- Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062175791
作品紹介・あらすじ
東日本大震災の大津波は著者の生家・陸前高田の高台にある正徳寺の真下にまで及ぶも寺は無事で、その夜から避難所となった。住職で市役所職員の実弟と坊守の義妹、地域のリーダー、全国の僧侶たちの活動を追った、心揺さぶるノンフィクション。
感想・レビュー・書評
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(2012.06.02読了)(2012.05.25借入)
【東日本大震災関連・その89】
副題が「陸前高田・正徳寺、避難所となった我が家の140日」だったので、てっきり正徳寺の住職が書いたものだろうと思っていました。読んでみたら、そうではなくて、東京に住んでいる住職のお姉さんが、関係者に取材して書いたものでした。
著者の千葉望さんは、ほかの著作もあるので、文章を書くことには慣れているようです。
陸前高田市小友町にある正徳寺は、浄土真宗のお寺で、僕の実家はこのお寺の檀家です。従って、盆のお墓参りや祖母、父、母の葬儀の際の行ったことがあります。
本の中に掲載されている写真を懐かしく拝見しました。
震災の後、正徳寺には、まだ行っていませんが、小友町には、長姉が住んでおり、広田町には、次姉が住んでおりました。
長姉の家は、チリ地震津波の被害にあったので、何年か後に、高台に家を移しました。今回の津波で、以前住んでいたあたりの家は、壊滅です。高台に移っていたため、長姉の家までは津波が届きませんでした。長姉の孫の一人は、小友中学校の生徒でした。
友人たちが、バレンタインデーのお返しを買うために高田の町に出かけてゆき、津波で6人の同級生を亡くしたという話を長姉から聞きました。この本の中にもその話は出てきます。
広田町の次姉の家は、大野海岸の近くにあったため、津波で流されてしまいました。本人たちは、地震のあとすぐに高台に避難したため助かりました。3月13日に実家を訪ねた際に、確認できましたし、本人にも会うことができました。
僕が今住んでいるところまでは、津波が到達しなかったので、家も家族も無事でしたが、ライフラインが断たれてしまったので、復旧するまでは大変でした。
そんなこともあったので、この本は興味深く読むことができましたし、涙を流しながら読んだ部分もあります。
避難所としては、学校・公民館・集会所が一般的ですが、お寺や神社というところも使われていることが分かりました。お寺の利点は、畳があるということでした。
学校は、畳がありません。寒い時期だったので、被災者はずいぶん助かったことだろうと思います。
【目次】
序章 波の夢
第一章 生きていてください
一 東京
二 陸前高田
三 避難所となった我が家
第二章 大震災と死
一 避難所のルール
二 白骨の御文
三 さまざまな支援
第三章 仏教者にできること
一 慈恩寺
二 岸野亮哉さん
三 野村俊明さん
終章 その後
あとがき
●小友中学校(85頁)
小友中学校の悲劇は津波で校舎が使えなくなったことだけではなかった。3月11日はたまたま授業が半日で終わる日で、午後は自由になる。その時間を利用して、8人の中学生が自転車で市街地にあるショッピングセンターのリプルへ遊びに出かけ、全員が犠牲となった。全校生徒40人あまりの小さな学校で失われた8人のいのち。それが生徒や保護者、教職員にどれほど大きな傷を与えたことか。
(中学2年生6人、3年生2人と聞いています。)
●欲望は膨れる(92頁)
最初は生きているだけでよかったのに、次に食べられればいい、次に下着、靴下、布団がほしいと人間の欲望は膨れていきます。今の生活に感謝する気持ちを忘れずに、避難所での生活を送ってもらいたいと思っています
●全員分揃わないと(94頁)
歯ブラシも何本かずつ届けてくださる方はあったんです。そのことを知り、私のところにやってきて、届いている歯ブラシを分けてほしいという方もいらっしゃいました。でも、全員分がそろわないうちは配りませんでした
●お寺の機能(120頁)
立派な伽藍の中で、お経をあげることだけが、寺の仕事ではありません。どんな形であれ、人が集う場所になるのが、本来の役割の一つであるはずです。
●瓦礫というけど(128頁)
ひとくくりに「瓦礫」と言われるけれど、現実にその場を歩いてみれば、一つ一つ誰かが生き、生活していた痕跡に他ならない。なかでも痛々しいのはアルバムやパネルなどの写真だった。家族の大切な思い出が、泥にまみれ、打ち捨てられている。
●別天地(159頁)
小学校の体育館などに避難された方がてらに来られると、みなさん『ここは別天地ですね』とおっしゃる。私は驚いたんです。うちだってみんな不自由な生活をしていたんですから。『でも、畳があるじゃないですか!』と。それだけで恵まれていたとは、私は言われるまで気づきませんでした。
●泣かないで(189頁)
ボランティアに来て、被災地の状況があまりにもひどいと泣く人がいる。泣かないでほしい。悲しいのは自分たちなのだ。外から来た人に泣かれたら、頑張っている自分たちの心まで崩れてしまうと。
●解散式(203頁)
2011年7月30日に解散式が行われてから、また寺は静かな日常に戻った。
☆関連図書(既読)
「平成の三陸大津波」三浦宏発行、岩手日報社、2011.06.17
「3・11東日本大震災奇跡の生還」上部一馬著、コスモトゥーワン、2011.07.01
「気仙の惨状」村田友裕撮影、村田プリントサービス、2011.07.10
「平成三陸大津波空から見た爪痕」東海新報編、東海新報社、2011.08.04
「被災地の本当の話をしよう」戸羽太著、ワニブックスPLUS新書、2011.08.25
「生きる。-東日本大震災-」工藤幸男著、日本文芸社、2011.09.20
「ファインダー越しの3.11」安田菜津紀・佐藤慧・渋谷敦志著、原書房、2011.12.03
(2012年6月5日・記) -
2011年3月11日
あの日からの数週間を思い出して、涙がでてきた
東北地方から遠い関東にいても
怖かった
東北地方の沿岸部に住む、友人知人たちが心配で心配でしかたなかった
私も、暗い目をして送る物資を買い求め
運送業を仕事とする者達の心意気に嬉しくなり
身内の安否の知れない者に、かける言葉もなくて