「十九の春」を探して ~うたに刻まれたもう一つの戦後史~

著者 :
  • 講談社
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感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062139861

感想・レビュー・書評

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  • 刊行時に購入したけど読み切れず挫折してたものを再読、一気に読了。赤瓦で三線を習ううちに学んだことが確実にあると、実感。
    本書では、うたのルーツが完璧に解き明かされるわけではないけど、うたと歴史と文化が同時に理解されて、勉強になった。

  • 2007/12/12読了

  • 「十九の春」を知っていますか?♪私があなたにほれたのは   ちょうど十九の春でした いまさら離縁というならば   もとの十九にしておくれ古くは1975年に田端義男が歌って全国的にヒットしたこの曲は、実は沖縄や奄美、八重山では酒の席でごくポピュラーに歌われてきた曲だという。沖縄民謡とか沖縄俗謡とか紹介されるこの曲だが、琉球音階でもなければ歌詞も沖縄方言ではない。この曲が再び脚光を浴びるのは、2004年奄美の「唄者」朝崎郁恵が「沖縄ソングス〜わたしうた」というCDの中で歌ったことから。著者がこの曲のルーツとして偶然聞き及んだのがその朝崎郁恵の父親が他ならぬこの曲の作曲者だという話。曲の名は「嘉義丸のうた」太平洋戦争末期、大阪-那覇の定期連絡貨客船だった「嘉義丸」はアメリカ潜水艦の魚雷攻撃によって轟沈させられた。目を病んで鍼灸医となていた朝崎の父親はこの嘉義丸で娘と共に遭難し、一人生還した母親の為に追悼のために歌ったのが「嘉義丸のうた」だという。著者は「十九の春」のルーツを探し「嘉義丸のうた」の背景にある、あまり語られてこなかった戦後史を辿る旅に出る。そして見つけたのは「十九の春」の別のルーツ。「十九の春」のルーツはさらに古く、「与論小唄」「与論ラッパ節」などと言われ、さらにそのルーツは明治の演歌士添田唖蝉坊の「ラッパ節」まで遡るというのである。著者はさらにこの歌が何処で生まれ、何処を伝わって来たのかを探して歩く。歌は満州開拓団と共に大陸へ渡り、終戦後は九州に。別の枝は「失恋歌」「悲恋歌」と呼ばれた過去をもち、やがて戦後の沖縄コザの売春街で歌われいたことまで探しあてる。この長い旅路の行き着く先どこなのか。レコードやラジオによる伝播よりも労働者の慰めの歌として歌い継がれたある意味「名の無い名曲」の戦後史。実は、私はこの話をTVのドキュメンタリーで見ている。取材対象も殆どダブっているのでこのドキュメンタリーの元ネタが本著ではないかと思うのだが、著者の名前はドキュメンタリーのクレジットには出ないし、著書のなかでもドキュメンタリーについては触れてない。

  • 「十九の春」の歌をスタートに物語は始まり、そのルーツを追って、奄美、八重山、島原、大阪、東京、横浜そしてさいはての与那国島を廻る。

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著者プロフィール

1956年神奈川県生まれ。慶応大学法学部卒業。毎日新聞記者などを経てフリージャーナリストとして活動。『「十九の春」を探して』『122対0の青春』(講談社)、『大和コロニー』『切ない歌がききたい』(旬報社)、『伝えるための教科書』『社会を生きるための教科書』(岩波ジュニア新書)など著書多数。

「2022年 『数奇な航海 私は第五福龍丸』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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