幾度目かの最期 (講談社文芸文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061984257

作品紹介・あらすじ

18歳の時に書いた作品で芥川賞候補となり、21歳で自殺した幻の作家・久坂葉子。神話化した天才作家の心の翳りを映す精選作品集。

今も惜しまれる元祖天才文学少女、その青春の光と影――。18歳の時書いた作品で芥川賞候補となり、そのわずか3年後に、列車に身を投げた久坂葉子。名門の出という重圧に抗いつつ、敗戦後の倦怠と自由の空気の中で、生きることの辛さを全身で表すかのように、華やかな言動の陰で繰り返される自殺劇……。遺書的作品「幾度目かの最期」を中心に、神話化された幻の作家の心の翳りを映す貴重な1冊。

久坂部羊
自殺の当日に完成されたのが、本書収録の『幾度目かの最期』である。この作品を読んだときの衝撃は、今も忘れられない。自分の死と文学をこれほど一致させた作品がほかにあるだろうか。自らの死を1編の小説に結晶させ、その作品の予告通りに死ぬ。それは芥川にも太宰にも三島にもなし得なかったことである。――<「解説」より>

感想・レビュー・書評

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  • 才色きらめく人生に二十二歳で終止符
      富士正晴が毎日新聞に勤めていた時、ここをよく利用していた関係で久坂葉子もこの店の常連であった。当時(昭和二十年代)は堂島グランドビルはまだ建っておらず、「MUSICA」はその南西、北新地の中に歴史ある面影の店舗を構えていた。
    「幾度目かの最後」の原稿もここで富士正晴に渡しているし、作品中にも、久坂と思われる主人公が「MUSICA」とおぼしき喫茶店で、好きなクラシックに耳を傾けるシーンが登場する。
     幾度目かの最後とは、今まで自殺するするといいながら生きてきたが、今度こそ本当に決行しますという意味で、遺書ともいえる作品である。この原稿を富士に直接手渡したのは、富士が自分を最も良く理解してくれているという思いが彼女にあったからであろう。
     そして、彼女は意識していなかったにしても、深く信望している富士にダイニングメッセージを送ることにより、彼からの助けを待っていたのかも知れない。

    三人の男性の間で揺れ動き苦しむ

     久坂葉子は一九三〇年、神戸生まれ。相愛女専音楽部を中退後、富士正晴の主催する同人誌「VIKING」に参加。小説「ドミノのお告げ」で芥川賞候補になったのが十八歳の時という、才能と若さ、美貌に恵まれた存在であった。
     作品の冒頭に、主人公が自殺に追い込まれた原因がこのように書かれている。
    「私もうまっぴらなんです。苦しむのは嫌よ。私云いましたね。三人の男の人のことを。三人のちがった愛情を、それぞれ感じながら、私、罪悪感に苦しむって」
     三人の男のひとりは、彼女が新日本放送に勤めている時知り合った同じ会社の社員である。沖縄節をよく聞かせてくれた彼を、彼女は「緑の島」と名付けて愛したが、彼には妻子があり、悩んだ彼女は服毒自殺をして失敗する。
     生き返って肺病になり、療養している彼女を、レモンを持って見舞ったのが、二番目の男「鉄路のほとり」であった。「谷川ではなしに、もう海に近い、そして船の油や、流れてきた、汚いものが浮かんでいる川の中に、どこへでも行け、といった気侭気随でいる流れ木のような」男に、彼女はしだいに惹きつけられていく。

    最後のラブレター書き大晦日の夜に………

     そして三人目の男は、見合いをし、結婚契約を結ぶが決して愛せないと感じる 「青白き大佐」と仇名された男。彼と結婚契約を結んだのは「有名な親をもち、有名な祖父、曾祖父をもち、貴族出の母親をもっている」家柄の彼女にとって、 「私のような、過激な、情熱のかたまりみたいな女は、恋愛して、そのまま結婚することは、とてもできないと感じていたからであった。
     この三人をめぐって揺れ動きながら、次第に自分が本当に愛しているのは「鉄路のほとり」であることに気付くが、年老いた母親や弟の面倒を見なければならない彼の現実と由緒ある家の束縛から逃れたいと悩む彼女とのギャップは大きく、二人の感情はスレ違うばかり。
    「鉄路のほとり」のモデル・北村英三氏にあてた久坂葉子の最後のラブレターは次の文章で終わっている。
     「とにかく
       三十一日には
        会いたいと思います。
       五分間でもいい。
      何も喋らなくてもいいの。
       会うだけでいいんです。
      あなたが何か云えば云う
      程
       私は
       あなたがわからなくな
       るのです」
     何と愛らしいラブレクーかと男う。しかし、彼女はその返事をもらうことなく、三十一日の深夜、阪急・六甲駅で鉄道自殺する。二十二歳だった。

  • p23
    夏の宵を、秋の黄昏を、私は愛してもいない人の腕にからまりついて酒場へ行き、むりに酔い、かなしい旋律に頬を寄せたまま誰とでも踊り、賭事に夢中になろうともした。だが私は自分の脳裏より彼を追い出すことは出来なかった。

    p166
    「全く複雑のようで簡単ね。死ぬ人の心理なんて。死ぬ動機だって一言で云いあらわせてよ。死にたいから死ぬの。何故って?理窟づけられないわ。生理的よ。衝動的よ。泣く、笑う、死ぬ、みんな同じだわ。他愛のない所作でしょうよ」

  • 表題作を目当てに購入。

    読んでいる間ずっと漂っていた「死」の影は、著者にずっとつきまとっていたものだろうかと考える。
    表題作を書いたあと自死を選び人生の幕を下ろした著者。
    3人の男性といわゆる三股交際をしていた著者。
    その3人の男性について思うことや自分がとった突発的な行動も記しているが、そのために命を絶ったわけでもなさそうだ。
    むしろ家庭の事情と問題が3人の男性に救いをもとめるきっかけになったとも思えるし、自死の理由でもあったように思える。
    本当の理由はもしかしたら著者自身にもわからないのかもしれない。

  • 久坂葉子は昭和6年、造船会社の家に生まれたお嬢様であったが
    終戦後、父親が公職追放を受けたため
    家財道具を売り払って、食いつなぐ生活を送るハメになった
    その後、文学の道を志す
    没落貴族としての生活を自らの小説世界に反映させていたが
    太田静子のようなずぶとさを持つには若すぎたのか

    「四年のあいだのこと」
    かつての少女が大人になって
    かつて恋した往診の先生を訪ねるのだが
    米兵のジープが走ってきたとき、不意に「ある感情」を持つ
    ちょっといきなりすぎてショックだ

    「落ちてゆく世界」
    没落した一家のあるじは病床にあって孤独だった
    彼が死んだとき、子供たちの世界は変っただろうか?

    「灰色の記憶」
    自伝的な作品で、最初の自殺未遂までが記されている
    あるいは、太宰治の「人間失格」に触発されたものかもしれない
    反抗的な少女時代を送ったように書かれているが
    基本的に「良い子」あつかいを受けていたらしいことは端々から伺える

    「幾度目かの最期」
    前に好きだった男と、新しく好きになった男
    あと好きでもないのにつきあってる男
    三人まとめていっぺんに交際しているが、どうも破綻をきたしつつある
    …といった告白の手紙なんだけど
    作者がこれを書いた翌晩には、阪急線に飛び込んで死んでしまったという
    いわくつきの文章というか、まあ遺書だよね
    しかしどうも、男たちとのことは自分自身への言い訳っぽい感じがする
    つまり、自立した女としての自己像を守ろうとするものではないか?
    そんな気がする
    確かにこの人、死ぬ死ぬ言って周りの気を引くめんどい女だったらしいけど
    三股交際も要は小説のネタづくりでしょう…そんなことより
    ここに書かれていることでは、家庭内の確執のほうがよほど深刻な気がする
    公職追放を受けた父親への、世間の目は厳しく
    子供たちもその巻き添えを食う格好となった
    「鳴かぬなら、鳴くまで待とう」のたとえもあるように
    公職追放が解けるまでじっと耐えて待つのも、ひとつの選択だが
    しかし若い娘にはそれが歯がゆくてならない
    現実に、社会からの悪意をぶつけられて苦しんでいるのは子供たちなのだ
    それがいつまで続くのかという不安、焦り
    そしてなにより、そのことをわかってくれない大人たちへの苛立ちがある
    これらにさいなまれる苦しみでは、死の理由に足りないものだろうか

    「女」
    とある女が死ぬ前の挨拶回りで遺書を配るというはなし
    おそろしい

    「鋏と布と型」
    服飾デザイナーとマネキン人形が会話するという戯曲
    やっぱ年を取るのはイヤだったらしい

  •  もし仮に、久坂葉子が現代に生きていたら、俺は真っ先に騙され、連帯保証人の判を押していただろう。

  • この一冊に辿り着けて良かったと思える本がまた増えた。

  • この本は悪い意味で引力が強いので、精神状態が悪い時に読むと引っ張られる。学校をサボってザリガニを釣りながら太宰を読んでいた中学生の頃にこの本に出会わなくて良かったと、しみじみ思う。

    私は、空気が自分の身体に痛みを与えるように感じだした。

    マネキン 絶頂の後にあるものよ。
    諏訪子  何よ。
    マネキン 死よ。人間は死ぬんじゃないの。

    自死の直前に書かれた表題作、最後の段落を読むと何故か涙が出てしまう。

  • 表題作他「四年のあいだのこと」「落ちてゆく世界」「灰色の記憶」「女」「鋏と布と型」「南窗記」収録。名門の家に生まれたことの重圧、恋愛の破局、仕事の悩み……何が彼女を鉄道自殺へと駆り立てたのは定かではないが、作品から滲み出る悲痛な叫びが胸に突き刺さる。表題作である「幾度目かの最期」は自殺直前に書かれた作品であり、殆ど遺書と言える内容だ。激しい感情の奔流、死へひた走る筆が圧巻であり、酷く悲しく苦しい。「鋏と布と型」はマネキンとデザイナーの戯曲で、作者は何も傷つかないマネキンに憧憬を持っていたのではないかとふと思ってしまった。

  •  昭和6年(1931年)生まれ本名川崎澄子、曾祖父が川崎造を始めとする川崎財閥の創設者、父親は川崎造船(現川崎重工業)専務、神戸新聞社長、母親は華族出身というセレブ一族だが、幼少の頃より乳母に育てられ両親の愛情は乏しく家柄故躾は大変厳しく育てられた。

    父親の影響から8歳にして俳句を詠み12歳頃より小説を読み出し15歳時には随筆集を纏める等天才少女の片鱗が伺える。

    16歳で最初の自殺未遂、17歳時にも2回自殺未遂を起こし21歳の大晦日に3日間で書き上げた遺書的作品”幾度目かの再期”を脱稿し仲間と忘年会後に阪急六甲駅で電車に飛び込み自殺を図った。この小説は当時3人の男性との付き合いに悩み自分の両親に辟易しながらも演劇、音楽、執筆に日々忙殺されながら悶々とする彼女の心の告白である。

    若く短い人生であったのに彼女の言葉は重く深く胸に突き刺さる。青白き大佐、鉄路のほとり、緑の島という男性3人の間で激しく揺れる動く異常なまでの彼女の感情と言動には正直反感を持つ部分も出てくるが鮮烈な彼女の人生に心打たれました。

  • 神戸生まれのこの作家は、本名を川崎澄子というそうです。
    神戸の川崎製鉄(川崎市ではない)や川崎重工、川崎造船、川崎汽船などの、神戸川崎財閥創設者の直系、大変なお嬢様です。

    19才の時に芥川賞候補となり、2年後の大晦日に、阪急六甲駅で鉄路に身を投げて自尽しました。1952(昭和7)年のことでした。

    どんな作家だろうと興味を持ち、図書館で1冊かりて読んでみました。

    まず注目は「幾度目かの最期」という遺作。
    彼女は実生活で4度の自殺未遂をしているらしいが、
    この作品はまさにそのあたりが書かれた遺書のような作品。
    年末に自尽するまでの心の移り変わりが書かれていました。
    3人の男性との関係。
    揺れ動く自分、そして、結論。
    自裁と表現したほうがいいかもしれい、彼女の死。
    でも、作品自体は面白いとは思いませんでした。

    最初にこれを読み、あとは本の頭から読んでいったのですが、
    「落ちていく世界」という小説が大変おもしろい。
    で、よくよく見ると、これはのちに編集者に手を入れられ、
    「ドミノのお告げ」とタイトルを変えられて、
    芥川賞候補になった作品らしい。
    19才でこの文章が書けるとは・・・うーん、すごい才能。
    そんな作品でした。

    若くして花開いた女性の作家、しかも、早くに散ってしまった作家。
    そういう作家たちは、とても難しい面があるのですが、これまでに会えなかった素晴らしい作品に出会えるチャンスあり。そんな期待を抱かせてくれます。

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