- Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061456846
感想・レビュー・書評
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小説家による創作論が面白いのは、いわゆる批評用語が用いられていないところ。後藤明生自身が書いていたとおり、批評家による批評と小説家によるそれとは、そこで一線を画す。批評とはある種の暴力だと思う。既存の概念でもって作品をねじ伏せる傾向がある。逆に、小説家による作品論には、ある抽象を目指しながらも、あくまで具体につこうとする姿勢が土台にある。
創作家と批評家がそれぞれ性質の異なる存在だという前提に立つと、批評家は理性的で創作家は本能的といった誤った2分法が生まれる。本書にも登場する田山花袋はその不幸な犠牲者だ。そんな彼を、後藤明生が、精緻な読みで救い出している。それだけでも、本書は読む価値がある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
小説家である著者が、小説作品を読み解いている本です。
著者は、早稲田大学およびNHK文化センターで、創作を志す受講者のための講義をおこなうことになりましたが、そこで著者がとった方法は、実作指導ではなく、著者自身が小説をどのように読んできたのかということを語ることでした。著者は、「なぜ小説を書きたいのだろうか」という問いに対して、「それは小説を読んだからだ」というこたえを聞くことがすくないことに不信を述べています。そして、「われわれは皆ゴーゴリの『外套』から出てきた」というドストエフスキーのことばを引用し、小説を読むことで創作への意欲が賦活されるとともに、小説に用いられている「方法」を読みとり、創作へつながっていくというプロセスがあることに目を向けようとします。
本書でとりあげられている小説は、田山花袋の『布団』、志賀直哉の『網走まで』と『城の崎にて』、宇野浩二の『蔵の中』、芥川龍之介の『藪の中』と永井荷風の『墨東綺譚』、横光利一の『機会』、太宰治の『道化の華』と『懶惰の歌留多』、椎名林蔵の『深夜の酒宴』です。
創作のための技術指導のような内容はあまり含まれていませんが、「文章がどうにも前へ進まなくなったとき、この「そして」を使ってみる。すると、とにかく文章は前へ進む。接続詞は、そういうバネのような性質を持つものではないかと思う」といったような、実作者ならではと思われることばもあって、興味深く読むことのできたところもすくなくありませんでした。 -
扱われている作家や作品を丁度ある程度読んでいたのでとても勉強になったように思う。中で言われているテキストも多くは青空文庫にある。小説の捉え方みたいな部分で勉強になった気がする。ちょっと前の時代の高橋源一郎的存在といったところか。「林修の日本文学講座」を読んでから読むと丁度いい。
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[ 内容 ]
[ 目次 ]
[ POP ]
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☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
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☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
新書ではありますが、小説に関して色々参考になりました。もっと昔に読んだ記憶があります。再版でしょう。