ヨーロッパの個人主義: 人は自由という思想に耐えられるか (講談社現代新書 176)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061155763

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  • のちに保守論客として著名になる西尾幹二氏33歳の著作。初版1969年1月ということで、大学紛争真っ只中である。日本はヨーロッパを追い越した、といった議論の軽さを批判し、日本における個人の不在、極度の中央集権化と脆弱な地方文化、国家意識の未発達を指摘しており、現代にもかなり通用することに正直驚いた。たとえば以下の発言は、グローバリゼーションに翻弄される現代日本の困難を予見したとも言えるだろう。

    「もとより、日本的『弱点』はまた、日本的『長所』でもある。ヨーロッパ人は、意志力に長けているが、直観力には弱い。批判力には優れているが、和の精神を欠いている。しかし、それは確かにその通りだが、われわれがみずからの『長所』を失わずして、『弱点』を克服するという二重のむずかしさに耐えるように努力しないかぎり、こんにちのわれわれの内外の困難、たとえば日本社会のけじめのない慢性的混乱と、逼迫する国際状況などを乗り切ることはできないだろう。」

  • 解放や自由だけを「個人」のあり方と考えてしまうと、権威の存在を前提としなければ「個人」は成り立たないことになる。解放だけを求め続けると、些細な束縛にも堪えられなくなり、束縛と付き合いながら生きていくという精神の衛生学に習熟できなくなる。不満だけが澱(おり)のように溜まり、きっかけを見つけると不合理な激情となって暴発する。p.9

    秩序の崩壊・権威の喪失により、人々は信仰のよるべを失った。人々は目前に開かれた自由に狂喜し、ユートピアの夢想に浸る。しかしだれも自由の重荷に容易に耐えることはできない。p.197

    無制限の自由は不自由につながる。自由があり余って不自由に陥れば、より完全な自由を求めて自由を捨てようとする。精神的なアナーキーと全体主義は一つの事柄の二面である。自由の結果は自由の放棄であり、ある暴力的な秩序や観念への完全な自己投入に他ならない。p.198

    論争は和解を目指すものではなく、対話は馴れ合いに終わってはいけない。相互の根源的な矛盾から目を逸らしてはいけない。矛盾に耐えて、矛盾をそのまま引き受ける。その上で現実を調停しなければならない。話しても絶対に分かり合えない二つの精神の激突からしか対話は生まれない。p.216

    無数の思想に取り囲まれて、判断に迷いが生じ、選択できず、行動できず、どの思想ももっともらしく、どれも正しく、どれかに偏することを嫌い、ただひたすら客観的で公正であろうとする。寛容と公平といういかにも知識人にふさわしい美徳の表看板は、単に信じる力を失っているだけである。p.217

  • 変わってないのね、日本。
    40年前と…。

    あいかわらず欧米に憧れてて、真似してて、表面だけで中身なし。かっこわるい。

    日本人のあの忙しさは何だ。ヨーロッパの人は「あくせく働かないのではなく、あくせく働かなくてもいいという余裕」を持っている。
    「即物的な生き方しか知らない日本人の楽天主義」が表面上の人間を作っていて「たえず外の印象に振り回され」て芯がない。「影響は受けるが与えない」。

    外国は敵ではなく、師。師とならない外国は意識の外。

    現代新書としてはけっしてオンタイムでないこの本が現在の日本をしっかり斬ってくれる。

  • 戦後、日本人はヨーロッパの個人主義を取り入れてきたと思い込んでいたが、その個人主義理解がどれほど観念的で浅薄なものにとどまっていたかを摘発する。

    ヨーロッパの「個人」は「社会」との厳しい緊張関係の中で育まれてきた。だが日本には、こうした力学は存在しなかった。日本にあったのは、無原則な集団主義と、そこからの逃避としての個人的エゴイズムにすぎない。

    他方で、経済成長の実績に支えられて、いまや日本はヨーロッパを追い抜いたという論調も少なくないが、外国との比較によってしか自国を測ることができない日本の無原則性が露呈していると著者は見る。これに対して、ヨーロッパがみずから「西洋の没落」を言い立てているところに、著者は内発的なヨーロッパ文明の強靭さを見ようとしている。

    「ヨーロッパ」や「近代」について私たちが抱いている幻想を克服し、現実をありのままに見つめようとする著者の文明批判および日本批判は深いと思うが、著者自身のヨーロッパ体験に裏打ちされている議論が多いので、どれほどの普遍性を持ちうるのか、少し疑問に感じるところもある。

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著者プロフィール

西尾 幹二(にしお・かんじ):1935年、東京生まれ。東京大学大学院修士課程修了。ドイツ文学者、評論家。著書として『国民の歴史』『江戸のダイナミズム』『異なる悲劇 日本とドイツ』(文藝春秋)、『ヨーロッパの個人主義』『自由の悲劇』(講談社現代新書)、『ヨーロッパ像の転換』『歴史の真贋』(新潮社)、『あなたは自由か』(ちくま新書)など。『西尾幹二全集』(国書刊行会、24年9月完結予定)を刊行中。

「2024年 『日本と西欧の五〇〇年史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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