- Amazon.co.jp ・本 (424ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062740562
作品紹介・あらすじ
大運河を開いた名君か、民衆を疲弊させた悪王か、毀誉定まらぬ隋煬帝。短命に終わった隋王朝の後をうけ、七〜一〇世紀東アジア世界に君臨した大唐帝国。絲綢の道を行き交う多彩な民族と国際都市長安。則天武后・楊貴妃など目覚ましい女性の進出。李白・白居易らの優れた文芸。やがて民衆反乱により滅亡へと向かう三百年余の興亡史を描き出す。
感想・レビュー・書評
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それなりに上手くかけているとは思うのだが、こけおどしのような形容や、見てきたような叙情的な文言が出て来る様は辟易
そのような書き方でより内容を飲み込みやすくなる方もいるだろうが、私にはとても気になりすぎてダメだった -
全体のページ数に比して、隋唐の政治史そのものの記述は短めですが、経済政策・庶民や女性の暮らし・各国との交流など、複合的な切り口でアプローチする事で、隋唐の持つ柔軟な構造を解き明かす著者の着眼点に関心しました。 隋の時代を、唐の基盤を先駆けて整備したと、肯定的な評価を下し、「短命で成果の振るわなかった王朝」というステレオタイプを払拭する姿勢が新鮮に感じられました。
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仏教を奨励し、関中貴族を中心に栄えていた隋は長く続いた戦乱に終止符を打ち、中国を統一。
楊勇(皇太子)-高けい(高官)-内政路線-三階教(仏教の宗派)と、楊広(第二皇太子)-楊素-外征路線-天台宗が対立、後者が勝利し、煬帝が生まれる。
唐は隋を否定しながらも、そのシステムの多くを継承する。
唐の正当化のために、煬帝は暴君に描かれているが、実際は貞観の治で有名な太宗より、行動力と独創力の点で勝っていた。
則天武后が即位する背景には、女性が男装してポロをしたり、詩人として活躍したりなど、中国史では珍しく女性が活躍できる背景があった。そして、それには公主をはじめとする離婚率の高さから見える、婚姻のルーズ性があった。
シルクロードを通じ、他の国や騎馬民族などの交流も盛んであった。政策でも藩鎮が重要になり、安禄山の台頭をあげるまでも無い。黄巣の乱でも多数の外国人が殺害されるなど、異民族が活躍した。
隋唐は仏教が非常に盛んで、円仁の「入唐求法巡礼記」から、仏教の文化、会昌の廃仏や交通機関、新羅人についてみていきます。
他にも、日本も参考にした律令制度、軍事制度についても言及。てんこもりです。 -
何家村や法門寺の出土文物、井真成の墓誌などをとりあげており、興味深い内容でした。最初の三章で隋唐史の概要を解説し、唐については、安史の乱の前後でわけてすっきりしています。その後は、武韋の禍にみられるような女性の活躍、律令制や西域人、商工業の発展について、述べていてどれもディテールまで知ることができます。また、府兵制の兵士が上昇の可能性があった「栄光ある兵士」であり、決して人民と疎遠な軍隊ではなく、正規軍としての精神的支柱をもった存在であったことが指摘されていて勉強になります。円仁の「入唐求法の旅」についても一章をさいていて、武宗の廃仏の時代の雰囲気をいきいきと描いています。科挙制度についても、宋のそれとは異なる貴族制の残滓を残したものであったとの指摘があり、興味深い観点です。
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展示期間終了後の配架場所は、開架図書(3階) 請求記号 222.01//C62//6