- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062769297
感想・レビュー・書評
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働くことに真摯に向き合っている作品だと思った。働くことの先にある喜びとか幸せを感じられたのはよかった。主人公の気持ちに入り込んで、一気に読んだ。
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社会の瀬戸際から抜け出すための光明を投影する先として、「世界一周クルーズ」の貼り紙を筆者は見出した。(至るところに貼られるピースボート?の貼り紙をこんな見方で描くとは)
皿上の少ない水でも葉が育つポトスライムの強い生命力。その株分けされる様子を、クルーズのメタファーとして表現している。抽象度が高い表現を、技巧じみていないように溶け込ませるところが筆者の力量なのだろう。
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お仕事の話。
でも、ヤル気に満ち溢れ邁進しているわけではないのです。
表題で芥川賞受賞『ポトスライムの舟』とその前日譚と推測される『十二月の窓辺』2話収録。
お金を使わないため、暇な時間を作らないように仕事を幾つも掛け持ちしているナガセ。
エンデ著『モモ』の灰色の時間泥棒に支配されている⁈と思いながら読み進める。
ワーキングプアの『ポトスライムの舟』
パワハラで精神的に限界がきている『十二月の窓辺』
状況は切迫しているのに、ユーモアが散りばめられた描写に悲壮感は薄められている。
長いセンテンス、客観?主観?で時々主語を探しに読み返した。これは津村記久子氏の独自文体らしい。なるほど、芥川賞! -
芥川賞受賞の表題作を含む中編二作品です。
いずれも主人公が社会的な敗者であることを意識する独身女性である点が共通で、著者の世代的な点からも、「ロスジェネ」や「負け組」といった語句を想起させられます。カタルシスといえる要素とは縁遠く、リアルな観察が映す等身大の登場人物たちによる関係性や出来事が特色です。二作品とも主要人物は女性のみで、ほぼ負の象徴、または社会の既得権益者としてしか描かれない、男性たちへの諦観も基調にあるように思えます。
以下では、それぞれについて述べます。
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『ポトスライムの舟』
第140回(2008年下半期)芥川賞受賞作
母と二人で奈良市街に暮らす二十九歳の長瀬由紀子は、薄給の契約社員として化粧品工場に勤務するかたわら、友人が経営するカフェでの給仕、内職のデータ入力作業、パソコン教室の教師をこなす日々を送っていた。ある日、職場の掲示板に貼り出された、NGO組織が主催する世界一周クルージングの広告を見たナガセは、旅行に必要な金額が年間の工場勤務の年間手取りとほぼ同額であることに気がつく。「時間を金で売っているような気がする」と、人生に嫌気が差しつつあったナガセは、旅行資金のための貯金を心の拠り所とするようになる。
ナガセがバイトで働くカフェを経営する友人を含む大学時代からの友人三人とその娘、ナガセの母親、勤務先の直属上司にあたるラインリーダー、と主要人物はすべて女性です。彼らの夫や息子など、わずかに触れられる数少ない男性は概ね、経済力もしくは疎ましい存在として扱われるにとどまります。奈良を主な舞台として大阪や神戸といった地名も登場し、会話は関西弁で綴られています。
全体に、ナガセが仕事に忙殺される合間の旧友たちとの交流を中心に描くなかで、就職に失敗し結婚の機会も失った彼女の、社会における敗者としての屈託が端々でにじみます。世界一周クルージングはあくまで目標であって特別な出来事はなく、物語としての派手さは皆無です。それだけに希望をもちにくい状況にあるナガセの意識と彼女による他者への観察がリアルに描かれ、身につまされる読み手も少なくないでしょう。とはいえ、不幸一辺倒の単調な作品でもなく、平穏な空気感もうまく編み込まれています。書名のポトスライムはナガセが自宅で十数本育てている観葉植物です。
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『十二月の窓辺』
パワーハラスメントをテーマとした作品。印刷会社に入社して十カ月、年齢の違いから高卒の若い女性社員たちには馴染めず職場に溶け込めないツガワは、彼女に目を付けた直属の上司から云われないものも含めて叱責受ける暗い会社員生活を送る。そんななか職場では、近辺の路上に断続的に現れている通り魔が話題となっていた。
主要人物はツガワ、毎日のように彼女を責め苛むV係長、そして会社で唯一ツガワの悩みを聞いてくれる別部署で役職をもつナガトの三人で、やはり表題作同様にいずれも女性です。
会社組織を舞台に闇の部分を扱う作品は、表題作より暗さが際立っています。ツガワが上司から受けるパワハラの様子はよく描かれているだけに、やりきれない気持ちにさせられます。全体のバランスとしては、パワハラと会社員生活の暗い側面が突出し、他の要素である通り魔やナガト、かつて就職を希望していた職場などが、うまく定着していない印象をもちました。人物名こそ違いますが、表題作とつながりのある作品としても読むことが可能です。 -
全体的には暗い。暗いし、完全な解決はしてない気がするんだけど、きっと救われてるんだよね?それならよかったけど。
生きにくいご時世ならではの小説でした。 -
冒頭───
三時の休憩時間の終わりが間もないことを告げる予鈴が鳴ったが、長瀬由紀子はパイプ椅子の背もたれに手を掛け、背後の掲示板を見上げたままだった。いつのまにか、A3サイズのポスターが二枚並んで貼られていたのだった。共用のテーブルに飾ってある、百均のコップに刺した観葉植物のポトスライムの水を替えた後、そのことに気がついた。二枚のポスターは、どんな几帳面な人が貼ったのか、角と角とがぴったりくっついていて、掲示板の枠に対してはあくまで平行を保っている。さるNGOが主催する世界一周のクルージングと、軽うつ病患者の相互扶助を呼びかけるポスターだった。
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第140回芥川賞受賞作
津村記久子さんの作品には、言葉をかけようとしてやめたとか、喉元まで出かかったが言わずにおいたとか、殴ってやりたいほどの人間だがその結果何が起こるかを考えると恐ろしいのでよしておいたとか、意を決して一度抜いた伝家の宝刀を渋々と元の鞘に納めるというような場面や表現が、頻繁に登場します。
そういえば、ぼくも含めて、人間って思っていても口に出さないとか、言いたいけど言えないとか、行動で表したいけどできない時とかが、しょっちゅうあることに気付きます。
これを言ってしまったら二度とこの人とは友だちに戻れないかもとか、
ここで暴行をはたらいたらどうなるのだろうという社会的理性が自然と働き、ここはとりあえず、まあまあ、なあなあで誤魔化すほうがこの先生きていく上で無難だろうと判断するからでしょう。
特に仕事をしているうえでは、そんな人間関係をうまくやり過ごさないと、とんでもないことになってしまいます。
でも、それを続けていると閉塞感と不満が鬱積してきます。
この作品では主人公のナガセが無性に体に刺青を彫りたくなったり、163万円もする世界一周に行きたくなったりします。
閉塞感からの脱皮。
ありふれた日常からの現実逃避。
誰もが思い浮かべる願望です。
そのためにナガセは、工場のライン業務、友達の店でのアルバイト、土曜だけのパソコン講師、自宅でのデータ入力の内職などを黙々とこなし、一年で163万円を貯金しようと、毎日の収支決算に眼の色を変えていきます。
友人の離婚騒動などがあったにせよ、その目的には順調に近づいているように思えました。
ところが───
淡々とこなす仕事、それで得られる収入、それを基にした生活。
その日常の中で、生きる目的とは何なのだろう?
この本には、もう一篇「十二月の窓辺」というのも収録されています。
こちらも働く女性の物語なのですが、主人公の女上司というのがひどい。
この作品が書かれたのは2007年のようですが、この頃はパワハラという言葉などなかったかのような、傲慢で無茶苦茶な女性です。
今なら、完全にパワハラで訴えられます。
主人公のツガワは、上司だけではなく同僚からも仲間はずれにされています。
常々辞めたいと思いながらも、この不況のご時世に私を雇ってくれる別の会社なんてあるのだろうか? 責められるのは自分の能力が劣っているからじゃないのか? と常に自虐的に悲観的に物事を捉えます。
これは、津村さんの作品に出てくる主人公の特徴ですね。
この二作品とも小品ですが、そんな一見つまらない毎日を送っている主人公に、ほんのちょっとした出来事が起こることで(彼女たちにすれば大きな事件かも知れませんが)物事に対する発想が変わる転換点が実にユニークなのです。
人間、地道に真っ当に生きていれば、どこかで神様が見守ってくれるとでも言うように、彼女たちは自分を束縛していた気分から解放されます。
そこで読者は微かなカタルシスを覚えるのです。
大感動のラストシーンというような物語ではありませんが、実に味のあるストーリー展開です。
この魅力にいつもぼくは引き込まれてしまいます。
これからも、彼女の作品を読むのが楽しみです。 -
今回はお仕事小説。「この世にたやすい仕事はない」の後に読んだからか、同じように、逆境に立たされながら、なんとか希望を見出していく。もしくは、反抗など、なぜか、勇気づけられる内容である。あとがきで津村さんの文体について評価されていたが、この作者のさりげなく磨きあげられた部分になぜか惹かれる。
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カバー装画 のりたけ
カバーデザイン 名久井直子
わさわさと生い茂るポトスライムに、作中辛い時も唯一希望があった。それが画面いっぱいに広がっていて、それが人の繋がりが広がっていくようにも見える。
物語の最後、自転車を漕いで吹く風のように気持ちが良かったのを思い出す。
船を漕ぐ男の子も、最後まで読んだ後では清々しく、また凛々しく見える。1人で世を渡る私たちと重なる。
それでいて、読んでいる最中の、不安、寄る辺なさ、凪も感じることができる。このわさわさ広がっていくポトスライムに、自分の心を侵食する不安感も重なる。その向こうでポツンと舟を漕ぐ1人の男の子の存在が今度は寂しく、語り手と重なる。
読んでいる間、どんなシーンにも合う顔だと思う。
名久井さんは本のデザインを舟と喩えていた。
コンテンツを後世に残していく舟でもあると。
人生を渡る舟も、コンテンツが世に流布する舟も、中身にいろいろな思惑や物語をやつして流れていく。
それが流れ着いた先で、また関係を紡いでいくことを思った。
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かえるくんさん はじめまして
名久井さんの舟の喩え知りませんでした。
素敵なことを教えてもらいました。
ありがとうございます♪かえるくんさん はじめまして
名久井さんの舟の喩え知りませんでした。
素敵なことを教えてもらいました。
ありがとうございます♪2021/10/30
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