- Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062199940
感想・レビュー・書評
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これが絶対的に正しいと、教えられたのに、実は、間違ってましたと、
言われたら、どうすればいいか?そういう視点で、この二人の戦時下の体験記
を読みました。また、お二人の父親、母親は、どうその時代を生き抜いてきたのかも、
参考にしたいと思いました。
戦前生まれで、戦後が青春時代だった人は、ある見方では恵まれた世代かもしれません。
なぜなら、何もかも失われてからのスタートだったからです。若さが、そのスタートを支えたからです。
戦前生まれで、戦後すぐに中年だった人は、本当に大変だったと思います。
あの戦争に、一番関わり、一番犠牲を払った世代だからです。まさに、このお二人のご両親です。
特に、田原少年のお父さんの記述は、非常に印象的でした。
お二人とも、未だにテレビで活躍されていますが、
なぜ、あれだけエネルギッシュなのは、正解だったものが、実は間違いで、
信じるものは何かを常に問い続けることから生まれるかもしれません。 -
「この世界の片隅に」ですずさんが玉音放送を聞いて「まだここに五人おる!」といきり立っていたとき、トットちゃんは青森の諏訪ノ平駅前のお店でラジオを聞いて、もう空襲はない、もう爆弾は落ちてこないとほっとした気分になっていたし、ソウちゃんは海軍兵学校に入るという夢を絶たれ、悲しくて泣いて、泣き疲れて寝ていたのだ。
黒柳徹子さんの本として「窓ぎわのトットちゃん」は読んだことがあって、それと内容のかぶる部分もあるけれど、トモエ学園以外の話もあってなかなか興味深い。
田原総一郎さんと黒柳さんとは年代がほぼ同じで、場所が違うということで、東京~青森と彦根とでの違いも見えて面白い。
できることなら、検証班みたいなのを作って、お二人のお話を検証して、真偽や追加情報などの解説があれば、もっと質の高い戦争記録になるかと思う。 -
平和とテレビ。
なるほど。 -
黒柳徹子さんの疎開中の話って初めて読んだように思う。胸に迫って途中でやめることができず、一息に読んでしまった。戦前のいかにも山の手の家庭らしい暮らしぶり、だんだん物資が不足してきていつもお腹をすかせていたこと、とうとう召集されて戦地へ向かう父を見送ったときのこと、疎開先での母のたくましさ、戦後何年もたってから父が帰ってきたときの嬉しさ…、忘れがたく心に残る話ばかりだ。
たくさんの出来事を細部まで覚えていて、またそれを生き生きと目に見えるように綴る黒柳さんの力はすばらしいと思う。どんな言葉より、そうした実際の具体的な情景によって、戦争というものの非道さ不条理さが心にしみ通ってくる。こういうことがあってはならないのだ。決して。
「徹子の部屋」で戦争体験を語ってくれた方たちの話も紹介されていて、ここも強く印象に残った。なかでも芦田伸介氏の「無力の罪」という言葉には考えさせられる。
「なぜ、あんな悲惨な戦争を日本は始めてしまったのか。どうして、私たちはそれを止められなかったのか。たしかに戦争に向かう巨大な力の前では、私たちは無力だったかもしれないが、だからどうすることもできなかったではすまされない。戦争は大きな罪だが、戦争というものに無力だった自分にも、なにがしかの責任があるのではないか。それは無力の罪というものではないのか」
スルメ欲しさに旗を振って出征する兵士さんを見送ったことに、ずっと罪悪感を抱いてきたという黒柳さんは、「私は無責任だった。無責任だったことが、私にとっての戦争責任なのだ」と書いている。現在に至るまでユニセフの活動を精力的に続けてきたのは、著者の「責任の取り方」なのだ。言葉がとても重い。
(正直に言うが、「ソウ君」田原総一朗氏の文章を読むと、いかに黒柳さんの文章がうまいかよくわかる。悪いけど) -
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