柳田国男 山人論集成 (角川ソフィア文庫)

著者 :
制作 : 大塚 英志 
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784044083137

作品紹介・あらすじ

日本の先住民族の末裔で、山姥や天狗のような姿をもつと考えられた「山人」。彼らは一体何者なのか-。柳田が記した膨大な「山人論」の成立・展開・消滅の過程がわかるよう、その著作や論文を編者独自に再構成。「山人論」の変容と柳田の学問や文学の核心に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 「柳田国男の「山人論」とは、日本の山中には先住民族の末裔が今も生存しており、その先住民族の姿を山人や山姥・天狗などと見誤って成立したものだという仮説である。」(大塚英志のあとがき)

    編者の大塚英志は「明治国家は抗争史の勝者としての天皇家の人々を軸に記紀に倣って歴史を描こうとしたが(略)柳田の山人論は「敗者」あるいはマイノリティーの側の視点を持った」ものだったという。「山人論は多文化民俗学という側面を持っていた」という評価もできるらしい。その評価に、私も同意する。

    とは言え、大塚さんの柳田傾倒・柳田礼賛には、少し引いてしまう面もある。例えば、せっかく一章を設けて、柳田国男・南方熊楠往復書簡を紹介しているのにも関わらず、紹介は明治年間で終わっていて、大正5年に熊楠が柳田に送りつけたという決定的な批判は紹介しない。以下その批判を、少し長いが紹介する。

     山男山男ともてはやすを読むに、真の山男でも何でもなく、ただ特種の事情より止むを得ず山に住み、世間に遠ざかりおる男というほどのことなり。それならば小生なども毎度山男なりしことあり。小生らが従来山男として聞き伝うるは、猴類にして二手二足あるもの、原始人類ともいうべきものなり。貴下の山男の何々といわるるは、尋常の人間で山民とか山中の無籍者とかというべきものなり。こんなものを山男と悦ぶは山地に往復したことなき人のことで、吾輩毎度自分で山中に起臥したものなどに取っては笑止と言うを禁じ得ず候。(岩波「図書」2022年12月号「柳田、南方山人論争と中国の山人」より)

    この手紙の影響もあってか、柳田はその後山人実在論は放棄し、平地人がみる「幻覚」としての山人論にシフトするのであるが、それを大塚英志は柳田が自覚的にシフトしたかの如き記している。それは柳田擁護でしょう。ちなみに、現代はいないとしても仮に古代までは山人=先住民族が居たという説には、私はそれは空想的だと考える。令和の現代までに、日本列島は隅々まで開発され尽くした。その過程で、そういう「特異な」文化を持った民俗や古代遺跡は、未だ発見されていないからである。つまり縄文人=山人ではない。(サンカの人々との関係については、長くなるので割愛する)

    それにも関わらず、柳田国男の「山の人生」は、未だ読まれ続けており、やがて古典としての位置を確定させるだろうと思う。

    何故ならば、大塚英志も柳田「山人論」の特徴は、日本の植民地政策へのカウンターカルチャー提起であるのと同時にロマン主義と自然主義文学であると喝破しているが、私も本書を読んで本旨に関係ないところで、いろいろと刺激されたからである。例えば、我が郷土岡山県の県北地域の事を書いている部分がある。

    明治の末頃にも、作州那岐山の麓、日本原の広戸の滝を中心として、処々に山姫が出没するという評判が高かった。裸にして腰のまわりだけに襤褸を引き纏い、髪の毛は赤く眼は青くして光っていた。或る時も人里近くに現われ、木こりの小屋を覗いているところを見つかり、ついにそこの人夫どもに打ち殺された。しかるにそれをよく調べてみると、附近の村の女であって、ずっと以前に発狂して、家出をしてしまった者であることが分った。(第5章「女人の山に入る者多きこと」より)

    山姥や神隠しが頻繁に起きていたのは、つい最近までだった。それが起きたのは、先住民族文化があったからではなく、おそらく当時の社会事情と普遍的な「人間の苦悩」があったからだろう、と推測されるからである。那岐山の麓、日本原には現在自衛隊基地があり、広大な平原が続いている。ここ数年、日曜日に基地内には簡単に入れなくなったが、何度も通った土地であり手付かずにの自然が未だのこっている場所でもある。イメージが湧きやすい。昔も今も、人の人生にはドラマがある。

    神隠し、山男、山女伝説、天狗伝説、鬼の伝説、豊富に紹介された物語から、日本人はこれからもさまざまな天啓を得るのではないかと思う。

  • 柳田國男の山人論関連の文献を集めた本。
    確かにパブリックドメインになったとしても、
    本書のように一つのテーマに沿ってまとめてあると
    初学者には非常にありがたいと感じた。

    各所の地名に山岳民族としての日本人の名残が
    見られるのは興味深い。

  • 柳田国男は「山人」を、はじめ日本の先住民族の末裔と考えていたらしい。海をわたってきた倭人(大和民族?)が、先住民族を隅に追いやって、結果、先住民族が山に立てこもったということが、実際古代にあったと考えられないでもないが、冷静に考えて、彼らがほとんどそのまま江戸・明治付近まで、ずっと山に住み続けたというのは考えにくい。
    柳田国男もそう思ったのか、『山の人生』の頃にはこの考えを撤回したようだ。
    この本の編集者大塚英志氏の考えでは、もともとロマン主義的なパッションを秘めていた柳田が、結局そのような自己を抑制したということになる。
    ロマンというか、柳田国男がひどく文学者気質であることは間違いない。かれは田山花袋にネタを提供して小説を書かせていたそうで、花袋の短編が2つ、巻末に載せられている。
    柳田と南方熊楠との往復書簡も載っているが、全部ではないようだ。熊楠のバイタリティが強烈なので、このやりとりを読んでいると、熊楠のほうが存在感が圧倒的である。互いのスタンスを痛烈に批判し合った書簡はここでは省かれているようだ。

  • 柳田の山人関連の著作等を纏めた一冊。
    成る程大塚英二が書く柳田で引用されるものが多い。当然か。

    手拭い調の表紙のシリーズであるが、製本の悪いのに当たってしまったのか背の辺りを上から見ると本文が浮いているのが少し残念だった。余白もかなり削って狭い感じがする。

  • 柳田国男の山人論を再構成したもの。編纂は大塚英志。
    色々と興味深い内容だった。山人ってある種のロマンだよなぁ……。

  • 『幽冥談』『怪談の研究』(版は違うが)『山の人生』は先に読んだことかあるが、こうして各段階ごとに編集されているとまた思想の変遷がわかって面白かった。
    日本も多民族国家だったという視点はアイヌ以外では今の日本では感じにくい。各地の風土記で中央に反抗する勢力も「異民族」というより「現地勢力」または「地元民の先祖」のような感じにとられる。そういう視点を知ると当時の情勢はもちろん、想像・ロオマンスのなかの幻にもとれる。
    ロオマンスをしつこいほど繰り返す田山花袋の目にうつる柳田国男はこんな感じかと、生暖かい目で見守る?観察する?ような気持ちになった。

    また機会を見て細かに読んでいくつもりだけれど、ひとまず読みきった漠然とした印象では、「日本の川」のような流れと思った。
    漠然としてはっきりせずロオマンスと自然に溢れる源流から、信仰と異民族が跋扈する山岳部を抜け、山と人間社会が接する里山、現実世界である平野を越えて、海にいたる。
    ぼんやりとして個人的憧れにも結びついた初期、山人への夢想、博覧強記の熊楠、移り変わる思想はきっかけ・背景も含めて面白い。
    『海上の道』も先に読んだけれど、あれも結局山が海に変わったのでは?とも思った。

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著者プロフィール

1875年生。民俗学者。『遠野物語』『海上の道』などの著作により民俗学の確立に尽力した。1962年没。

「2022年 『沖縄文化論集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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