- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043625024
作品紹介・あらすじ
スプーン曲げの清田益章、UFOの秋山眞人、ダウジングの堤裕司。一世を風靡した彼らの現在を、ドキュメンタリーにしようと思った森達也。彼らの力は現実なのか、それとも……超オカルトノンフィクション。
感想・レビュー・書評
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超能力者に取材したノンフィクション。
超能力を信じるか、信じないかは別にして面白いですよ。メディアとかに食いつぶされて大変な思いをした人も多いと思うので、そのへんは何とも言えない思いもありますが。正直、私としてはあってもなくてもどっちでもいいんです。事によってはわからないということが面白いんです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」内の福岡伸一さんとの対談にて話題にあがっていたので手にとった。
3人の超能力者を長年にわたり追いかけたドキュメンタリー。スプーン曲げの清田益章さん、大槻教授と対決していた秋山眞人さん、ダウジングの堤裕司さん。私自身は直接テレビで見た記憶がないので、あまりピンとこなかったのだけれど、当時は熱狂的ブームになっていたとのこと。
超能力そのものというよりも、超能力者の人間としての背景に迫るノンフィクション。波乱万丈の物語がフィクションのようだった。 -
タイトルは笑える。
職業がエスパーとはどういうことだ。コメディなのか? と思わせて、その実、ものすごい重い題材を取り扱っている。
書き手はドキュメンタリー映像監督。有名な作品はオウムを取り扱った「A」シリーズだそう。
エスパーというものについて、当人以外、いや、もしくは親しい人がエスパーでもない限り、「あ、うんSFとかに出てくるアレだよね」となる。
私は、信じる信じないでいうと、信じてない。
著者も信じる信じないでいうと、そこははっきりとしない。信じるとは言い切れないというスタンスである。
エスパーを職業とする彼らのドキュメンタリーを撮りたいとして、まず、企画書を作り、お金をもらってくる必要がある。
その時、お金を出す人たちは問いかける「本当に信じているの?」と。ネタとしてエスパーを取り扱うのではなくて、職業をエスパーとしているただの人を主体とした場合、企画は通りにくい。その状況すらも著者は語る。
語るとは何か。
なぜ語るのか。
エスパーという、日常ではあまり使わない職業を選んだ彼らに、周囲の人に、わざときつい言葉を投げて反応を見る。そしてそんな言葉を投げる自分に傷つく。しかし、傷つけても、傷ついてもみたいものがあるという姿勢がすごい。
これも数ヶ月前に読んで、言葉が出てこなかったもの。
再読したい。 -
ドキュメンタリーなの?と思わせるくらいの浮世離れ感。読みやすく、ところどころフィクションの小説かと錯覚してしまった。それくらい、出てくるキャラクターたちの個性も強くて。
でも、これがドキュメンタリーなんだってことにこの作品の面白さ、深さがあるなぁと思います。
「信じるか、信じないか、結局その質問にしかたどり着けない、自分はその程度」という作者の言葉がとても印象的でした。あなたは信じますかという問いを尋ねたい訳でもなく、そこに固執したいのでもないけれど、やっぱり聞かざるをえない。すごく正直な作者だと思った。
そして私もやっぱり「えー嘘だろう」と思い続けてしまった。
途中の作者の葛藤すら、面白かったです。 -
森達也がテレビのドキュメンタリーの取材をきかっけとして長年追いかけてきた3人の「エスパー」- オールマイティな秋山眞人、ダウジングの堤裕司、スプーン曲げの清田益章 - についてのノンフィクション。ドキュメンタリーと言ってもいいのかもしれない。
スプーン曲げの清田氏は、一時はTVで頻繁に取上げられていたらしいが、自分の記憶にはほとんどない。ユリ・ゲラーの記憶もほとんどないので、ぎりぎり少し前の世代の記憶なのかもしれない。彼らがそんなに稼いでいたというのも驚いた。
スプーン曲げ含めて自分はまったく信用しておらず、トリックに違いないと思っていた。これまで、ラスベガスでクローズアップマジックも見たし、アメリカでホームパーティに来ていたマジシャンが目の前でやってもらったマジックも見た。全くどうやっているのか分からないし、素晴らしい技だと思った。でもタネはあるというのが前提だ。マジックと超能力はタネの有無を前提とするのかの違いがある。
森さんが何か嘘やごまかしをしているとは思えない。また、そこで感じているリアリティも本物だと思う。清田氏の実家で、両親を前にして聞いた幼き頃のエピソード(テレポテーションや宇宙人まで出てくる)の会話も、内容はある意味トンデモないのだが、妙なリアリティがある。3人のエスパーたちもこんなに長きの間、嘘をつくメリットもないだろうし、ダウジングの堤さんは性格なのか、あえてやる必要のないリスクも取っている(しかも時々外す)。この本を読んでいると人との付き合いの中で何かを判断するというのは難しいものだなと思う。
超能力はあると断言できず、それでも彼らを信じることもできる。全く矛盾した感情を抱えて進む物語に引き込まれる。そして最後には能力があるかどうかで困惑などする必要などなく、「自分を信じ、他者を信じ、日々を送る彼らを僕も信じる。彼らの人格を信じる」と結論づける。彼らへのまなざしは信頼に溢れている。「彼らとの付き合いは今後も続く。これには確信がある。被写体として興味が持続しているからじゃない。彼らを好きだからだ」となる。そしてその影響を受けて、自分も心の底からは信用していない本の中のエスパーたちに肩入れしてしまうのだ。そう感じてもらえないかもしれないが、面白かった。 -
「少なくとも我々は嘘をついていない」という超能力者に対して、一体何が言えるのか。何も言えない。
著者の視点にはいつも世界観が揺さぶられる。 -
図書館で借りてきた本。
森氏のこの手の本は結構好きだ。
彼の書く本の構成は今まで読んできた中で言うと正直「ワンパターン」だ。映像としてのドキュメンタリーは見ていないのが残念だが、撮影対象とどう出会い、どう撮影し、その間にどう思い、物事を進めていくのか、考える過程が分かって面白い。おそらくわたしもカメラは抱えていないものの、対象物とどう出会って、どう向き合うか、と言うことを文章で書くとこうなるんだろうなあと思わせる。
この本を読んで思ったのは「超能力者」は差別されているということだ。テレビで「スゴイ」ともてはやされても、結局は「科学的に証明されない」ということになり、ウソつき呼ばわりされる。そういう意味ではものすごいテレビの被害者なのだが、なぜそれでもここに出て来た3人はこんなに優しいんだろう、と思う。
人が想像を絶することであればあるほど(例えば宇宙人と会ったとか)彼らは「テレビでは流さない方がいいよ」とか「しゃべりたくない」って言うんだよね。多分、これは周囲の人にいくらいっても信じてもらえなかった、という彼らの体験があって、それでそう言わせてしまうんだろうなあ、と思った。と同時に一方では「超能力者」と讃えながら、その実番組を作っている人はそれを「本物」とは認めない。認めると視聴者からの苦情の電話がかかってくるからだ。
もちろんそれが真実かどうかはわたしも見たわけじゃないから分からないし、もし見たとしても(この著者のように)信じられない」かも知れない。
「想像を絶する」ということを認めたくない人間がいる。おそらくわたしもそのうちの一人だろうし、そしてまた森氏も同じだ。だが、彼の書く文章から、彼が「信じるか信じないかは曖昧の間までいい」という結論を出しながらも、わたしは少し「信じてもいいんじゃないかな」と思い始めている。。
それは多分、森氏が「信じていないですよ」と言ったあと、自分自身呆然とした、ということとおそらく似ているのではないかと思う。もしかしたら心では9分9厘信じている、のかも知れない。が、どうしても「信じている」とは言えない。そんな状態なんだろう。
とにかくここに登場してくる3人の超能力者は、とても魅力のある人物だった。幸せになると超能力は鈍くなるそうだが、わたしは彼らの今後の幸せを願っている。 -
本当に見たもの、感じたものが全て。
追い込まれて一線を越えた先になにかある。
星空を見ようと思う。