- Amazon.co.jp ・本 (492ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061960145
作品紹介・あらすじ
友人の死に導かれ夜明けの穴にうずくまる僕。地獄を所有し、安保闘争で傷ついた鷹四。障害児を出産した菜採子。苦渋に満たち登場人物たちが、四国の谷間の村をさして軽快に出発した。万延元年の村の一揆をなぞるように、神話の森に暴動が起る。幕末から現代につなぐ民衆の心をみごとに形象化し、戦後世代の切実な体験と希求を結実させた画期的長編。谷崎賞受賞。
感想・レビュー・書評
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大江健三郎さんの最高傑作との呼び声がある、この「万延元年のフットボール」を読了。難解と評判あったので、楽しく読了できるか不安だったが、独特の考えられた美しい比喩を交えた長い文体(悪くいえばまどろっこしいけど)に最初は戸惑うが、だんだんそれが病み付きになってくる。
もうこれは、ノーベル文学賞を取るべくして取ったとしか言いようがない。
四国の万延時代の一揆と現代の暴動をクロスさせ、独特の登場人物たちが繰り広げるリアリティな物語に飲み込まれてしまった。後半の展開は衝撃すぎて言葉もない。ラストわずかな希望で終われたのはとても救いがあった。
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「死者の奢り・飼育」が面白かったので、文学YouTubeでおすすめされていた本作を手に取ってみた。
冒頭から度肝を抜かれ、圧倒される。謎だらけの不思議な読み心地。登場人物の誰にも共感できない。なのにぐいぐい引き込まれる。
後半は怒涛の展開で、怖さもあった。
読了後は呆然。難解で解説や書評を読み漁っている状況だ。
友人の凄まじい死に接し、無気力に穴に閉じこもる兄。障がいの赤子を産み、アルコールに溺れるその妻。
それに対して行動的で、人に影響を与え求心力を持つ弟。
1960年代の四国の谷間の村を舞台に
弟は谷間の若者を集め、フットボールを始め、組織化し暴動を起こすまでに至る。
お祭りのような感覚。
それを冷ややかに見つめ、批判する兄。
過去の思い出も記憶に違いが出てくるが、素直に認め合う事はせず、弟の美しい記憶を傷つけていく兄。兄の執拗な弟に対する言葉による攻撃が、次第に効いてくる。
100年前、万延元年に起きた一揆の真実に迫りながら、生き方を探していく。
戦後の復興、学生運動の終焉、土地買収、スーパーの進出、日本人と朝鮮人の対立、田舎の閉塞感、息苦しさ、生活の変化、過剰なエネルギーを持つ若者、集団の狂気、洗脳、病む若者、障がいのある子を持つという事…
拾いきれない。多くのテーマが描かれている。
読了後、この小説の意味をずっと考えている。
ただただ衝撃的で、圧倒された。
簡単ではない。答えは出ない。でも考え続ける行為を含め感じればいいのかなぁ、と思い始めている。
大江文学の転換期となった本作。とても深い。
貴重な読書体験となった。 -
再読。文体が合うかどうかでだいぶ印象が変わる小説だと思います。長く、やりすぎなほど長く続くセンテンスと、美しい比喩表現、そして登場人物の「翻訳口調」。どこを切り取っても常人では成し得ない高い技巧が凝らされており、読んでいて目眩がするほどです。特に1章にあたる部分ではその独特の文体が濃厚に発揮されていて、とぐろを巻くような言葉の連なりに酩酊感を覚えててしまう。2章以降はある一定のテンポが生まれ、上記した「翻訳口調」という部分が強調されてくるのですが、私この翻訳口調すごくすきなんですよねー。話の内容はまさしく”文学”って感じなのに、この口調のせいで妙な軽さ、そして奇妙さが備わっているのです。まるで邦画を観ながら翻訳された字幕を読んでいるとでもいうか、なんというか。中上健次のどろくさい文体とも、村上春樹の詩的(すぎる)な文体とも違う、この人にしか出せない「音」が文体から聞こえてくる気がします。
舞台となるのは1960年代の四国。谷間の村に妻と弟とともに訪れた”密三郎”を語り手として、この村で起きた一揆について綴られていく。学生運動に対する内省、戦後からの復興、朝鮮人、天皇、地方に浸透していくスーパーマーケット……。時代の転換点を見極め、作者自身が何事かに”ケリ”を付けるために書かれた本作は、熱量、完成度、文章の美しさ、読み物としての純粋な面白さ、すべてが高水準であり、そりゃノーベル賞だって取っちゃうよなあと感じます。
むかし読んだときはひどく暴力的で凄惨な展開が目に付いたのだけど、再読してみるとむしろ”密三郎”の思考の流れとか、”鷹四”との会話とか、文体の面白さとか、そういう内面的な方に魅力を感じたな。解像度があがるというのはこういうことなのだろうか。作者の真剣さが小説そのものに、言葉そのものに宿っており、読む側が真剣に読めば、それだけ多くのものが返ってくる。そんな豊潤さ。じっくり時間をかけて読み、頭がくたくたになりながらも、読み終わったときはしあわせな気持ちになっていた。これは神話ですね。現代を舞台とした神話。土俗的で政治的でありながら崇高さも持ち合わせているすごいやつ。こういうのを世界文学というのでしょう。
ちなみに私、大江健三郎の本はこれ一冊しか読んだことがなかったのですが、本書を再読してこれから他の本も読んでいきたいなーと思いました。一生かけて付き合っていってもいいと思える作者な気がするので。 -
大江健三郎の最高傑作と評されていたので、温めて置いていましたが、現時点では個人的にもやはり最高傑作でした。読み終わってすぐ2周目を始めてしまったほどです。
重厚な構成、有機的で現実的なメタファー、極限状況からの脱出、魂の浄化。巧みな文章力に、自室で1人でため息を漏らしていました。
「魂の浄化」という点だけでいえば、「懐かしい年への手紙」の方が深く掘り下げていますが、全体としての完成度はこの作品が飛び抜けている気がします。
第1章の、蜜三郎が穴にこもり、自身を徐々に「穏やか」にし、精神の下降の斜面へと滑り落としていくシーンが1番好きです。このシーンの情景を大切に心の芯に持って生きていきたいです。
僕は、蜜と鷹、どちらの生き方を目指すのか… -
文章に血管があるなら隅から隅まで著者の思想と魂が込められてる真剣勝負の物語。 現代に至ってもなお断ち切れない「おり」が暴力となって現れるのと同時に、肉親の間でも沈殿している「おり」。それを乗り越えるためには自分のルーツを遡って行かなければならない人間の苦悩。それでも尚、人は同じ悩みを続けている。そして未来も。あああ、人間って・・・と思う。 読み始めから感じたのはこの作品の多くの部分が村上春樹の作品の表現とかなり似ているということ。どうりで村上はノーベル賞をもらえそうでもらえないはずだ。
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2014/09/12
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minikokkoさん、
ずーっと春樹氏について気になっていたことがありましたが、この本を読んでその懸念?を発言する機会だとおもいました。...minikokkoさん、
ずーっと春樹氏について気になっていたことがありましたが、この本を読んでその懸念?を発言する機会だとおもいました。
春樹氏は一人っ子であり、子どもも持たないので、人間関係の一番見たくない、知りたくない、体験したくないことを逃れられる立場にあるということです。なので、彼の小説は不特定なコンクリート+かつプラスチックを感じさせる街で、一人パスタなぞ茹でてる臭みのない表現になる。だからそこ、ぐだぐだした世界に生きるホントの凡庸なる人間にウケるんだと今、はっきり言うわ。
彼の小説には自分(主人公)を表現して「凡庸」という言葉が出てくるけど、それすらあこがれちゃうようなスパイスが降りかかってるというか、あぶらぎった調味料がないというか・・・
家族は最小単位の社会だから、そこのところ、知的障害の子供が生まれたり、田舎の奥底でたくさんの兄弟姉妹と共に生きた大江の表現にはやっぱり耳や目を覆いたくなるような苦悩があるの。だから家族間で嫉妬とか怒りとかを経験せずに済んだ人って、最後のところ難しい・・・何が難しいのか表現できないけど。
2014/09/17
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難しくて断念。500ページくらいあります。読むの時間かかると思うので、図書館で借りるより、買った方がいいかもです。
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文学的な位置でも自身の中の位置でも最重要な一冊。
この特濃の内容とゴテゴテの文体を1人の人間が描いているのが恐ろしい。
初オーケンでこれを選ぶと胸焼けする可能性があるが、本作以降も擦られ続ける主題であり向き不向きを決める上でも必読書だと思う。