新装版 播磨灘物語(4) (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062739351

作品紹介・あらすじ

信長が殺された。秀吉は「主の仇」光秀を山城山崎で討ち、その二年後には、豊臣政権を確立した。官兵衛は自分の天下構想を秀吉という素材によって、たとえ一部でも描きえたことに満足だっただろう。この戦国の異才が秀吉に隠居を許され、髪をおろし入道し「如水」と号したのは、四十八歳のときであった。

感想・レビュー・書評

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  • 播磨灘物語(4)「新装版」【完結】
    2004.01発行。字の大きさは…小(字の大きさは、中であるが字が薄いので小)

    天正10年(1582年)、毛利氏の武将・清水宗治が守る備中高松城を羽柴秀吉(豊臣)が攻略を始めてから、黒田官兵衛が慶長9年(1604年)3月に、黒田家・京都伏見藩邸にて死去するまで。

    秀吉は、織田信長が死に、その弔い合戦後は官兵衛を使うことが少なくなった。そして、官兵衛に豊前中津12万石を与える。秀吉の天下取りを支えた者としてはあまりに少ない石高である。

    【読後】
    この物語では官兵衛を下剋上の戦国時代を生き抜いてきた者としては、欲得とか栄達欲がほとんど見られないうえに、己を自由にして秀吉を通して自分のやりたかった事を成し遂げた者として描いている。それは隠居後の号「如水」がそれを表している様である。人生を「水の如し」と……。
    2020.05.29読了

    【如水】
    黒田官兵衛の隠居後の号「如水」を見ると「上善如水」を思い浮かべます。
    意味と名前の由来は、上善如水は古代中国の哲学者・老子の言葉です。 「上善は水のごとし、水はよく万物を利して争わず、衆人の恵む所に拠る」 人間の理想的な生き方は、水のようにさまざまな形に変化する柔軟性を持ち、他と争わず自然に流れるように生きること。
    昔よく美味い酒を飲んだな・・・
    2020.08.07追記

  • 感想を書くのをサボってしまったが、全体を通して星5?の感想だった。

    司馬遼太郎を初めて読んだのは『項羽と劉邦』だったが、それも面白かった。

    他の著者の歴史小説も少し読んだが、司馬遼太郎のは小説という形で物語として進められていくが、所々に著者の見解が示されている点がうまい具合に内容を読みやすくなっていると思った。

    官兵衛の思想、生き方を読み解きながら、その生について少し触れることができたと感じる。

  • 高松城水攻めの後の中国大返し、そして天下取りと官兵衛補佐の元、秀吉は天下人になる。「かれは年少のころから物事の本質を認識することが好きであった。さらには物事の原因するところと、将来どうなるかを探求したり予想したりすることに無上のよろこびをもっていた。認識と探求と予想の敵は、我執である。如水には生まれつきそれに乏しかった」と著者は書く。後年隠居し如水と名を改めて、九州に引っ込んでしまうが、関ケ原の戦いが起こると知って、、、、、元はと言えば近江から流れてきた流れ者の黒田一族にあってその知恵1つで天下取りの設計図を描く、歴史の表には立たない凄い人。

  • あっと言う間に読み終わったと言うのが、率直な感想。司馬遼太郎さんの小説はその場の情景が浮かんでくる。
    黒田官兵衛は凄い人である。この人の生き方は今の自分に必要なことを気づきかせてくれた。

    ●策士は人柄が良いというが大切である。仕事をしていると人に動いてもらう必要が多い。その時にこの人が言うことならと信じてもらう必要がある。自分は策士ではないが、人間性を磨くことが大切と改めて思った。

    ●認識と探求と予想の敵は、我執である。私情を殺せば、たいていの人の心や物事はよく見えてくる。

    ●無欲で無心で心映えの涼やかな人物でなければ策謀を生むことが出来なかったであろう。欲心な物は欲のためによく働きをするが、しかし欲に気を取られて物事をありのままに見ることができなくなり、ついに身を滅ぼす。

    ●相手の気持ちや利益も考えて提案を行う。

    ●感情という物を笑えない。理屈は単独で存在するものではなく、感情の裏打ちがあって現実化する。というより、理屈など、感情によって白から黒へでも変化する。

    ●無駄遣いを慎み、蓄財に励む。いざ、事を起こす時にはお金が必要。

    ●いろいろな人で出会い、様々な考えを吸収するとともに人脈形成に努めていく。黒田官兵衛が若い時分から上方に登り、情報収集に努めたことはその後の情勢判断に役に立つ結果となった。

    ●来たるべき時に備えて構える。播州の田舎に生まれながらもそれに腐ることなく少しづつでも前進していった。

  • 大昔に読んでいたものを、数十年ぶりに再読。
    読んでいて「これ、初読なんじゃないか?思い込んでただけで」と数度思い。
    でも最終的に「あ、これ読んだなやっぱり。数十年前に」となんとなく思った。

    戦国時代に秀吉の下で名を馳せた軍師「黒田官兵衛」の半生を描く長編小説。

    個人的な説ですが、司馬遼太郎さんの特に長編は、

    「坂の上の雲(1969-1972)以前、と以降」

    に分けられると思っていて、「播磨灘」は1975。以後です。

    「竜馬がゆく」や「国盗り物語」に比べれば、枯れていて、エンタメ臭が弱い。
    その分、読み手側がもうほぼ50歳ともなると、「再読の滋味」は「以降」の諸作の方が深かったりしますね。

    つまりは官兵衛という人が持っていた「才気」と「澄み切った人間臭さ」と「背筋の通った人柄」が、幾多の怒涛を経て「時の運」や「人間の集団の頑迷さ」にどこかまでしか、歯が立たない。
    でもそれだからこそ風景として描くに足る愛情を呼ぶんでしょうね。
    エンタメ感の向こうにそういう湿度のため息を感じるあたりが「以降」でしょうね。

    そして何より、「戦国」という混乱の中世が、「信長・秀吉・家康」という近世へと、軋みを唸りながら転換していく、そんな歴史のドラマを感じさせる。このダイナミックさ、この描く力。
    エンタメでありつつ、どこかマルクスを読んでいる気にもなって来る。
    うーん。やっぱり脱帽。

  • 信長の援軍を請うた秀吉は、備中高松城の水攻めで毛利軍の攻撃を封じた。安国寺恵瓊の仲介により城主清水宗治は切腹、毛利方との和議が成立することとなった。ここにおいて、明智光秀の謀反によって信長・信忠父子の自害の報がもたらされる。軍師官兵衛がしんがりとなり、中国大返しの末の山崎の合戦へとなだれ込むのだった・・・。秀吉の天下統一の影の立役者・黒田官兵衛(如水)は、嫡男・黒田長政の福岡城で隠居、博多湾の海景を眺めながら五十八歳の生涯を閉じたという。織田・豊臣・徳川の戦乱の時代を駆け抜けた男の物語は、ここに完結する。

  • 毛利攻めから、信長の死そして秀吉の「中国大返し」、さらに豊臣の天下統一へと続くこの巻。
    秀吉を画布として自分の絵を描いてみようと思い、それを成し遂げた黒田官兵衛の一大叙事詩も、ここに終わる。
    欲得とか栄達欲とかいうものを持ち合わさない、戦国期には稀有な存在でありながら、晩年、関ヶ原の戦いに乗じて、天下を狙おうとする。その可能性が潰えたら、元の隠居に戻る、その滑稽ともいえるあざやかな進退。秀吉の天下を形作った張本人であるにもかかわらず、時代の点景でしかない官兵衛。
    司馬は、あとがきで書いている。
    「友人をもつなら、こういう男を持ちたい」
    共感できる言葉だと思う。

  • 黒田官兵衛の生涯を描いた歴史小説、第四巻(最終巻)。
    後半は駆け足となり、やや物足りない。秀吉や毛利のことに紙面を割く箇所も多く、最後まで官兵衛の”主人公”としての実像が掴み切れなかった。
    ただ、司馬遼太郎のあとがぎを読んで、思わず納得してしまう。

    『官兵衛はなるほど生涯、時代の点景にすぎなかったが、しかしその意味でもいえぬおかしみを感じさせる点、町角で別れたあとも余韻ののこる感じの存在である。友人にもつなら、こういう男を持ちたい』

    また、掴み処がなかった故に来年の大河でどのように官兵衛が描かれるのか楽しみ。

    引用~
    ・大江広元はもともと京の御所につかえた官人で、源頼朝が鎌倉に幕府をひらいたとき行政の専門家がいないため、京から広元をまねいた。
    広元はいくつかの所領をもっていたが、相模国の下毛利庄もその所領のひとつだった。広元は四男の季光にこの下毛利庄をあたえた。季光は地名をとって毛利氏と称した。毛利の祖である。
    ・家康の側からいえば黒田長政の功績は計り知れぬほど大きい。もし関ヶ原前夜に黒田長政という、鉄色の顔色と一見農夫のような朴訥さをもった策士が存在しなかったら、反石田三成党があれほど強く政党として結束することもなかったであろうし、その反石田三成党があれほどあざやかに家康党として転化されてゆくということもなかったであろう。

  • 様々な黒田官兵衛ものがあるが、さすが司馬遼太郎先生の官兵衛になっていて、膨大な資料を基に描かれていた。
    官兵衛の志しが、グサッと心に染みる感じがした。

  • 20年ぶりくらいに信長の野望も購入し何度目かの戦国ブームが来た。
    小牧長久手や関ヶ原のときの立ち回りにもっと触れるかと思いきや最後のまとめ程度。
    合理さと人としての面白さを持つ稀有な存在。庄屋上がりのような家康を嫌い、それに媚びる息子を馬鹿にするとか人として面白いところがありすぎる。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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