- Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062738118
作品紹介・あらすじ
人よんでナベツネ。いったいどんな男だ? 「1千万部」の力を背景に首相をも動かし、世論を操ろうとする読売王国の総帥、渡邉恒雄。屈折した少年期、主体性論をひっさげた東大共産党時代、そして粛清を重ねて新聞社社長の座に登りつめるまで。稀代のマキャベリストのすべてを白日の下に曝す決定版評伝の文庫化に際し、玉木正之氏との白熱対談を収録。
感想・レビュー・書評
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2000年に、魚住昭さんという方が出された本です。
魚住昭さん、1951年生まれですから、2014年現在は63歳くらいですかね。共同通信の社会部系?の記者さんとして、相当に腕っこきの人だったみたいですね。1990年代後半に退社してフリーになられているみたいです。
いわゆるノンフィクション、渡邊恒雄さん、という読売グループの大総裁の方の、まあ評伝と言うか。
渡邊恒雄さん自体は、2014年現在でも、バリバリの現役。読売グループの事実上の独裁者であらせられて。
日本の政治や経済全般にも、恐らくは相当に影響力を持ってらっしゃるんだと思います。88歳。
どうしてこういうヒトが、こういうことになったのかなあ。と、いう不思議があったので、読んでみました。
この本は、まず、大変に面白い本でした。
魚住さんという方の書き方は、まずはいかにもジャーナリスト風に、非常に判りやすい。
その上で、とてもドラマチックに、というか、オモシロイ要点を大切に、読み物としての娯楽性も踏まえて書かれていると思います。
なんていうか…「ワルい男が、熱くて強くて、敵とぶつかりながら、苦しみながら、幸運と能力、執念と欲望でサバイバルして出世していくドラマ」として、ハラハラドキドキ。すごいです。
その上で、当たり前のことなんですけど。
中学生レベルの倫理観で言って、こういう人、こういう人たちが、こういう論理でもって、新聞作ったり政治動かしちゃ、いかんよなあー、という。
そういう平たい思いも、もちろん、読みながら感じてしまいます。
「そうだったんだろうけど、あー、やっぱりそういうことで動いて来た…動いてきた部分も少なくとも多少あったんだよなあ、日本っていう国も…」という。
そのあたりが、実に判りやすく、面白く、書かれています。
中でもやっぱり、ぞっとしたのが。
まあ、渡邊恒雄さんという、この物語の主人公さんは、権力欲に苛まれている人な訳ですけど。
その貪欲さ。
その恥知らずさ。
その欲望と飢え、男性的な支配欲と、「群れて、多数派に君臨する」という無目的な生理行動。
その一方で、笑っちゃうくらい必ず付随する、デリカシーやプライバシーへのがさつさ、個人主義という言葉との無縁さ。
で、大抵が、下ネタやらセクハラやら、自他を汚して一体感と反知性行動を満たす、テレビバラエティ的な宴会系コミュニケーション能力…。
そして、「権力のために、徒党、グループを作る」、という皮膚感覚的な行動っていうか。飲み会好き…。深夜帰り好き…。
そして、いないところで悪口を言って反応を見る、とか。
そして、なんてうか、「手段のためなら目的を問わない」という恐ろしい勤勉性とタフさ。体力。
うーん。
会社員、というか、組織の一員をやっていると、
「ああ・・・こういうタイプの人・・・年上にも、同年代にも、年下にも、いるなあ・・・確かに・・・」
と、思わされました。
そういうコトの、解説と代表を堪能している気分というか…。
そういう人って、そんなに、いっぱいは居ないんですよね。
でも、たまに居ます。
そして、ほぼ絶対、変容しませんね。
できれば、関わらずに時間を過ごせると嬉しいのですが、もし、何かの拍子で相対してしまうことがあったら、局面はともかく総論としては、絶対叶わないだろうなあ、と。この本を読んで。
だって、飢え方が違うし。努力?が違うしなあ…。
ただ、報道機関というものに、僕が求めるモノとしては。
ベタかも知れないけど、やっぱり権力の監視ってことだと思うんですよね。
できれば性善説で生活したいんですけど…権力を持った人、という限定で言うと、性悪説で考えたくなるんですよね。
そういう監視機能を僕は求めます。
で、監視される側は、そりゃ監視されるのは面白くないと思うんです。
でも、僕は権力に関しては「過剰監視」の方が、「過小監視」より、100倍増しだと思っています。
だって、それなかったら、要するに政府広報と一緒だもん。。。
だから、やっぱりジャーナリズム、報道機関は、「権力の犯罪」「権力の私欲」を暴き報道するという、安易でもそういう月光仮面的なヒロイズムって大事だと思うんですよね。
というか、そういうの無かったら、ただ単に権力と名声に近い仕事、っていうだけじゃない…と思ってしまうので…。
で、大事なことは、タダの批判でもなんでもなくって。
なんていうか…主義主張とか、善悪論議とか、実は僕はどうでも良いと思っていまして。そんなのはどうとでも言えるので。
「それで、誰が得をするのか」
「それで、誰が損をするのか」
「なんで、そうなったのか」
「誰が、そうしたかったのか」
「これまでは、どうだったのか」
「どうしてこれまでは、そうだったのか」
「これまでは、誰が得してたのか、損してたのか」
「よその家、国、ではどうなのか」
「それは、どうして、そうなのか」
ということを、必ず、権力は隠したがるので(笑)。
それを、出来るだけ判りやすく、論拠と証拠を揃えて、
読者視聴者の前に並べることだと思うんですよね。
だいたい、権力持ってる人が、「金の流れ」のことを言わずに、大義名分を語るときっていうのは、「金の流れ」のことを言われたくない時ですから。
そういうことが、報道としては大事だと思うんです。
当選落選を数秒早く報道したりすることじゃなくって…
ま、というのは脱線でした。
#####以下、非常に簡単に本書の備忘録#####
渡邊恒雄さんという人は、エリート&資産ありの銀行員の長男。
当然、戦前に生まれ、早くに父を亡くして。
母に、「エリートになれ、受験に勝て」と超圧力を受けて成長。
ガキ大将ではなかったようですが。
受験については、そこそこ負けたりしてコンプレックス。でも最終的に東大に。
で、服従する自我というのは小さかったのか、軍部や権力に反発。
兵隊になって初年くらい、戦場は知らずで終戦。
終戦後もしばらく大学生ですね。えっと、東大行ったのは終戦後だったか?
東大は哲学科なんです。哲学青年だったんですね。
そこで、戦後復活した左翼運動、共産党入党。
そこで、大学生ながら左翼的な権力闘争に入ります。
そもそもは、「言いなり子犬のような活動じゃなくて、自主性、哲学的思考や議論のスタイルを」という主張だったそうで。
ただ、それを主張してある種、小さな社会で天下を取るんですが。
追い落とされます。策謀でもって。
つまり、大学生の共産党的な集まりの中の、権力闘争に敗れる訳です。
それを恨んで、憎んで、反撃攻撃するんですね。
ここから、反共になります。
この恨み具合は凄い。
この頃から自我の逞しい、理性も勉強も弁も論も度胸もある、相当なタマだったことは間違いないようですね。
卒業後、読売新聞入社。
中央公論を落ちてるんですね。読売新聞、という選択、多分、第一希望じゃない。
で、ものすごいプライド高くって。
「三流の方が早くトップになれる」とか周りに言ってたんですね。
恐らく、若い記者として優秀だったんだと思います。相当に。
それで、政治部に呼ばれて。大野伴睦さん、という自民党大物政治家の番記者として、番記者を超える信任を得る。
そこから、もう一気に、まずは大野伴睦さんを通して、自民党政治、利権の世界へ突入していきます。
そこンところは魚住さんも、公平にっていうか、書いていると思うんですけど、
「問題解決能力」みたいなものは、すごかったんだと思います。渡邊恒雄さん。
無論、それは、人脈、つまりは付き合いの広さ、厚さ、タフさ、みたいなものが前提にある訳です。
なんだけど…。
うん。悪事をやるうえで、親分に担ぐなら、最適かもですけど…「公平で、両サイドの意見、そしてこの事件の意味合いや見通しを、庶民の気持ちで報道してくれる人」という意味では、この辺で、もう早々に、ジャーナリスト失格の域に入っている訳ですね。
(その上、どうやら「自分はジャーナリストだ」という割には、まあ、有名なジャーナリストさんたちのように、目立った功績業績はないんですね。そりゃそうです。だって、自民党べったりで生きてたわけですからね…)
で、大野伴睦さんから自民党政治家たち、そして、右翼の大物・児玉誉士夫さんとの付き合い。
このあたり、
「ああ、こういう問題が起こった時に、こういう動き方をして、それでもってこういうお金を貰って、そうやって日本の保守権力って動いているんだあー。へ~」
という、
恐らくそういう業界の方から見れば、子供レベルな納得の仕方というか。中学生的なふむふむ感。この本は例証が豊富で面白いです。
無論、ほんとかどうか知りませんよ。
渡邊恒雄さんみたいに「こんな本は全部デタラメだ!」って叫んだら、それはそれで、ひとつの味わい方でしょう。
でも、僕は結構、「こういうことってあるんだろうなあ」と思いました。
だって、そうじゃなかったら、昔も今も、おかしなことが、僕から見ても多すぎますからね。
そこから、まあ時系列で言うと、
読売新聞内で、政治部の中心人物として、社会部閥との権力闘争をしながらなんでしょうが、
自民党的な政治機能の一部として、主に中曽根康弘さんと共に、浮き沈み。
大野伴睦さんの死後は、恐らく中曽根さんの首相就任で一気に浮き上がったんでしょうね。
で、読売新聞内の権力を握ってからの、社内の恐怖政治の実態。
まあ、ようするに人事をむちゃくちゃに専横して、ヒトを掌握するわけですね。
このあたり、組織なら、いつでも陥る可能性のある罠ですねえ。恐ろしい。
で、最終的に、何がやりたいかって、その空虚さ。
結局、反共なんですね。左翼嫌いなんですね。
その論理は、論として納得できるものじゃ、ぜんぜんないんですけどね。
青春時代からのトラウマ、恨みなんですかねえ。
中央公論に落とされて。
インテリ出版社を買収して乗っ取って、でも潰しちゃって…。
読売で天下取ってから、その中央公論を買収して。
改憲論等、基本的には中曽根さん&自民党にべったりですね。
読売の論理、自分の権力っていう…本質的に「手段」であるべきものだけが、「目的」になっている、という…。
うーん。
実に面白い本でしたし、
「ああ、こういう風にこの人は、今のこの人になったんだなあ」
という、具体的及び、精神的な風景は良く良く見えた気がします。
力作、面白い本です。またこの人の本を読んでみようかな、と思いました。
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政治的に生きるというか…政治を行うっていうのが、もしも、この本に書かれているようなことなのであれば。
せめて、専守防衛でいたいなあ、と思いました。
階層的に上のヒトから身を守るために、必要な政治なり政治力であれば、それは持っていたいなあ、と。
でも、自分より階層的に下のヒトに対して、政治的でありたくないなあ、と。
それは、倫理っていうよりも、その方がシアワセそうだなあ、と思うんですけどね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
弘文堂関係者のお話を聞いて、改めて読み返す老舗出版社弘文堂乗っ取りの経緯。渡邉さんは、かなり弟思いのようですが、少し無理筋な展開。新たな出資者に、児玉誉士男を担ぐ辺りに凄みがあります。公称1000万部(当時)という読売新聞を背景に権力を行使するナベツネの物語。日本のマスメデイアのリアルがうかがえる本であります、★四つかな。
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ナベツネと言えばプロ野球チームのオーナー時代、金にあかせた
選手集めを繰り返しプロ野球をつまらなくした張本人との認識しか
なかった。
本書はそんなナベツネの少年時代から読売新聞の社長就任までを
綿密な取材で追っている。
学生時代、共産党の細胞として活動したのはいいが、反乱を起こさ
れて党を追われる。読売新聞入社後は時の自民党の大物代議士・
大野伴睦の番記者になったことから、次々と自民党の中に人脈を作る。
著者とのインタビューでナベツネ本人は否定をしているが、政界裏
工作に積極的に関わり、政治部記者から論説委員になると右偏向の
記事を紙面にあふれさせ、自分の意に沿わないコラムは没にすると
いう職権乱用である。
自分のライバルになりそうな幹部社員や対立する社員がいれば、
策略を巡らせ追い落とし、トップに登りつめればスターリン並みの
恐怖政治でイエスマンを増産する。
「俺は才能のあるやつなんか要らん」
「俺は社長になる。そのためには才能のあるやつなんか邪魔だ。
俺にとっちゃ、何でも俺の言うことに忠実に従うやつだけが優秀な
社員だ。俺の哲学は決まってるんだ」
ナベツネ本人の言葉通り、読売新聞からは次々と名物記者が姿を消して
行った。新聞・テレビ、そしてプロ野球チームまでをも私物化した
権力の怪物は、未だ読売新聞グループの会長である。あの中央公論社が、
読売傘下になってしまったのは残念で堪らぬ。◎な良書だ。 -
大下英治「専横のカリスマ」からの魚住勉「メディアと権力」。大下本ではナベツネで、魚住本ではワタツネなのですがワタツネの方が禍々しさ増量です。時間は10年以上遡っているのですが。猜疑心、嫉妬、コンプレックス、人心掌握、根回し、恫喝、嘘、密告、怪文書、罠、金…いやいや権力を志向するとはこういうことか。もはやピカレスクロマンとして堪能してしまっていました。でも、これ創作上のキャラクターじゃなくて実在の日本の政治を動かしている人物であるところに気づくと哀しい気持ちになります。母親に志望校入れなかったことをなじられたことを晴らそうとしている、それ市民ケーンのローズバット?あるいは20世紀少年シニア版?なによりも未だ死んでいない権力者を題材に赤裸々なドキュメントを息をも継がせぬエンターティメントみたいに書き切った著者を尊敬してやみません!
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戦後昭和の裏面史とも読める。
かなり重なる時代を生きてきた自分は面白かったが、解説にもあるように、後味の悪が残るのは否めない。
ナベツネよりはだいぶ若い私だが、何故これほどまでに、ナベツネが揶揄されるのか、正直分からなかったが本書を読んで理解できた。
恐ろしいまでの権力欲。そして、 品性の下劣さ。ただ、ここまで徹底してると見事だし、仕事そのものに対する姿勢には頭が下がる。
でもやはりどこか違うし、間違えている。
讀賣のトップに登り詰めてからの、回りの人間のナベツネに対する気の使い方は、どこの会社にもあることだが、周囲の人はそもそもジャーナリストとしての良心はどこに置いてきてしまったのか。
子供の頃にジャーナリストに憧れたこともあったが、所詮はサラリーマンなのね。
讀賣は、サッカーに対する姿勢や、野球での巨人のやりたい放題、また、右傾化が顕著になった頃から購読するのをやめてしまったが、裏では、こういうことだったのねと、妙に納得してしまった。 -
渡邉恒雄より不徹底で非見識な渡邉恒雄がメディアに巣食っていることは言うまでもないと思える。
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魚住昭は度胸があるよね。さすがだ。数少ない真のジャーナリストだよ。
それにしても、ナベツネはムカつく。 -
渡邉恒雄が生まれてから読売新聞社長の座を手に入れるまでの恐ろしいまでの権力闘争やそれに至る生い立ちを、極めて詳細な取材をもとに紐解いていく本。
どんな組織でも、それが社会に対して持っている影響力の大小に関わらず、権力闘争・派閥争いはあるものだが、読売新聞のような大手メディアでのものが社会に与える影響の大きさに愕然とする。
また、権力闘争を勝ち抜いた渡邉恒雄個人が社内はもちろん、国家に与える悪い意味での影響の大きさは想像を遥かに越えた醜悪なもの。
メディアとはそのようなものと言ってしまえばそのとおりかもしれないが、では健全さを前提としてメディアに与えられているさまざまな権利と、それに基づく権力・権威はどう解釈すれば良いのか。
国民の権利を守るためには国家権力の行使を監視する機能がどうしても必要になるが、その一端を担うのがメディアである限りは、何らかの特別な権力をメディアに与える必要があるだろうが、その資格を現状で保有しているとは考えづらい。
だからといって、現在進められているような、大衆が直接政治・行政に関与していく手法を大幅に拡大していくようなことは、国家の自殺行為であり、最終的にはアナーキズムに繋がってしまう。
やはり現状においては、メディアに対する優遇は残したうえで、この本のような検証を随時進め、それを国民・国家が常に関心を持っておくことが最後に残された道なのだろう。 -
大手メディアに幻想抱くようなことは無くなる。特に読売社会部の放逐劇を見ていると、政治中枢に喰いこもうとしている渡部氏の野望によってホトホトマスコミというものが嫌になる、そんな本ですね。一方で、権力者たちの実際の権力闘争と敵対する勢力の追い落とし方、誰がどのような立場を誇示し情報がどのようなルートで流れるのかまでをも徹底的に調べ上げる。一種の「恐怖、猜疑、嫉妬、打算、そして憎悪…。」(佐野真「あとがき」)あるいは「戦後の日本人で渡邊恒雄氏ほどマキャベリズムを理解し、忠実に実践してきたものはない」(同上)人物をノンフィクション化したものが本書だろう。
ACTAの報道が無風状態な事もマスコミがメディア情報をネット情報者に先取りされたくないからではという指摘にもある通り、権力から独立したメディアの役割をマスコミ自らが放棄しているからではないだろうか?社会正義を標榜しながらも政治家と同様の私利私欲によって、それを放棄した瞬間でもある。
ナベツネ流に限らないが、権力者たちの怖さは、権力闘争の末に、彼になり変わって検閲する者や追い落とそうとする機構と化してしまうミニ・ナベツネの存在である。そうならないためには、集団の力ではなく、その力を理解した個人の登場が求められるのではないか、とも思うのですが。