「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか (講談社文庫)
- 講談社 (2013年2月15日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062774642
作品紹介・あらすじ
食べられなくなった超高齢者に対し行われている「胃ろう」と多量の栄養点滴投与は、肺炎を誘発し苦痛を与えるだけである。死への準備をしている体にはそれにふさわしい栄養と水分があれば十分だからだ。待機者が常に数百人という特養の常勤医が提言する安らかな死の迎え方は、読む人すべてに熟考を促す。
感想・レビュー・書評
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石飛氏は老人ホームの看取りに関して随分有名に。寿命による死が老人ホームで迎えられないとしたらそれはおかしいと。ほんとに正しいと思う。いわゆる老衰死を平穏死と名付け、尊厳死の範疇には入るが、安楽死とは違った意味での死の選択の1つとして提示した功績が大きいと思う。NHKでも紹介されたが、人は死ぬ、という現実をどのように家族は受け入れるのか、また死ぬ自分自身がどのような選択があるのかを考える良い本だと思う。同時に、現在の保険医療制度の中で、死ぬままに任せる思考が養われない医療関係者への再考を促す本ですよね。
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特別養護老人ホームの常勤配置医の石飛医師の書。
副題は「口から食べられなくなったらどうしますか」
僕も仕事柄、胃瘻(いろう)や経鼻胃管での栄養をおこなう場面には多く遭遇する。
現状の栄養状態の改善だけを考えるのではなくて、その後の人生(の終局)のあり方も考えることが必要だとあらためて痛感した。
老いの先にある死でさえも”病”ととらえて治療対象のごとく扱ってしまうのは考えものだと思う。
すこし前に中村仁一さんの『大往生したけりゃ医療とかかわるな』を読んだのだけども、この本も同じ方向の内容で、老いやその後の死のあり方について考えさせられた。
ただ、現在胃瘻や経鼻胃管をしている方を目の前にすると、やはり複雑な思いがしてしまう。
水だけを与えて穏やかな死を迎えさせることを考える・・・なんてやはりできずに、
乱暴な言い方だけども、放っておけないと感じてしまうのが大多数なのではないだろうか?
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【内容(「講談社BOOK俱楽部」より)】
延命治療の限界と、人としての安らかな最期を考える。
特別養護老人ホームの常勤配置医が介護現場の最前線から初めて提言し、刊行以来大反響を呼んだベストセラー、待ちに待った文庫化!
食べられなくなった超高齢者に対し行われている「胃ろう」と多量の栄養点滴投与は、肺炎を誘発し苦痛を与えるだけである。死への準備をしている体にはそれにふさわしい栄養と水分があれば十分だからだ。待機者が常に数百人という特養の常勤医が提言する安らかな死の迎え方は、読む人すべてに熟考を促す。
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【目次】
第1章 ホームで起きていたこと
第2章 高齢者には何が起きているのか
第3章 なぜホームで死ねないのか
第4章 私たちがしたこと
第5章 ホームの変化
第6章 どう生きるか
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人間も動物の一種族だし、書かれている通りに自然に死を迎えるのが本来の姿なのだろう。苦しみを強化延長するための延命ならまさに本末転倒であるし。医療と介護の間に、画一的な判断をするための線引きができないことは問題を解きにくくしていると言えるだろう。考えることをしない人が、あるいは思考の硬直した人が、それだけ増えたということなのかもしれない。
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まさにその通りだと思う。そのためには患者家族と話し合いを重ね一緒に悩んであげることが大事だと思う。ただ実際には話し合いの場が不十分な所がほとんどであろう。
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「過剰な栄養や水分をあげない できれば、経管栄養はさける」
自然死って難しいのな。
経管栄養は、あれは苦しい。私は全部自己抜去したので、自分は絶対やりたくない。点滴も嫌だ。。胃瘻は嫌っていう人は多けど、結局、経管栄養とか点滴、も同じなんだな。もう身体は受け付けないのに、水でブヨブヨになってしまう。。点滴して肌がツヤツヤになったって喜んでいてはいけないと思う。
肉の塊でいいから生きていて欲しいって残酷だよ。
家族は、死んでいくことを学ばないとダメだと思う。 -
植物人間状態になったら、胃瘻や救急搬送や入院やらで延命させようとする傾向が、私は大反対!
老人ホームの高齢者たちは早く死にたいと口を揃えて言うのに。死にたくても死ねない、でもいざ死ねるかもしれない病になったら本人も周りも生かそうとする。
穏やかに、成り行きに任せて死にたい。
この著者は医者。
彼の考え方は至極真っ当で、説得力がある。
メモリスト
認知症の方と関わる上で、トンチンカンなことを言う人でも感情はしっかり残っている。
無職の子供が生き延びるため、生活費のために老年のお屋を入院させ生かし続ける。
P128 できれば経管栄養は避ける。
高齢者で嚥下機能が低下し、自分の口で食べられなくなった場合は、その人の生命の限界が来ていることが多い。
寿命が来ている高齢者に、経管栄養を機械的に与えることに意味があるのか。まさに、穏やかな看取りを妨げる事態だ。
P202
老衰のために体に限界が来て、徐々に食が細くなって、ついに眠って静かに最期を迎えようとしているのを、どうして揺り起こして無理矢理食べなさいと口を開けさせることができましょうか、現場を知っている者から見ると考えられないことです、もう寿命が来たのです、静かに眠らせてあげましょう、これが自然というもので、平穏死です
。
↑共感。
本人の意思よりも周りのエゴで生かしすぎ。
昔は自然に家で死ねていたのに、今は病院に送られて死ぬ始末。
誰だって慣れ親しんだ場所で死にたいよ。
私は、延命はしない!
ガンになったら鎮痛治療だけして、手術はしたくない!
それが運命だと受け止め、時の流れに身をまかせる。
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又いつかの機会に。
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著者の石飛先生が、ホームの看取りの現場の実態、国の医療と福祉の体制について、誤解を恐れることなくご自分の率直な想いを書いておられる。現場でしか解り得ない苦悩とジレンマをよく書いてくださった。先生が問題に真摯な姿勢で向き合っておられることに感動し、そして方針には概ね共感できた。再読候補。
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とても考えさせられた。理想の死と、実際の死…。間近な家族を送るとき、また、自分の老後を思うとき。
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筆者の語り口調がどうあれ、現場の立場から述べられている。
発行が2013年なので、今の状況はどうなのだろうか。