ゼロから学ぶ経済政策 日本を幸福にする経済政策のつくり方 (角川oneテーマ21 A 125)
- 角川書店(角川グループパブリッシング) (2010年11月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784047102576
感想・レビュー・書評
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今の日本は過去に比べて勢いがない。いまより豊かでなかった時期もあるだろうが、何度も首相が交代しているように、有効な経済政策を見出せない。個々がゆたかになるライフプランをたてることも必要だが、日本自体にも豊かになるプランが必要だ。
経済政策を考える上での指針は、成長・安定・再分配であり、この3つのベクトルがどこに向かっているのかを意識して見るだけでも政策内容がわかってくるという。
GDPの成長を考えると、要素は「資本」「労働力」「技術」と3つある。その3つの要素のうちどこに着目した政策なのかを考える。ひとつだけではなく、組み合わせた方策というのもある。どれを行うにせよ最終的には政府主導でなく、人々が目標にむけて動く自由主義を盛り込んだスタイルをとらないと経済は成長しない。つまり上下分割方式(下が公的、上が市場競争)といったプランが必要なのだ。
景気の安定と成長には、2つの真っ向から対立する2つの思考法がある。ひとつは、経済は景気がよくなったり悪くなったりする周期的な循環のなかで成長が促されるというもの。一部の企業がだんだん時代遅れになって淘汰されていき、変わりに成長産業に変わる。これを国が救済することによって淘汰のメカニズムが働かなくなり、成長しなくなるというもの。もうひとつは、景気の良し悪しはおしなべてならしてしまうほうがよいというもの。どちらも一理あるが、どちらかに偏らないほうがよいようだ。
再分配では、生活保護などがあるが、現金を支給することにより、かえって働く意欲をそいだり、競馬などですってしまうケースもあるので、一部を食料や教育のバウチャーにするなど、支給の方法を検討したほうがよい。現金で支給を行うのであれば、例えば「給付付き税額控除」のように、ベーシックインカムを設定し、それに達するまでは政府が給付をし、働いて得た収入がある上限に達するまではそこから減額されていくというシステムなどは有効だと思われる。また、「大きな政府・小さな政府」を意識しすることも必要。日本は、大きな政府(権限面)、小さな政府(財政面)できた。今後それをどうするかという意識は必要となってくる。政府機能の規模をどうするのか、は避けて通れない課題となる。
難しい用語が出てくるわけではなく、文書もわかりやすく、具体例も多い。経済政策というおおきなテーマを考える上で、こうした本が多くでてくれば、「経済」に対するアレルギー的な先入観が取り払われ、もっと経済を身近に感じることができると思う。
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経済政策について、読みやすく書かれた本。
同時に経済学を勉強している人にとってもとても勉強になる本。
若きエコノミストである筆者が随所に自分の見解を説得的に書いていて、結果それが普通のエコノミストの観点には見られない、いい意味で新鮮で今まで顕在化してこなかった経済学的視点を明らかにできている。 -
「和解する脳」は、「単純な脳、複雑な「私」」の池谷と、「和解させたい」弁護士鈴木の対談、そして「ゼロから学ぶ経済政策」は「オーソドックスな」経済学者による経済政策解説。後者に関しては、いかに同書がオーソドックスであるかをこう強調している。
オーソドックスありきのオルタナティブ - 『ゼロから学ぶ経済政策??日本を幸福にする経済政策の作り方』(角川Oneテーマ21)発売によせて - SYNODOS JOURNAL(シノドス・ジャーナル) - 朝日新聞社(WEBRONZA)
わたしがこれまで書いてきた本と同様に、本書で解説されるのは、手垢にまみれ、使い古されたオーソドックスな経済学の知見です。前著『世界一シンプルな経 済入門??経済は損得で理解しろ』に対する小飼弾氏の書評(404 Blog Not Found(2010/3/13): ペア書評 - 行動経済学/経済は損得で理解しろ!http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51416905.html)で指摘される通り、毎度ながらわたしの著作は「古典的な経済学の枠組み」から逸脱しません。そして、今回もあまり「破」も「離」もしませんでした。なぜならば、ここにこそわたしがメディアのなかで知ってほしいことが集約されているからです。
にも関わらず、いやだからこそ、オーソドックスな経済学が見落としていた、いやシカトしていたある感情に、このような配慮をしている。
「ゼロから学ぶ経済政策」P.176
経済理論では「エンビー・フリー(Envy-Free)の原則」、つまり人々の間に嫉妬が起こらないという過程の下で、さまざまな理論や政策構想が行われています。しかし、このエンビー・フリーの原則ほど、現実に当てはまらない条件もないかもしれません。自分の経済水準が変わらないのに、誰か別の人が金持ちになっていくということに人間の感情はたいてい耐えられません。逆に…自分がちょっと貧しくなってでも他人が大金持ちになるのを防ごうという思う人も少なくないでしょう。このような嫉妬の感情が支配的になってしまうと、経済政策の本道を行うことができなくなってしまいます。
このことは、脳科学者の間でも常識であることを、池谷は「和解する脳」でこう明かしている。
「和解する脳」PP.220-221
ヒトはカネを使ってまで不正をただす
池谷 マネーに関して、われわれ脳研究者のあいだで有名なゲームに、アルティマ・ゲーム(ultima game)というものがあります。
鈴木 アルティマ・ゲーム?
池谷 ほんとに簡単なゲームなんですよ。2人に参加してもらうのですが、片方の人が第三者からお金をもらうんです。たとえば、1万円もらいます。で、もらった人は、もう片方の人にも分け前を与えるんですが、いくらわけてもいいんです。全部自分で取っちゃってもいいし、全部あげてもいい。ただし相手側は、もし取り分が不満だったらそれを拒否することができる。拒否すると両方の取り分がゼロになっちゃうんです。では1万円もらったとして、鈴木さんならいくら渡します?
1円以上であれば拒否せず受け取るというのが「経済学的」な正解であることは経済学者でなくてもわかる。ところが1,000円や2,000円だと、相手だけではなく自分も損なのに、拒否してしまうというのがこのゲームの面白いところだ。拒否されないしきいは4,000円ぐらいにあるそうだ。
このアルティマ・ゲーム、有名だけあって行動経済学を扱った本であればほぼ必ず登場するのだけど、ここで私はつっかかってしまうのだ。「逆に…自分がちょっと貧しくなってでも他人が大金持ちになるのを防ごうという思う」気持ちが、わからないので。このことは以前にも「404 Blog Not Found:メシウマってどんな味? - 書評 - 嫉妬の力で世界は動く」をはじめ、何度か本blogで書いている。
しかしそういう気持ちが存在することを前提に行動しないと、思わぬところで足をすくわれる。私がサリエリだらけのこの世でモーツァルトより長生きできた理由は、これが一番だと踏んでいる。
で、ここからはさらに仮説なのだが、実のところ人の感情を「フルセット」で持っている人というのは意外に少なくて、かなりの人が「足りない」感情を「エミュレーション」で補っているのではないか?いや、それどころか「嫉妬」のような社会的感情というのはどの程度「プリセット」されているのか。「嫉妬がない」人が人生のあちこちで損をする姿を横目でみながら、「こうすればよい」ことを後天的に学習しているのではないだろうか?
Free Won't しかない世界においても、メニューそのものを増やすことは不可能でもなんでもない。「このメニューにないアイテムは存在しないのですか」と問うことも含めて。
それこそが、科学の効用ではなかろうか。
PP. 231-232
鈴木 科学って、最初に始まったころには、おそらく「知る技術」みたいなものだったわけですよね。知ることによって予測性を高めて、生存確率を上げてきた。つまり、人間がよりよく生き残ってゆくための知恵として始まったものだと思うんです。
池谷 確かにそうです。知恵はよりよい未来に向かって開けています。じつは、脳そのものについてもこれは真で、たとえば「脳の機能をひとつだけ挙げよ」って言われたら、間違いなく「予測」ですね。多様に見える脳機能もつきつめると、ほとんどすべて予測おnためだと言っていいくらい。予測のために、記憶や学習をするし、時には快を欲したり、恐れたり、あるいは価値判断をしたりする。
でも、脳の予測性はそんなに高くないから、科学が脳の予測性を補完するという形で、人間が人類のために編み出したわけです。科学についての実用性という見方はまったくそのとおりですよね
だとしたら、経済学が科学になるためには、嫉妬という感情をきちんと扱えるようになることが絶対に必要なのではないだろうか。私ですら薄々それに気が付いているのである。世の先生方がそれを見て見ぬ振りをするのは、科学的態度とは言い難いはずだ。