現代日本の文学 (50)遠来の客たち たまゆら 妖女のように 蠍たち みち潮 思いがけない旅 他

  • Gakken
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  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784050502608

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  • 「曽野綾子を読んでみた」第2回

    『遠来の客たち』を読んでなかなか面白かったので、続けて曽野綾子を読んでみることにしました。

    さて何を読もうか。とりあえず、文学全集の中から選んでみよう。当時のベスト盤だし、解説や目録もついてますからね。どの文学全集にするかは即決でした。学研から出ていた「現代日本の文学」第50巻「曽野綾子・倉橋由美子・河野多恵子集」。これに決めたのは、金井美恵子の文学紀行が付いていると岡崎武志・山本善行『新・文學入門』(名著です!)に教えられたから。「なんか、いやいや書いてる感じがいい」とのこと。
    お~、どんな代物なんだろう。さっそくそこから読み始めました。

    しかし金井美恵子と曽野綾子なんて全然そりが合いそうにないなあ……と思ったらさすがにそれはなくて、目白のおばさんは倉橋由美子と河野多恵子の担当。うん、この二人との組み合せならわかる。
    さて金井美恵子「倉橋由美子文学紀行 幻の土地を求めて」の内容はというと、「のっけから打ち明け話をするつもりではないが、どちらかというと私は旅嫌いであり」と始まり「風土糞くらえ!」「わたしは意地でも倉橋由美子の小説を風土とは無関係に読みたいと思う」「わたしはこの読書という行為によって存在していた幻の土地を、たかだか現実の土地によって浸食されることを好まない」とまあ、金井美恵子は昔から金井美恵子だったのだ。
    これに関しては全く同感で、奥野健男も巻末の解説で「だいたい倉橋由美子の伝記を書くぐらい、文芸評論として無意味でこっけいな仕事はないだろう」と書いています。

    「河野多恵子文学紀行 わたし自身の内なる旅」は、わたしはずっと大阪嫌いだったが今度旅をしてみて大阪好きになった、高校生のころ河野多恵子を愛読していた、美恵子という自分の名前は「ちょうど倉橋由美子の美と、河野多恵子の恵を結んだ名前で、それは小説家として極上のものに思えたりし」た、等が記され、ブランショ『木の橋』を引用して語るものについて考えるところで終る。
    そしてこの一節がたいへん美しかったので、かなり長くなるけれども引用します。

    「今は道頓堀のそのあたりには材木問屋が並び、きつい木のにおいと電気ノコで切られた木屑が風にまじって目を痛める。河野多恵子の家はこのあたりだったろうという見当の少し先きに、宝船冷蔵と白い文字で書いた古い建物があり、ホーセンレーゾーと口に出して言ってみると、なにやら奇妙な、まるでお経の一部の文句のような響きがある。この奇妙な響きを持った言葉を少女だった河野多恵子は何回も口の中でつぶやいてみたことがあるのではないだろうか。わたしはホーセンレーゾー、ホーセンレーゾーと、眼を閉じてつぶやいていると、魔法の呪文をとなえているような気持になってくるのだった。こうして奇妙にエキゾチックな少女期の感覚の甘美で切ない記憶をよみがえらせるような呪文をとなえてみると、どういうわけか、幻の土地の風物たちは、わたし自身の内なる記憶の土地に持つ秘かな切なさを媒体にして、ひといきに幼少期の黄金として、柔わらかな輝きを持ちはじめる。すなわち高知も大阪も、それは決して至りつき得ない秘密の感覚、幼い少女の甘やかな首筋のあたりに匂う感覚として、二人の作家の内にあるものなのではないか。わたしにとって、この二つの旅は、わたし自身の幼少期への旅でもあった。ホーセンレーゾーや、土佐山田駅の線路の枯れた雑草や鏡川の夕暮れの川面の輝き、小学校の午後のたたずまい、阪急駅の華麗な装飾のドーム……、それ等のものは、そうしたその土地の固有さを通して、わたしの記憶の時間を、あの失われた土地へ向って逆行する」

    旅先での発見が幻の記憶をよみがえらせ、それが自分の記憶と一体になる。鮮やかなロマンチシズム。美しい紀行文。まるで『噂の娘』を先取りしていたかのような気にさせられてしまう。
    写真も載っているけど、目白のお姉様ファッショナブル!「水掛不動の前でひしゃくを手にかける金井美恵子氏」の写真がなんだか笑えます。

    このように倉橋由美子と河野多恵子の文学紀行はむしろ反文学紀行とでも言った方がいい代物でしたが、一方「曽野綾子文学紀行 人生にかかわる場所」はこれから小説を読む読者に親切で、いい手引きになる、これぞ文学紀行と呼びたくなる出来映えでした。著者の鶴羽伸子は曽野綾子の友人。
    まず曽野綾子がタイの赤土を見て書いたのが『無名碑』で、トルヒーリョ独裁下のドミニカの風光の下に生まれたのが「リオ・グランデ」だと紹介。そして彼女の人生にかかわりを持った土地は東京の下町と箱根と金沢だと語ります。

    曽野綾子というと山の手のイメージが強いけれど意外にも生地は葛飾の本田で、江戸川の中洲を舞台に『海抜0米』「妙見島夕景」「青巌寺風景」を書いています。「妙見島夕景」は鶴羽伸子もお気に入りの短編だとか。
    そして占領下に箱根のホテルで米兵相手にアルバイトをしていた経験から出来上がったのが出世作「遠来の客たち」。和洋折衷の混合の美が支配するホテルだとのこと。
    曽野綾子は戦時中金沢に疎開してきました。鶴羽伸子と出会ったのも金沢。自伝的長編『黎明』、本書所収の『たまゆら』には金沢が登場します。「白膚の人と堀の町 金沢」という文章もあるらしい。
    鶴羽伸子は年譜も書いています。これは短編の初出を(完全ではありませんが)よくおさえたもので、読んでいて感動しました。こうしたものは作家入門として非常にありがたい。初期の曽野綾子が短編作家だったのが一目瞭然です。

    さてやっと本編。曽野綾子集は「遠来の客たち」『たまゆら』「永遠の牧歌」「初めての旅」の短編三作と長編一作という構成。
    「遠来の客たち」は再読。……やはり退屈。しかし鶴羽伸子と奥野健男の解説を読むと、発表当時の空気が伝わってくる。敗戦後、連合軍に摂取された富士屋ホテルで働く主人公が卑屈にもならず糾弾調にもならず、アメリカ人と対等に付き合っている清新さに、皆が驚いたのだという。なるほど、当時の感覚では名作だったのかも。昭和二十九年ですからね。
    『たまゆら』は、ふらふらと女を渡り歩く清彦と、それを微妙な立場で見つめる敬子の物語。ところどころ散漫だけど、意欲作です。清彦は人を愛するということができない人間なのでしょう。そしておそらく、敬子も。二人は恋人めいた関係にも一瞬なるのですが、本質的には恋人同士ではない。共犯者、というのが一番近いかもしれない。愛の不毛を観察する作者の瑞々しい倫理性を感じます。
    清彦を縛りつける母親も印象的で、母と子の葛藤を描いている小説でもある。
    ただ……清彦と敬子以外の登場人物に魅力がなく、構成の締まりも悪いので、読んでいてちょくちょく飽きかけました。間違っても名作ではないし、人にすすめようとも思わない。しかし作者の意気込みは心地よく、暗めの話なのに読後感はすがすがしい。やはり、意欲作です。
    残る二編は普通の娯楽小説。「永遠の牧歌」はオーストラリアの若い恋人たちの死別とその後を描く優しいメルヘン。「初めての旅」は不良少年二人が盗んだ車で遠出する様をバカンスのように暖かく描く。曽野綾子の数々の暴言を知らなかったら「著者の優しい人柄を感じさせる作品」と形容したくなる二作で、そこそこ面白いのだけど、わざわざ文学全集に入れるほどでもないような……。「鸚哥とクリスマス」「バビロンの処女市」あたりを入れた方がよかったのでは?

    こうした疑問は倉橋由美子集にも感じました。
    「妖女のように」これつまんないでしょ!主人公の俗世への嫌悪が型通りで古臭くて、読むのが苦痛でした。倉橋由美子にしては珍しく自伝的要素があったから選んだのかな?
    「パッション」は良心の呵責を感じない殺人者を描いているのだけれど単調で刺激がない。
    「蠍たち」は双子の殺人者の話で、こちらは少しよかった。周囲の人間の醜さがよく出ていたし、排泄物にまみれて正気を失った母親をいやいや介護する小説としての側面もあり、カフカ『変身』を裏返したかのような趣きも。
    この時期の倉橋由美子だったら「パルタイ」『聖少女』を入れればよかったのに。共産党を批判して組織が個人を押しつぶす構図をスマートに活写した「パルタイ」、少女の妄想を極限にまで高めた『聖少女』、どちらも完成度は本書収録作とは段違いで、編集に疑問だな。

    河野多恵子集は「みち潮」「思いがけない旅」「明くる日」「塀の中」「劇場」「最後の時」の短編六編。
    この中では「塀の中」が圧倒的!戦時中、軍事工場で働かされる女学生が迷子を見つける所から始まる一種の密室劇で、緊張感が只事ではない。解説の奥野健男が大江健三郎「飼育」と並べて論じているのにうなづきました。確かに「飼育」だこれ……。いやーいいもの読んだ。
    残り五編はそこそこで、お行儀のいい純文学という印象。日常生活の中に忍びよる不穏というのがテーマとして多い。先駆的なショタコンSM小説「幼児狩り」が入ってないのはあえてなのでしょうか。やはり編集方針に疑問が……。

    この一冊で曽野綾子がかなり身近になった気がします。
    文学全集、文学紀行、年譜。
    どれも時代遅れのものだけど、効力がなくなったわけではないのだ。

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