京特派員として派遣されていた1979年には『近代化を進める中国に関する報道』で新聞協会賞を受賞。1991年、外信部次長を務めながら書き上げた『自動起床装置』を発表し第105回芥川賞を受賞。

「2022年 『女声合唱とピアノのための 風』 で使われていた紹介文から引用しています。」

辺見庸の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×