本はどう読むか (講談社現代新書)

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著者 : 清水幾太郎
  • 講談社 (1972年11月20日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (182ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061156975

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本はどう読むか (講談社現代新書)の感想・レビュー・書評

  • 1972年刊行。

     読書論というよりも自伝的体験記に近い叙述である。

     印象的なのは、読書スピードは食事のごとしという比喩。つまり、食事において、蕎麦と懐石料理を味わうスピードは自ずと異なるし、受け手の事情(味わって食べたい時は遅くなり、急ぐときは早くなる)も加味される。まさにその通りであり、隅々まで記憶するためにはザッピングという方法は使えないし、単発情報を知るためには全部精読する必要はないだろう。
     体系的な把握を重視するには、目次の複数回精読こそ重視すべきはず。

     ちなみに語学の学習法は洋書を読み切るべしとのこと。

  • 2016/11/16

    ショーペンハウエル
    「本を読むのは非常に易しい」
    ①記号である
    ②花は花に似ていない
    ③真理/実在etcの抽象的な話→頼りない
     (もともとあるのか分からない)
      ①自己確立/自己超越/社会的発動
      ②答えのない問題の意味は、
       その正しい解答が見いだされることにあるのではなく、
       正しい解答を求める努力にある。
       また、解答らしいものが得られた場合でも、
       みな一応の解答であって、人間が成長するのに伴い、
    昨日の解答が今日は新しい疑問になる。
      ③「世界」「未来」という偉大で高貴なものが、
    所詮、美しい言葉であるのに対して、
    家庭や家族は、平凡な、
    しかし、厳然たるリアリティである。
    ただし平凡すぎるため、活字になることはない。
    ジャーナリズムでは、
    異常/正常なことは、
    いかに無力/強力でも活字になる/ならない。
    ①自分を客観的に認識し、
    そのうえで超越し、
     働く姿勢に生かす。
    アドラーに近いものを感じた。
     E・H・カー、かわいはやおといい、
    自己承認を求めない方の笑いは、
    面白いうえに愛しさを感じる。
     大丈夫だろうか。

    ③表現がキレイだった。
     高橋歩や寺山修司だったら本にしたと思う。
     僕が本にしないのは
     この世で起きている事全てに納得し
    受け入れているから。

    ②なぜ生きるか、について考える。
     信じる神がいなくても
     指示する政党がなくとも
    村に住んでいなくても
     保険証がなくても
     無職でも
     哺乳類なら
     家族がいる。
     家庭がある。

    スクリーンで見る映像は、実物以上に実物である。
    全体を見ることができないから。
    編集によって鮮明に見えてくる代わりに
    何が捨てられたかが見えにくくなる。

    本の場合は常にアクティブ
    TVの場合は常にパッシブ
    ∴読書家は考えすぎるのかもしれない。
     シンプルな方が悩みは少ない。

  • ある本を読んだとき,そのうちの一頁でも,一行でも,たった一語でもハッとさせられるようなところに出会うことができれば大儲けであるという。
    筆者の経験を各所に散りばめながら,本を読むときともすれば見落としがちな基本的な姿勢を教えてくれる。途中で面白くないと思ったら読むのをやめること,とにかく読み通して地図を手に入れること。前者は特に心に留めておきたい。

  • 著者の清水幾太郎は、太平洋戦争敗戦から60年安保闘争にかけて、「日本のオピニオン・ リーダー」、「進歩的文化人」の代表と言われた社会学者・評論家。
    本書は1972年出版のロングセラーで、著者自らの読書経験と、それを踏まえた「本はどう読むか」の技術が述べられている。
    私は60年安保以降に生まれた世代であり、著者の政治思想や過去の社会的な活動についての積極的な賛否は持たないが、本書に述べられている読書についての考え方・技術は、今でも少なからぬ読書論・読書術の書籍に引用され、影響を与えている。
    「本はどんな無理をしても買う。私がいつまでも貧乏なのは、おそらく、この主観主義的読書法の結果であるに違いない。とにかく、書物と細君だけは借りることの出来ないものと諦めている」
    「本を読んで学んだことを、下手でもよい、自分の文章で表現した時、心の底に理解が生まれる。・・・深い理解は、本から学んだものを吐き出すことではなく、それに、読書以前の、読書以外の自分の経験、その書物に対する自分の反応・・・そういう主体的なものが溶け込むところに生まれる。それが溶け込むことによって・・・自分というものの一部分になる。受容ではなく、表現が、真実の理解への道である」
    「縁がありそうな本、気にかかる本が出版されたら、何は措いても、買っておいた方がよろしい。・・・本は買ったら直ぐ読まないと損だ、というような根性は捨てなければいけない・・・買っておくと、不思議なもので、やがて読むようになるものである。気にかかる本が新しく身近に置かれるのは、環境に新しい要素が現れることである。・・・そのうち、この新しい本は、きっと、私たちに誘いかけて来る。」
    「書物の意味は、その書物そのものに備わっているのではなく、書物と読者との間の関係の上に成り立っているものである」
    「『資本論』に限らず、多くの書物は、一度は一気に読まねばいけない。一気に読むと、大小の疑問は残るであろうが、その反面、あの全体的構造が見えて来る。細部は判らなくても、構造の輪郭が判って来る。・・・急所は、チビチビ読んでいたのでは、絶対に判るものではない。輪郭や急所が判るというのは、その国の地図が手に入るということである」等
    読書論の古典のひとつとして、今でも一読の価値はある。

  • 「立派に死に、立派に生きる」ために読書をする というのは 、今後の指針になる言葉だった

    この本を買わずに、図書館で借りて読んだことを後悔している。本との付き合い方の章は面白すぎる

  • 面白くて、すぐ読み終えてしまった。
    読み方として、深浅ということを話していて、読書は、人付き合いみたいなもので、すごく深く付き合いが長い事もあれば、段々疎遠になっていくこともある。故に本というのは、後から分かってくることもある。
    自分の年齢によって付き合い方が変わってくる本も出てくる。
    というのは面白い話だった。

    あと、洋書の読み方、なんてのも書いてあってチャレンジしたい!と思った。

    著者が、腹を立てながら読むシーンを想像して笑ってしまいました。

  • 読書本というとしばしばスラスラ読めてさくっと理解できる魔法の方法的ないかがわしいものを期待しがちだが(少なくとも、私は無意識の欲望の時点ではそうだ)、ここに書かれてることは至極まっとうというか、「ダイエットするなら食事療法と運動です」と言われたような「ずいぶん普通のこと言うなー」的な印象を受ける。そして、勉強とはそういうものなのだろう。

  • 社会学者の著者が、本の読み方、メモの取り方、外国語の本への取り組み方などのノウハウを公開した本です。

    実用書、娯楽書とは異なる教養書の大切さを訴えながらも、精神論に傾きすぎることなく、具体的な本との付き合い方に密着して話が進んでいくところに、好感を覚えました。

    著者は、自分の関心のあるテーマに沿ってノートを作ることで、ようやく本に読まれるのではなく本を読む段階に進むことができたという体験を語っていますが、これは単にノートの作成法としてではなく、広く読書の心構えとして理解するべきかもしれません。

  • 本をよみながら「然、然」と理解しても、そういう理解は、心の表面に成り立つ理解である。浅い理解である。本を読んで学んだことを、下手でもよい、自分の文章で表現したとき、心のそこに理解が生まれる。深い理解である。
    ブームに乗せられるキケン/どういう意味で面白いのか聞いちゃえ
    書物との間にも、浅い交際、深い交際があると言うことを知っておいたほうがよいと思う。そうでないと、初対面の異性にすぐ結婚を申し込むことになる。
    読書が人生最高の理想と解く人もいることもいるが、これは              インテリの思い上がりと言うものである。

  • ハウツー本の様なタイトルだが、かなり著者の体験談に近い。
    「私はこうした。こうが良いと思う。これは失敗だった。」という形。
    そこの背景に多分に時代錯誤なところが出てくるが、70年代の本なので当然である。
    インターネットによる無数の情報嵐、電子書籍が幅を利かせる読書環境、筆者はどう捉えるのだろうか。

  • 1日1冊を課す。ムチャな数本を読めるのは30代まで。3泊くらい旅館に篭るか、1週間で100冊読むことを課す。

    線引いた点を振り返り読む五分の復習がインプットの質を大幅に上げる。読書人でも年齢とともに読める数は低下するから出遅れ組も努力次第で追いつける可能性はある。

  • この本の責任ではないけど、目新しいこともなくて、結局景気づけになってる。

  • 多くの読書論の中でも人気のある一冊。

    教養書と呼ばれる合理的に考えると直接は役に立たない本を読むことの進め。
    というよりも、そういう本を読むという贅沢を他の人に教えるといった趣旨の本。

    もちろん、本を読むというそのことの楽しさも見逃してはおらず、バランスの良い読書論。

    本以外にも様々なマスコミが誕生し、大衆の間に普及している現代にとって「本を読む」という労力を多大に消費する行動の優位性を説く。
    結果的には、全てのメディアの立体的協力を必要とするという所に落ち着くが、それでも大衆がテレビなどの楽なメディアに傾倒していき本が消滅してしまいはしないかという危惧を捨て去ることはできない。

    電子書籍もあるし、少数の人が好きで読むだけでも良いというならそれも可能なのかもしれないが、個人的には色々な人が本を通して豊富な知識を持っている社会の方が楽しいだろうと思う。

  • 読むときのスタイル

  • ためになった!読んで良かった。

  • 本書の最後に、少数の志をたてた者たちが将来も読書すると書いてある。生意気と言われるかもしれないが、この世界はあらゆるディヴイジョンで多数の無知者と少数の教養ある人という比率みたいなものが決まっているように思う。より多くの人々が読書なり何なりを通じて、自己啓発し、より健全で優しい世界の建立を希求してゆくことを願う。

  • 20120510ブックオフ

  • 個人的な経験によって書かれているところも多く、読書論として読もうとして購入した私にとっては、少し残念。しかし、この個人的な経験というものが面白く、読み物としては十分に楽しめたと思う。

  • まず全体として、書き方が自伝的なので、帯に昭和を代表する知識人と書かれるような人物でも、このように数々の試行錯誤を泥臭くやってきたのだな、というのが分かって、とても面白かった。

    読書論の部分では、以下の二点が印象に残った。
    一つは読み方のスピードについての部分。
    「そばを食べるように」「相当なスピード」でと書いてあるが、決していわゆる速読を勧めているわけではない。
    本を書く人は「観念の急流」に突き動かされるままに相当なスピードで書いている人が多いので、同じ空気感を共有した方が、筆者の言わんとしていることの全体感がより理解しやすいということらしい。
    本を書く人には巨大な伝えたいことがまずあって、それを一種の「もどかしさ」を感じながら書いているので、そういう先へ先へという気持ちになるのだそうだ。
    勿論そういう文筆家ばかりではないだろうが、筆者がどういった気持ちでこれを書いているのかということを想像する一助になるような気がする。
    二つ目は外国語で書かれた本の読み方についての部分。
    読書論の本で外国書の読み方を見たのは初めてだったし、書いてある内容が初心者向けというと失礼だが、全然読んだことがないけど興味があるという、自分のような読者向けだったので、かなりはまった。
    まずは積ん読をしてみて、時が来たら(気力的な意味で)2、3冊読み通すところから始めたいと思った。

    最後のメディア論の部分は、こういった短い内容とはいえ、各メディアの特徴を整理した記述というのは初めて読んだので、今後更に理解を深めたいという気持ちになった。
    筆者によれば、電波メディア・・・テレビやラジオなどには、誰もが送り手になるのは難しく、送り手と受け手が固定しやすいことや、どうしても送り手の恣意が全てになりやすい(0か1かの話)などの欠点が書いてあるが、それを解決する方向に向かったのがインターネットなのかな、と考えた。
    それにより私達は、筆者の時代よりも更に高い精神生活を営める可能性を得たのだけれども、筆者の言う、それらを使いこなす「不断の努力」は逆に現代では高まっていている。
    この難しい時代を生き抜くため、本に読まれる段階を早く卒業し、主体的に考える読書ができるようになりたいと切に思った。

  • 教養書なんて読む必要があるものではないけれど、
    「立派に」生き、「立派に」死ぬために読むのだとする。
    この「立派に」というのが、どういうことなのか。
    というのは、それこそ読書を通して自分で定義づけることなのかな、と解釈した。

    それから本を読んだら、当たり前かもしれないが「考える」ことが大事。
    読んで、理解した、だけではなく、そこから何を感じ、考えたか。
    それがないと本の内容が自分の力にならないよなあと反省。
    読むことだけに重きを置いていたので、
    「考える」ことを意識したい。

    そこを意識すれば、それはたった一行でも考えるに値する部分があれば、
    その本は自分の役に立ったということだ。
    逆にそこしか役に立たなさそうだったら読むのをやめればよい。
    清水先生が言っているのは、たぶんそういうことかな、と。

  • 今や古典的読書論だが、江戸っ子気質からかその言葉は、どこまでも潔く雄々しい。どきりとする言葉があちらこちらに転がっている。

  • (1997.02.04読了)(1988.09.09購入)
    内容紹介 amazon
    本書は、本の選び方、読み方から、メモのとり方、整理の仕方、外国書の読み方まで、著者が豊富な読書経験からあみだした、本とつきあう上で欠かすことのできない知恵や工夫の数々をあまさず明かし、あわせて、マス・メディア時代における読書の意義を考察した読んで楽しい知的実用の書である。そして同時に、ここには、読書というフィルターを通して写し出された1つの卓越した精神の歴史がある。(講談社現代新書)

  • 時代遅れ感が否めない読書論。今にも通じるものはあるが、多読する人なら「そんなこといまさら言われなくてもね」という気になるだろう。昔の読書雰囲気を知りたい人は読んでみていいと思う。

    純粋に読書論を知りたいひとにはお勧めできない。

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