私のいない高校

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著者 : 青木淳悟
  • 講談社 (2011年6月14日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062170086

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私のいない高校の感想・レビュー・書評

  • なんともおぞましい小説。“私”や“物語”の不在がおぞましいのではなく、それ以外の事象(≒出来事)があまりにも満ち足りており、それが定型句による記述のみで成立することに戦慄した。『私のいない高校』は“ページをめくる”という行為が内包している物語への期待や欲望を悉く裏切る。だからこそ、ページをめくる行為をやめられない。これがたとえばスマホでスクロールしながら読む形式だったら多くの人間が頓挫したであろう。
    二巡する意義のある小説。一巡目は奥付にぶちあたるまで、物語を期待し続ける。いわゆる小説が好きな人ほど、その呪縛から逃れられない。しかし、二巡目はそうはいかない。どんな景色が待っているのだろうか、今からワクワクしている。という期待すらも破壊されるのかもしれない。

  • 「学校」がどことどのように地続きなのか、考える。

    きょうれつなやつである。これ。とある高校教諭の教務日誌的なものを参考資料にして(というよりほとんどそのまんま、という話も聞くのだがそれの資料自体まだ未見なのでなんとも言えず)、どちらかといえば先生の側の視点、でも人称を変えているのでちょっとずれてなんともピンぼけな印象のまま文章が続いていく。内容的にはどこにも変なところはない、至極まっとう。何が起こるというわけでもない。こんな感じだったか、学校生活、いやこんな感じだったわな、でもすげえなようこんなんやっとたわな、そして先生方もようこんなところでこんなふうに日々過ごしとったよな、と思うのである。地続きなのかな、いまと。いまにつながるための、あれだったのかな、とも思う。

    『私のいない高校』、というタイトルで、「私」の、で、タイミングとしては『教室内カースト』という本を先に読んでいたし、『桐島〜』の本や映画の噂を聞いていたりしたので(つまり未見)、そういう部分もあるのかな、と無意識に期待していたけれど、結果は…むーん。まあ、ただ、担任の目線でクラスをつぶさに観察しているはずなのに、明らかに言及される生徒の数は少ない、と感じるので、そういう意味でも「私」のいない高校なの?どうなの?

  • ストーリー皆無。人格不在。もちろん作者の「言いたいこと」など何ひとつ書かれてはいない。史上最も国語入試問題に不向きな小説の誕生。

    しかし何気ない描写がいちいち面白く、だがそこに物語的な面白さは一切ないと言い切れるのが凄い。描かれているのはただただ、「日本の高校にやってきた外国人留学生の日常」。それ以上でも以下でもない。さも山場っぽく修学旅行が描かれるが、そこには突然の告白も熱い友情もなければ「外国人から見たニッポン」といった類のいかにもな発見も別にない。

    その面白さの質は、まさに我々が日常生活(学生生活)の中で、自分だけにとって面白いと感じる個人的な感触に満ちている。それが極めて平坦に平板にそして意識的に、強弱も緩急も極力排したフラットな文体で淡々と描かれるのみ。修学旅行のラスト、担任教師が口にする「無事、家に辿り着くまでが――」の常套句に代表されるように、「いかにも」な言動と日常的シチュエーションの連続は、まったく小説を前に進めようとしない強い意志に貫かれている。ここまで「物語」という推進力のない小説は珍しい。通常、小説を読み進めるモチベーションとして当然存在すべき「続きが気になる」という感覚が、この作品からは微塵も感じられない。予感も予兆もない世界。正直、僕は中途で二度挫折し、三度目でようやく読み通せた。だがそれは「面白くないから」ではまったくなく、むしろ「この先もいま読んでいる箇所の面白さが永久に続くだろう」という作品への信頼感からくる妙な安心感ゆえだったような気がする。

    人が物語の先を急いで読みたがるのは、通常「この先もっと面白くなるはずだ」という期待を推進力にしている。だがそれは裏を返せば、「この先よりいま読んでいる箇所は面白くないはずだ」という確信に基づいているとも言える。そういう意味で、小説には普通面白い箇所とそうでもない箇所の「波」があるというか、むしろそれを前提として、振れ幅を効果的に利用すべく作られているものが多いが、本作にはその「波」というものがまったく存在せず、「凪」のまま最後まで平行移動する。だが「凪」の状態が充分に面白いのだから、それでなんの問題もないどころか、高いレベルをキープし続けるある種の理想型とも言えるわけで、全体を通してフラットなぶん精度のバラつきがない。結果として、底辺から頂点へと向かう上昇時に湧き上がる一時の興奮ではなく、虚空を漂う浮遊感が継続するタイプの小説になっている。もちろん「起承転結」などというものは知らぬ存ぜぬな顔をして。

    「平坦な日常の描写」という感触はいかにも日記に近いのだが、まったく関心の持てない、キャラクター性をあえて排した人物の日記を、人は普通面白く読めるものではない。だがこの小説に描かれた心底どうでもいい人たちの学園生活は、読者にとってどうでもいいままに面白い。どうでもいい人のどうでもいい話を聞いて興味を持つことは稀だが、たとえば時にファミレスの隣席で交わされている会話が想定外に「ある意味」面白いことがあるように、まったくないというわけではない。たとえば見るからにモテなそうな先輩とそれより少しはモテそうな後輩という男二人組がいるとして、最近フラれて落ち込んでいる後輩に先輩がドヤ顔で投げかける「大丈夫。女は星の数ほどいるさ」という台詞が持つ一周した面白さ。いやそんなシーンはこの作品にはもちろん出てこないのだが、そういう類の「あちゃー」と言いたくなるようなどうでもいいままに滑稽な台詞が、本作には不意にあちこち登場する。そしてそんな稀に遭遇する「なぜか面白い場面」が連続する世界があるとしたら、やはりそれはフィクションの中でしかあり得ないのかもしれず、この小説が描いているのはいかにも平凡な日常に見せかけて、実は日常のふりをした異常な世界だとも言える。

    本作の... 続きを読む

  • これを書いた人も、これを出版させた人も凄いと思う。

  • 青木淳悟はいつも実験的な小説を書くという印象がある。で、読み始めてしまってから、あれ何でこの本を読んでいるのだったかな、という疑問を抱くことになる。というのも、別に実験的な小説を読みたいと思う程に文学にハングリーな訳ではないからなのだが、その著者の名前の背表紙は何か自分の中にあるものを引き寄せるらしい。

    青木淳悟の小説は事実を述べた文章をパーツのような組み上げる。このあいだ東京でね、も同じような文章群からなる本だった。そういう組み合わせから何かが立ち上がっているのかも知れないのだけれど、それを感知するには至らない。不可解なのである。この小説では「私」という人称で指示される人物が出てこない。それだけのことで他は何も変わらないと言ってしまうこともできると思うのだけれど、何かが動き出す気配は消えてしまう。

    もちろん、それはとても実験的で意欲的なことなのだとは思う。一人称のいない世界を第三者だけで動き回る。ところがとても不思議なのだが、一人称で呼ぶ人物のいない世界は、全ての人が消えてしまってもぬけのからのように見えてしまうのだ。そしてとてつもない空虚な感じが漂ってしまう。その感じには見覚えがある。それは自分以外の存在は全ての自分の脳の作り出した想像の産物ではないかと疑ってかかった時に感じるあれだ。

    そういう小説があってもよいとは思うけれど、どうしても「何故」という疑問がつきまとう。青木淳悟、ますます遠のくような気がしてならない。

  • 学校の生活が日記形式で書き綴られている本。
    これはこれで、ありなんだと思った。

  • まず、表紙絵が好き。

    本書は、ある高校教師の日誌をもとにしている。だから、語り手は教師のようにも思われるのだが、そのくせ人称は「私」ではなく「教師」という三人称なので、いまいち感情移入できない。しかし「視点」は、つまりカメラのレンズは一人称であり、なんだかものすごく距離感がおかしな小説。なにより可笑しいのは、学園ものであるにもかかわらず、学生たちがかなり客観視されているところ。

    読み始めてすぐ、もうどうしようかと思ったが、読み進むにつれ、しだいに心にしみてくるから不思議。修学旅行のくだりなど、教師のあまりの凡庸さに、そしてまっすぐに留学生を見守るその視線に、感動すらしたのは、自分がいちばん驚いた。唯一無二、前代未聞の小説。

    似たようなことはヌーヴォーロマンがとっくにやっているけれど、本書がすごいのは、主題選びの妙と、ユーモアのおかげで、読み手をまったく飽きさせないところだ。

  • カナダからの留学生(でも英語が苦手)を受け入れた、とある高校での数ヵ月―。
    描かれるのは至ってフツウの学園生活のはずなのに、何かが、ヘン…。
    “物語”の概念を覆す、本邦初「主人公のいない」青春小説。
    (アマゾンより引用)

    意味が分からない、何を伝えたいのか分からない…
    読み損した気分

  • 普通のことをただ淡々と描写してならべていく
    その中に油断してると変な罠が潜んでいる。
    どっかで覚えのある手口だなと思ったら小林賢太郎だ。
    違うんだけどなんか似てる。
    (ト)

  • 前の作品から通じて、著者の新しい小説を作ろうとする意欲を感じた。しかし、少なくとも私の読解力では、この作品に面白さを見出すことが難しかった。とはいえ、新しい小説を作ろうとする試み自体は、とても興味深いと思う。次の小説に期待。。

  • 読んでるうちはそうでもないのだが、読み終わってからぐわわわ〜と来る・・・すごい小説。
    海外からの留学生を受け入れた高校の、2年菊組の1学期が淡々と語られる。他の方が書いている通り、先生が主人公っぽいけどピントがズレていて明確な主人公が不在のまま物語が進んで行く。特別な事件が起きる訳でもなく、大どんでん返しがある訳でもない。悪く言えば「退屈でよく分からなかった」しかし私としては「これこそ高校生活」と思った。現実の高校生活に主人公はいない(強いて言うなら自分だけど・・・)、そして事件も起きない(私の高校生活の一大事件など卓球部の短パンが盗まれたくらいである)マンネリで退屈で『よく分からない〜』が本当の高校生活なわけで・・・。
    そしてこの物語、特に感情移入できるキャラクターが出てくる訳ではないのに、どんどん引き込まれてしまうのである。「生徒総会あったな〜アイスの自販機を置こうて議論したな〜」とか「修学旅行あったな〜9.11のテロが起きてロンドンとパリから急遽長崎になったよね〜」といった事柄から、自分が高校生の時に感じていた事、どんな大学に行くとか、どんな仕事をしたいとか、どんな女性になりたいか・・・なんて色々なものが光り輝いていた事か。いつの間にか、自分が2年菊組に仲間入りしていたような。そういう意味も含めて「私のいない高校」ってこと?
    この本は、学生が読んでも理解できないんじゃないかな。大人になってから、じっくりとしみいってくる趣がありますな。私は大好きです。

  • 不思議な小説でした。読んだのですが、なんだかつかめなかったです。
    日常をたんたんと、私とは誰だったのだろうか?やっぱり担任?いないっているじゃないか??
    どうも私にはピンとこなかったです。
    もう少し読解力をつけて再チャレンジするかもしれないです。

  • この物語には主人公がでてこないようで・・・。
    三島賞受賞作ということもあって大変きになります。

  • 『私のいない高校』じわじわくる。細かいディテールで造られた中心の無い物語。好きだなー。
    おれの中ではパルプ・フィクションと同じ引き出しにいれた。あとシェンムー。

  • 本のジャケットの印象から勝手に、ミステリーだと思っていたので
    勝手にがっかり。
    留学生日記??
    飛ばし読みしたので詳細まで入ってこず。ちーん。

  • 普通の学園物小説と思って読み始めると何かが異質。過剰なまでの細部への記述が画面の端々までピントを合わせた映像のようで、物語の濃度が並の小説の比でない。読了しても何か見落としている気がしてならない。

  • 業務日誌を読んでいるよう
    でも、逆におもしろいかも

  •  虚構性がとても高いのは、この高校の集団。いかにもありそうだけど、あまりリアルじゃない。生きてる感じが伝わってこない。

  • 資料ID:21102751
    請求記号:

  • いつストーリー性がでてくるかと思いながら読み進めていたが、最後まで学校の日々の生活がつづられていくだけだった。途中からはとばしとばし何とかページに目を通した、というかんじ。こういう小説もあるんだあ。ちょっと私にはわからない。

  • 主人公たる私がいないという意味なのか、「私のいない高校」は不思議な空気を持った小説、日記である。あえて言うなら留学生を気にしながら菊組担任の先生が日常を過ごしている。修学旅行というトピックスはあるが特に何ということもない。そして、読んでいる私がその菊組にいるような気にさせられる。そのクラスの一人としてそこにいるのが何の違和感も無く受け入れられる。、、、という変わった読書体験をした。

  •  第1回の三島由紀夫賞受賞作は高橋源一郎の『優雅で感傷的な日本野球』だ。これが面白く、以来、三島由紀夫賞受賞作が気になっている。『新潮7月号』で第25回の三島由紀夫賞受賞作が発表されており、早速、この受賞作を読んでみた。
     帯には「わからない愉しさ」「主人公のいない青春小説」、さらには、「これまで読んだ中で、もっとも不可解な小説」という豊崎由美氏の書評の引用もある。
     この作家の小説は初めて読む。読み進めるのが辛い。語り手という中心が無いことから来るものだと感じる。末尾で、実在する教務日誌に刺激を受け、これを改変・創作した作品であることが明かされている。学校内部の世界に忍び込んだ作家は、いつの間にか自分が消えていることに気付いたらしい。学校という空間は主体が消滅する場所である。集団に呑み込まれる恐怖を本能的に感じ取る感受性の強い生徒は、「私」を守るために不登校になる。哲学者ミシェル・フーコーは、『監獄の誕生』の中で、近代の権力構造をパノプティコン(一望監視装置)に注目して分析している。人間は、この装置の中で、絶えず見られているという視線を感じながら、やがて自分で自分を監視する者へと変質する。社会全体が監獄同様に、俯瞰する視線の張りめぐらされた空間となりつつある。監視カメラに馴れた私たちは、実は、すでに監獄の中にいるのではないのか。一望監視装置の偏在する社会の中で、「私」を取り戻すことはいかにして可能か。これが現代社会の課題なのかもしれない。(現在、問題となっている大津市の中学校でのいじめ事件も、こうした文脈の中で捉え直し、学校や教育委員会、警察、さらには社会そのものの中に、いじめを生む構造が内包されているのではないかと疑ってみる必要もありそうだ。)
     話を元に戻そう。私は、この小説を、ある種の「哲学小説」として読んだ。哲学にはどんな語り口があってもいいし、小説はどんな方法も許される。しかし、私には哲学的思考を表現するための方法として、小説という表現形式はいかにもまどろこしく感じられた。(もっとも、こんな風に、あれこれ考えさせられたのは、この小説を読んだからで、感謝はしているのだが・・・)

  • 三島賞受賞と聞き、手にした一冊。
    淡々とした地味な作品だが、教諭の使命や責任がヒシヒシと伝わってくる。
    タイトル通り「私」と云う人物が不在。
    退屈と面白さが同居する変な作品だ。

    同時に自らの高校生活を思い返してしまう。男女比4:1の鴉のような教室だったけど(苦笑)
    登場する修学旅行先も広島・山口は同様だったので、実に生々しい!

    学童から学生と呼ばれる身になっても、学校生活や団体、協調性がどうにも苦手な生徒であった私にとっては、実に厭な汗が流れる作品であった。
    嗚呼、当時の教諭方、めんどっちい生徒で申し訳ないッ!

    作品世界にのめり込むより、反省を促されてしまった。

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私のいない高校の作品紹介

カナダからの留学生(でも英語が苦手)を受け入れた、とある高校での数ヵ月-。描かれるのは至ってフツウの学園生活のはずなのに、何かが、ヘン…。"物語"の概念を覆す、本邦初「主人公のいない」青春小説。

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