民俗と民藝 (講談社選書メチエ)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062585521

作品紹介・あらすじ

柳田國男と柳宗悦。かたや「常民」の暮らしに目を見開き、かたや民藝運動によって、生活の中の美を求める。二人の交錯を描く力作!

感想・レビュー・書評

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  • 柳田國男と柳宗悦という、ともに民衆の暮らしの深くにまでまなざしを注ごうとした二人の思想家について、比較的自由なスタイルで語りつつ、両者に共通する問題意識を浮かびあがらせようとする試みです。

    柳田と柳の対談は、前者が民俗学は「経験学」といい、後者は民芸運動を「規範学」だということで、ほとんどすれちがいに終わりました。しかし著者は、「私たちのあらゆる現在は、私たちをはるかに超えた過去の持続として存在する」と述べて、民衆の記憶にその根拠を置く柳田の民族学の特徴をさぐろうとします。ここには、『ベルクソン哲学の遺言』(岩波現代全書)で語られることになる著者の思想のひとつの応用例を見ることができるように思います。他方で著者は、民芸にたずさわる人びとのなかに生きる倫理や、木喰にとっての生きられた宗教のあり方に共感を寄せていた柳の思想をとりだそうとしています。ここには、『倫理という力』(講談社現代新書)でトンカツ屋の親父を例に論じられた、生活のなかに根ざした倫理に通じるものがあるように思います。

    ただしこうした著者の議論は、ある種の疎外論的な構図に陥ってしまう危険性をはらんでいるように思います。もちろん、丸山圭三郎の高弟である著者がそのことを知らないはずはないのですが、その丸山でさえも「欲動」の概念を疎外から人間本性を回復することとして把握するあやまちから完全にまぬかれていたとはいいがたいように思います。そして著者の議論についても、たとえば柳田の『海上の道』を「〈日本〉という原理の発生」をとらえようとする試みとして理解したり、沖縄への傾倒を示す柳の思想に「本能」を読み取ろうとしているのは、ナイーヴにすぎるのではないかと感じてしまいます。

  • 柳田國男と柳宗悦なのだが、いかんせん、図版が少なすぎる。

  • 【目次】
    まえがき [003-004]
    目次 [005-008]
    図版について [009]

    第一章 失われた民謡 010
     一 「ウタ」の力
     二 「ウタ」という本源
     三 流行り唄
    第二章 農民から「常民」へ 023
     一 日本の都市と農村
     二 「常民」を考える、ということ
     三 世のため、人のためとなること
    第三章 文明開化に抗するもの 037
     一 エルウィン・ベルツの日記
     二 グロテスクな洋装
     三 「驚嘆すべき国民」
    第四章 民俗学の対象、日々を生きる喜び 051
     一 何を〈事実〉と呼ぶのか
     二 「新国学」としての民俗学
     三 「新国学」の資料は何か
    第五章 工藝の発見 064
     一 記憶による学問
     二 「現在」が二重であること
     三 李朝陶磁
    第六章 暮らしの器 078
     一 柳宗悦が観たもの
     二 眼が創り出す価値
     三 見ることと作ること
    第七章 木喰上人を求めて 092
     一 朝鮮陶磁から木喰仏へ
     二 木喰の生涯を知る
     三 木喰仏が語るところ
    第八章 民藝運動というもの 106
     一 美藝と民藝
     二 「来るべき工藝」
     三 「個人作家」の真の役割
    第九章 民俗学と民藝運動 120
     一 柳田國男と柳宗悦、出会いの失敗
     二 民俗学の目的
     三 民藝運動の希い
    第十章 常民を想って 134
     一 山人考
     二 東夷、土蜘蛛、国巣
     三 山人論争
    第十一章 南の島に在るもの 148
     一 〈日本〉のために
     二 「虹鮮やかなる海の島」
     三 「古い日本」
    第十二章 魂が住む家 163
     一 沖縄との宿縁
     二 沖縄の富
     三 魂へ着せる着物
    第十三章 籾種を携えて海を渡る 178
     一 米の信仰的用途
     二 南から北へ
     三 南方稲作の記憶
    第十四章 穀霊の宿るところ 193
     一 「国史の第一章」
     二 稲積の意味
     三 穀母の身ごもる日
    第十五章 生の工藝化としての「本能」 208
     一 物の始めの形
     二 遠い昔の世の人の苦悶
     三 型と本能
    第十六章 〈民藝〉を産む〈民俗の記憶〉 222
     一 河井寛次郎が語ったこと
     二 六十年前の今
     三 民族と民藝と「生成の秘密」

    あとがき(前田英樹) [239-245]

  • 『古典不要論への反撃!?書評劇場』から。

  • ○以下引用

    「平民」が自ら歌を作り、自ら歌ったのは、何のためか。このような歌には必ず目的があった。それは、一緒に働く者が、動きの調子に合わせて、心を合わせ、笑いを合わせて仕事をはかどらせるためである。

    そのような「民謡」は、ひとつの労働を内側から組織し、動かし、支えるものだから、その労働の変質と共に消えてゆく

    民俗学が民謡の研究を重んじる理由は、ひとつしかない。民謡には、労働も神祭りも楽しみも、決して分かれないひとつのものであった日本人の暮らし、その在り方が観えるから

    労働と言えば、苦役だと思い、その反対は遊興や娯楽だと思っているような近代人には、「民謡」の意味はわからない。ウタとひとつになった労働、ウタそのものと化した労働の意味はわからない。その中心に米作りによる祭の暮らしがある、というのが、柳田の民俗学を確立させた

    ここで間違ってならないが、ウタは働く集団を統御する掛け声では決してなく、まして軍隊の号令のようなものではまったくない。

    田植歌は、田植えの働きそのものとして、その働きの内側から湧いてくるものでなければ、何の効用もなかった。

    いつの世よりかウタと名けた所の一種特別の音声は、即ち此状態を誘導する唯一手段であつたのである。人が働く為に此統一を求めたのは後代のことで、最初は寧ろ統一の快楽を味わうべく、戦ひもすれば踊りもし、又働きもしたのである。

    歌によって、労働の苦しみを耐えたという言うのではない。田植えとは、少女たちが笠と欅とを用意して、さざめきながら待つ祭りである

    民謡という「ウタ」は、労働と祭りの区別がない集団からおのずからに発生した。誰か歌いだすともなく、唄い出され、みなの不思議な承認を得て繰り返された。労働と音楽と文芸とは、まったくひとつのものとして存在していた。またそうした暮らしを支え、維持するために必要なあらゆる技能は、祭りの暮らしの各部分だから、そこにもまた「ウタ」があった。

    「田植唄の歴史と現状とが、日本民謡の全体を代表し得る」と柳田は言う。稲作ほど、全国の隅々まで行き渡った労働はない。これは、単に普及範囲の問題ではなくて、稲作こそが、暮らしを祭として成り立たせる信仰の本体であったことによる。

    田植えは、村人の「経済行為」であると同時に、「信仰の儀式」でなければならなかった。ほんものの田植え歌が唄われたところでは、稲は、神の庇護を受けなければ、育ててはならないものだったとさえ言える。そういう暮らしと信仰とがあった

    ○田唄は「田の神礼賛」の唄である。それは田人が神への讃え言として神に聴かせて、神意を迎え入れるウタである。

    「田植唄の根本の目的には、単なる労働の統一以上、更に大切なる祈願がった」。神を迎え入れ、それとひとつになって米を作る、そういう根本の祈願があった

    唄が労働から離れて、ただ一時の楽しみや遊興のために唄われるようになるには、まず村人が土地を離れて流れ歩き、都会生活に入り込んでいく必要があった

    労働歌としての「民謡」を源泉としない日本の歌はない。すべては、稲作の全体を神事とする人々の生き方から、文明から来ている。

    生産活動は、信仰の行為と同じになった。米作りによる祭りの暮らしこそが、最も神意に沿う生き方であるという自信、これが日本の稲作民の根底に、いつも黙して在った。

    農村から遮断され、草原のなかに壁で囲い込まれたような商業地区など、日本にはなかった

    労働と信仰と芸術と政治とがひとつになった営み

    ●いろいろな資料の採集は、力の限り行われる。が、それは、観察的推理や立証のための証拠集めではない。言うなれば、自分の内なるものを思い出すために為される。<過去の客観的事実>というような考えは、近代が生んだ迷信に過ぎない。現代を生きているものとして以外の過去はない。思い出されるものとして以外の「過去の事実」はない。その「事実」は、思い出される理由や目的やその努力の深浅によって、無数の姿を、強度を持つだろう。過去は、そのようにしてだけ、真に実在する。

    私たちのあらゆる現在は、私たちをはるかに超えた過去の持続として存在するということだろう。過去から推される力がなければ、私たちは一体何を目指して、どう生きるというのか。

    ひとりの人間、一個の生物としての私たちの過去などは、まだ余りにも小さなものである。私を動かすものは、間違いなく、生命がこの宇宙に発生して以来、生そのもののなかで大きく膨らみ続けている推力である。その過去は、現に私たちのなかに、私自身の現在として生きている。記憶とは、現在として生きられているこの過去のことである。記憶は、客観でも、主観でもない。ただひたすらに、生命として実在するものなのである。

    柳田の民俗学は、歴史学よりは、はるかに生物学に近接していると言ってもよい。生命の記憶に内側から繋がっているような生物学。

    芸術史の法則は、柳によれば、作られるものが自然との直接の交渉を離れて、作為、技巧の複雑さを止めどなく増し続けるところにある。

    器からその美しさを誕生させる、ある具体的な日常の経験が、言い換えると、その器に深く心を通わせるはっきりとした暮らしがなければ

    神ながらの道が現生に敷き行なわれ、人々がただ穏やかに、幸福に生きられるようになること。

    <私する>とは、人知をもっては決して測り知れない「神ながらの道」を、浅はかなり理をもって語り、人を動かして世を扇動しようとすること。

  • 民俗学者柳田国男、民藝運動の中心となった柳宗悦。
    二人の共通点は、名のある人ではなく民衆に目を向けたということです。
    長い歴史の中で取り上げられるのは、何かの改革をしたり、有名な美術品を残した人物がほとんどで、民衆については語られることが多くありません。
    けれど、埋もれてしまっている民衆の生活にこそ、真に日本らしさというのがあるのだということを発見したのがこの二人なのでしょう。

    本の中では二人について交互に語られています。
    普通、こういう本ではきっちり章ごとにそれぞれを分けて書く場合が多いと思うのだけど、章の途中から二人の比較になって一方から他方へと話題が変化していきます。
    著者が『彼ら二人の仕事をして、輪唱のように歌わせたい』と希望したことによる書き方だと思うのですが、それが面白い。
    二人が目を向けた民衆への視点がだんだんと重なってきて、その先に、本来の日本らしさってどんなものだったのかなという問いかけの答えが見えるような気がします。

    文章の引用もかなり多いです。
    柳田国男、柳宗悦の著書からの引用もかなりあるし、柳田が手本にした国学の元祖である、本居宣長の著書からの引用もかなりあります。
    柳田、柳、本居の文体はすごくきれいです。
    仮名遣いが今とは違うので、読みにくさはありますが、言っていることも素敵で挙げられている本を片っ端から読みたくなります。
    著者の方の書き方もいいなと思いました。

    日本らしさ、もっと言えばその地域特有の地域らしさ、そういうものはどんどん希薄になっているような気がします。
    伝統的な工芸品はどんどんと廃れていき、日常にある物がなくなることで日本の文化は失われてしまっている。
    その傾向は、これからもっと加速するのかもしれない。
    日本らしさを失わないために、知ることも一つのできることなのかなと思います。

  • 柳田國男の民俗学、柳宗悦の民藝運動、それぞれの活動を並行して捉えつつも、その源泉が同じであるとする著者の主張はなるほどなと感じる。そこにはかつて多くの日本人が心の中に持っていた独特の自然観、生命観があるように思う。

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著者プロフィール

1951年大阪生まれ。批評家。中央大学大学院文学研究科修了。立教大学現代心理学部教授などを歴任。主な著書に『剣の法』(筑摩書房)、『日本人の信仰心』(筑摩選書)、『独学の精神』(ちくま新書)、『批評の魂』(新潮社)、『小津安二郎の喜び』『民俗と民藝』(講談社選書メチエ)、『ベルクソン哲学の遺言』(岩波現代全書)、『信徒内村鑑三』(河出ブックス)、『沈黙するソシュール』(講談社学術文庫)、『倫理という力』(講談社現代新書)など多数。

「2018年 『愛読の方法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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