英文収録 茶の本 (講談社学術文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061591387

感想・レビュー・書評

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  • 原題:The Book of Tea(1906)
    著者:岡倉天心(1863-1913)
    訳者:桶谷秀昭(1932-)


    【目次】
    訳者まへがき(平成六年六月二十六日 桶谷秀昭) [003-004]
    目次 [006-009]

    第一章 人情の碗 013
    第二章 茶の流派 025
    第三章 道教と禅道 036
    第四章 茶室 050
    第五章 芸術鑑賞 066
    第六章 花 077
    第七章 茶の宗匠たち 092

    原註・訳註 [098-104]
    解説――憂ひ顔の美の使徒(桶谷秀昭) [105-122]
    解題 [123-134]

    THE BOOK OF TEA……OKAKURA-KAKUZO [135-228]

  • (15.06.XX読了)
    私の頭では理解が難しかったです。そもそも茶道に本当にここまでの深い意味があるのか?と考えてしまう。
    私の頭がこの本を読めるレベルにないのか、はたまた茶道における日本人精神との相性が悪いのか、とりあえずは評価不能かなあ
    もう少しちゃんと読めるようになってから再読して、きちんと理解したい。

  • 次は英文で、しかし博覧強記な人、しかも英語で、語るとは。スーパーマンですね。

  • [ 内容 ]
    ひたすらな瞑想により最高の自己実現をみる茶道。
    本書の冒頭で天心は「茶は、日常の事実における美しいものの崇拝、すなわち審美主義の宗教としての茶道に昂められた」という。
    明治三十九年、天心は西洋文明に対する警鐘をこめて、茶の文化への想い即ち東西の文明観を超えた日本茶道の真髄を切々と綴った。
    精魂をこめた訳文により天心の精神がいま静かに息づく。
    原典英文収録の名著復刻の決定版。

    [ 目次 ]
    第1章 人情の碗
    第2章 茶の流派
    第3章 道教と禅道
    第4章 茶室
    第5章 芸術鑑賞
    第6章 花
    第7章 茶の宗匠たち

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 岡倉天心著、「茶の本」を読む:
    東日本大震災の影響で、茨城県五浦(いづち)にある岡倉天心の晩年の幽棲地とした六角堂が、大きな被害を被ったというニュースを耳にしたことがある。日本美術院の縮小が決定的となった失意の中での幽棲だったのであろう。英文で書かれた著作の4部昨、即ち、東洋の理想、日本の覚醒、東洋の覚醒、そして、茶の本、である。それにしても、短い文章であるが、極めて、その漢籍・東洋学・美術額などに、造詣が深いことが、その難解な日本語の言い回しにも、端的に表れていて、文章の短さに較べて、遙かに、難解である。内容構成は、第一章の人情の碗、そして、順番に、茶の流儀、道教と禅道、茶室、芸術鑑賞、花、茶の宗匠達の最後で、千利休の最後の茶の湯の様子で、締めくくられている。殊更、ここで、詳細を述べるよりもご一読戴いた方が、もっとも、英語版の方が、分かりやすいかも知れないが、両方を同時に、併読してみる手もあるが、、、、、。それにしても、文久生まれの武士は、どうも、子供の頃から、その素養が、昭和の戦後民主主義の下で、子供時代を過ごした我々とは、根本的に、その基礎的な素養が、謂わば、ベースから違うのかも知れない。まるで、それは、テレビに出てくる帰国子女上がりの流暢な英語を喋ることの出来るタレントに、英語で、わび、さびを説明してみろと問いかけるかのように、全く愚問であるのかも知れない。英語の著作を表す以前に、既に、フェノロサ、ビゲローや、ボストン美術館中国・日本部門の美術品の発掘・鑑定・再興などの事業に携わってくる上で、すでに、ベースに、漢籍の素養や日本文化、宗教にも、精通している、そうした素養の上に、確かな目で、日本文化を考察し、更には、不当な理解を示す外国人、全世界の無理解な人種に、広く、日本文化を喧伝せしめようとしたのかも知れない。今日、日本として、海外発進力が、今こそ、求められている時代はない。何故、あれ程までに、戦後、世界的な規模で、商社のネットワークが、張り巡らされ、日本の優れた商品が世界中で使用されているにも拘わらず、その文化・伝統・歴史が、一部のフジヤマ・ゲイシャ式にしか、表層でしか、伝えられなかったのであろうか?やたら、松下幸之助や本田宗一郎の名前だけが、知れ渡ったのに対して、茶の湯・活け花等の真の文化的な心が、広く、世界の隅々にまで、行き渡らなかったのであろうか?これひとえに、文化人、知識人の問題だけではなく、一般の我々にも、考えさせられることが大きい。何故か、天心のそれは、明治期の福澤諭吉的な文明論との対局に、位置していないようでもない。60年代後半の戦後民主主義の否定を通じて、止揚しようとした文明論的な主題は、残念乍ら、今日、ひとつとして、遺産としても、残っていないのは残念である。これは、団塊の世代としても、大きな問題である。たわいのないアメリカ人から、天心達が、「おまえ達は、何ニーズなのか、チャイニーズ、ジャパニーズ、ジャワニーズ?」と問われたときに、すかさず、英語で、「We are Japanese gentlemen. But Are you a Yankee, or a Donkey, or a Monkey ?」と切り返したというではないか。そんなウィットに富んだ当意即妙な英語が、ビジネス英語ではなくて、すらすら、やってみたいものである。それにしても、今日、外交交渉でも、貿易交渉でも、況んや、日本文化情報の発信を也であろうか?岡倉天心が生きていたら、今日のCool Japan への取り組みや和食の世界文化遺産認定を、一体、どう、捉えることであろうか?今日の日本で、これらを快刀乱麻に英語や中国語で、海外発信できる何人の知識人がいるのであろうか?何とも、物足りなく感じざるを得ない。一人一人が、天心のようになることは難しいことではあろうが、少なくとも、草の根レベルで、外国人にも自国の文化・歴史などを説明出来るだけの日本語・外国語の素養を持ち合わせたいし、そういう教育を日常生活の中で、意識的に創り出してみたいものである。

  • NHKの日曜美術館で岡倉天心が特集されていたので。
    茶道を主題に東洋、日本の芸術観と美意識を著したもの。
    「東洋人」としての気概が満ちていながら、東洋西洋ともに冴えた観察眼で美文調。特に最後の花と華道・フラワーアレンジメントに対する批評はそれまでとはうってかわって嵐のようにうねった文章になっている。
    それにしても、訳ちょっと不自然じゃないか…?

  • 開国、そして異文化の流入によって花ひらいた転換期・明治。現在の素地となる様々な出来事や潮流が生まれた明治文化の多様性をご紹介します。
    <閲覧係より>
    天心は「茶の湯」という文化や精神を紹介することで、日本文化や生活信条、宗教観を説いた。初版は明治39年、ニューヨークで出版。こちらは英文と日本語訳が両方収録されており、英語の勉強にも最適です。
    -------------------------------------
    所在番号:文庫||791||オカ
    資料番号:10069132
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  • 必ず英文も読むべし。
    崇高な精神に触れることができる。

  • 岡倉天心による茶道を中心とした日本美術の海外向け解説書。

    1906年当時欧米に頻繁に紹介されていた日本美術について、その美学の根本を理解してもらうために執筆された日本近代美学の代表作です。

    本書では中国の道教・禅を起源とした茶道の成り立ちと茶室建築・絵画・華道などの茶道を取り巻く文化を散文的に語ることによって、近代化以前の日本人が美に対してどのような感覚を持っていたのかを明らかにしていきます。
    明治維新以降の近代化の中で軽んじられている日本美術に対し、岡倉天心はアーネスト・フェノロサとともに再評価のための運動を行ったことで知られています。また彼はボストン美術館の中国・日本美術部の一員として欧米に日本美術を紹介する活動を行なっています。彼は欧米で展開されている美術と比較した時、日本の美術の独自性はどのようなものなのかを規定しようと試みました。

    欧米の美術と日本の美術を比較する場合、当然「欧米の美術は〇〇であるが、日本の美術は〇〇である。」という言説を構成することとなります。
    20世紀初頭の欧米美術では印象派に始まる都市大衆を主題とした芸術や版画やポスター等の商業芸術が展開された。本書を出版した1906年以降にはアールデコやインダストリアルデザインの深化が始まり、この傾向はよりはっきりとしてきます。岡倉天心はこういった欧米美術の状況に対してあまり良く思っていなかったようで、日本の芸術はこの対極にあると規定しました。「都市の喧騒」に対する「侘び寂びの静謐」、「万人に理解できる華麗さ」に対する「修練による審美眼の獲得」。こう規定した日本芸術の頂点として岡倉天心は茶道を象徴として本書を構成しています。

    まず天心は茶という存在に東洋と西洋の架け橋となることを求めます。東洋西洋にかかわらず人は「茶を飲む」という行為自体を愛しているからです。そして中国で生まれ、日本で発達した「儀式=総合芸術」としての飲茶について考察を深めていきます。岡倉天心は芸術としての茶道について、その美学の源流を中国の「道教・禅」に求めました。この2つの中国思想は事物のあるがままの姿を慈しみ、一処にとどまらずゆれうごく姿を受け入れることを求めます。儒教のように法を用いて理想を追求することをせず、仏教のように言葉による教化を行わない。ただひたすら世界を観察し思索し、世界に相応しい態度へと自らを律し相手を導くことが禅と深く関わって発達してきた茶道の本質であるとしたのです。茶室とは世界に対する観想を発展させるための舞台装置。床の間の芸術や花は作品と鑑賞者の対等な心の交流を通して美的感覚を広げる。これらを提供するにも鑑賞するにもいずれも禅のもつ深い省察による修練を必要とし、この修業を通して初めてより良い芸術を生み出すことができるとしました。

    一連の茶道をめぐる芸術の考察は、現代の日本人でもわかりにくい「侘び寂び」について絶好の鑑賞導入となるでしょう。作品に対してまず尊敬を持って見ることから始めるということ。そして作品が鑑賞者へ語りかけてくる言葉を聞き取ること。こういった作品へ向かい合う態度を整えることから「侘び寂び」を味わうことができるということです。そうした世界観の中で育まれた美術は、多くを一度に鑑賞する事はできずに自然と作品と1対1となり時間をかけて向きあうことになります。また鑑賞者と作品が長時間の対話を行うためにお互いに静謐さを帯びていることが必要となります。そうした作品と鑑賞者の関係性から導かれる独特の美こそが「侘び寂び」なのでしょう。そして作品と良い関係性を築くことができるように修練を積んで初めてこうした美を本当に理解できるのかもしれません。
    一方で岡倉天心は欧米と日本の美学の差を強調するために、茶道こそが日本美術の総合であるということを強調しているように思われますが、その理解のもとに日本美術史をつくり上げるのであれば、あまりに多くのものを積み残してしまうように思われます。寺社仏閣の豪華絢爛な建築や華麗な仏画や彫刻はむしろ欧米の美術と一致した美学のもとに作成されているようにも思われます。またジャポニズムとして大きな影響を与えた浮世絵などの印刷出版物は欧米のポスター芸術の根源の一つとなっています。さらに柳宗悦が体系化した民藝の世界や岡本太郎が発見した縄文以来の祝祭的な芸術、更に伊藤若冲ら江戸絵画の豊富な展開といった日本美術の豊穣さを見落とさないようにしたいです。

    講談社学術文庫から出版された「茶の本」では岡倉天心自身の記した英語版が収録されている。今回は英語版を中心に不明な点を邦訳で確認しながら読む方法をとった。天心が記した本文は一つ一つの単語としてはかなりレベルの高いものであったが、文章は簡潔かつ流麗であり本書の文章自体がひとつの散文詩のように思われます。

  • 日本の文化のうち、茶道に関して西洋に伝えようとしたその心が伝わってきます。著者のは、日本だけでなく、中国や西洋の文化や歴史に精通した上で、日本文化の良さを論じており、詩的な心を持ち合わせ詩的な表現を重ねていることとあわせ、感服します。

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著者プロフィール

1863~1913年 美術評論家・思想家。本名は覚三。文明開化の風潮の中で、フェノロサとともに日本美術の復興に尽くした。東京美術学校開設に尽力し、のち校長となる。その後、日本美術院を創立し、明治日本画家の指導者として活躍、ボストン美術館中国日本美術部長などを務める。英文著書による日本文化の紹介者としても知られる。著書は本書を構成する『茶の本』『日本の覚醒』に加え、『東洋の理想』の三冊が代表作。

「2021年 『茶の本 日本の覚醒 矜持の深奥』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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