なぜ、小学生の頃から金田一少年の事件簿や名探偵コナン、夢水清志郎シリーズや三毛猫ホームズシリーズなどのミステリー小説が大好きな私が、三十路を半ばも過ぎて今更この作品に手を出したかというと、第一に他の好きな作家を追うので忙しかったというのもあるが、逆にこの作品があまりにも有名すぎて、最早「現代本格ミステリの教科書」みたいな扱いであったからである
10代~20代をひねくれ者で過ごしてきた私は、この作品のあまりの有名ぶり知名度ぶりにある種の辟易を抱いてしまったのだ
この歳になってやっと「そろそろベタなのも読んでおこうか(失礼)」という気になり、敢えて改訂前の文庫版を図書館で借りてきたのだった
前置きが長くなってしまったが、まずは謝罪を
綾辻行人先生、そして綾辻作品のファンの皆様ならびにミステリファンの皆様、大変申し訳ありませんでした
どこのどんなミステリ作品の紹介を見ても必ず目にする、「ベタな作品」がそのように扱われる理由を、まざまざと見せつけられる、そんな作品でした
まずもってこの「十角館の殺人」という作品が数多の国内ミステリファンから絶賛される理由は、決して有名だからだとかいうちゃちなものではなく、傑作だからであるというだけのものだった(至極当然ではあるが)
そう思うに至ったエピソードをひとつ
実は、十角館の殺人を読もうと思って先に作品紹介しているブログやYouTubeなどであらすじなどをリサーチしていた段階で、私はネタバレを踏んでしまっていた
孤島に建つ十角館に滞在することになった大学ミステリー研究会のメンバー、エラリイ、ルルウ、カー、ポウ、ヴァン、アガサ、オルツィが連続殺人に巻き込まれる中、同時進行で本土では怪文書を受け取った元研究会メンバーの江南と現研究会メンバーの守須、そして偶然出会った探偵役の島田潔が過去の十角館の事件を再考するという構成の物語で、館の研究会メンバーが全員死亡したという結末を聞き、自身の研究会でのあだ名を問われた際に守須が発したあの、「ヴァン・ダインです」という台詞
その台詞を事故的に私は見てしまった上で、「いやこれが犯人を指すかどうかはまだ分からん、誰が言う台詞かにもよるし」と思い、なるべく脳みその端の方に押し込めて読み始めたのだった
結論として、「分かっていても騙された」
犯人自体は当たっていた
メタ的な推理ではあるが、多分ヴァンか守須が犯人だろう、中村紅次郎はミスリードだろうな、というところまでは考えていた
守須の描いていた絵の意味にも気付けたし、十角館の管理人の名前にもピンときていた
だが、「ヴァン・ダインです」の台詞を目の当たりにするまで、ついぞ守須=ヴァンという仕掛けに気付くことは出来なかった
見事に騙された時のこの快感は、まさにミステリの醍醐味ではないだろうか
この小説という媒体を活かしたトリックはシンプルだからこそより「やられた!」という気持ちにさせられるのだと感じた
そして綾辻先生はとても親切な作家だ
きちんと丁寧に読者が気付くきっかけを随所に与えてくれているし、犯人が十角館以外でどういう行動をしていたのかもちゃんと描いてくれている
その上で騙されるのだから、分かった時の清々しさがあまりに心地よい
更に解答編として、探偵の口からではなく犯人の回想という形で、守須がなぜこのような犯行に至ったのかを詳細に描いてくれている
初めてミステリを読むならこれ、と言われる所以はこういった懇切丁寧な作風にあるのかもしれないと思った
正直、この令和という時代にはやはり少々ベタだと感じる人もいるかもしれない
しかし、私はこの作品が不朽の名作であると確信するに至った最大のポイントは、なんといってもエピローグだ
守須が完全犯罪を終え、子供たちが遊ぶ海辺で1人物思いにふける
復讐に手を染めるに至った存在である、死んだ恋人の中村千織に胸の内で問いかけながら
そこに、島田潔がふらりと現れて「自分が思いついた推理を聞いてくれないか」と言う
その言葉尻から守須が犯人だと考えているような気配を察した守須は、「もう事件は終わったことだから」と彼から離れ海の方へ歩みを進める
そこに、プロローグで彼が海へ放った自白のボトルシップが偶然にも流れ着いてくる
もしこのボトルシップが拾われた時、中を見た人間に自分の罪の裁きを委ねようと思って流したそれを見、その様子を少し離れたところから眺めている島田潔を見て、守須は「審判の時」と考え、遊んでいる子供の一人に「これをあの小父さんに渡してくれないか」と渡す--というものなのだが、この何ともいえないほろ苦さと清涼感が入り交じったエンディングは、時代がどれだけ移り変わろうとも決して色褪せずクサくもならないワンシーンであると私は思っている
エピローグがこの終わり方でなかったら、私のこの作品に対する評価は星4止まりであっただろうと思う
そのうち我が家の本棚にお迎えする予定だが、今度は改訂版で例の「ヴァン・ダインです」の新たなアプローチに心を震わせたいと思う