- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061597242
作品紹介・あらすじ
伊賀の種壷、朝鮮の飯鉢、下手物にこそ美が存する。宗教学者から民藝研究家に転じた柳宗悦は、工藝美を提唱、全く新しい美の世界を切り拓き、衆目を驚かせた。健康の美、無心の美、他力の美、恩寵の美。工藝は奉仕の道、工藝において衆生は救いの世界に入る。宗教的表現を鏤め、熱く明快に工藝美を語る本書は、人々に深い感銘と強い衝撃を与えた柳美学出発の書である。
感想・レビュー・書評
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デザインを仕事にしている人にはお勧めしたい本。
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(01)
庶民が日常に用いる器具や道具に「民藝」と美を見いだした著者ではあるが,それら扱う器物に対して,著者の見解は,硬く,「直観」の精神主義(*02)が全面化している.
禅の思想の波及ともいえるが,著者に描かれる美のユートピア世界の理想は,現代においてもそこへ至る道のりはひたすら遠く感じ,ゆえに芸術家が指導者として先導する美と工藝のユートピアは,目指されるべき世界であるかもしれないが,美の主体となる民衆の実感はごっそりと抜け落ちている.
協団という中世ギルドに着想した美の組織は異様ですらあり,そこは可笑しみとともに面白味がある.戦後のカルトには,美の意識は芽生えなかったものの,教団ないし協団が求めるワークには,工芸的なルーチンや,安価な労働力と材料,大量生産が目指されていなくもない.
(02)
興味をそそるのは,経済性との調停が工藝を通じて目指されている点にもある.時間をかけずに大量に製作されるからこそ市場に出回り,安価に消費され,機能性の美が実現されるという理屈と情況は,現在,グローバル化やオートメーション化によって,別次元に突入しており,人間や機械が差し挟まれる余地は極めて少ない.消費社会が呼び込んだ商品が美しいかどうかという議論は,常になされるべきであるが,著者のユートピアとは別の「ゲテモノ」のディストピアが現代においては実現されている. -
民芸としての芸術
使用の美 -
用途なき世界に、工藝の世界はない。それは我々を助け、我々に仕えようとて働く身である。用途への奉仕、これが工藝の心である。
美術は理想に迫れば迫るほど美しく、工藝は現実に交われば交わるほど美しい。
美は用の現れである。用と美と結ばれるもの、これが工藝である。
個性の沈黙、このことこそ器にとっていかにふさわしい心であろう。器は仕えようとする身ではないか。
工藝とは、美術とは違って実用性と持っていなければならない。かつ、自然に従うものであらねばならない。 -
社会システムと神仏とを工藝を媒介としながら融合する示唆多き一冊。
民芸運動の基礎的理論として記した本書。工藝を通じて宗教的な「信」を求める記録。
信と美とは、「唯一なるもの」の異なった面に過ぎない。
工藝品、特に日用に使われる民藝(民衆的工藝)の中に顕われる美を見つめる。そこに個性を表さず、素直で無心に取り組んだ結果現れる「本質的な他力の美」を読み取る。
利を追求する資本主義のもとで衰退する民藝に対し、本質的な社会システムへの返本を提示する。
それは相互扶助・道徳的秩序・同胞愛をベースとした、中世的ギルド、「美と労働が結合する社会組織・協団」。大衆と美とが結ばれるとき美に充ちる地上の王国が目前に現れる。