百年の家 (講談社の翻訳絵本)

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  • Amazon.co.jp ・本 (64ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062830423

感想・レビュー・書評

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  • 石の家の歴史です。
    昨年の翻訳本topだという事でした。
    大型本で、描写に圧倒されました!

  • とある古い家の物語。家の周りの様子でその時々の情景が感じられる。

  • 図書館本。私の選定本。私は楽しめたけど、長女はイマイチ。この手の絵が馴染めないようです。
    100年たたずむ家。家を修理しながら、長く使うことに意義を見いだしている西洋特有の文化が描かれています。

  • 建物を中心に周囲の変化がみえて、感慨深い

  • 私が心を持つ家として最初に思い出すのは、
    バージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』である。

    「彼女」は、静かな田舎でリンゴの木や畑にかこまれて幸せに暮らしていたが、
    やがて周りが町になり、数奇な運命をたどることになった。

    「ちいさいおうち」が生きた物語は、その持ち主の人生くらいで、
    人の2代、3代くらいの長さであった。

    本書の家が生きた歴史は、もっと長い。

    家は1656年生まれ。扉にあたる、家の言葉がしみじみと深みを持つ。


      この家の扉の上の横板に、1656と記されているのが読めるだろう。

      それがこの家、つまり、このわたしがつくられた年だ。それはペストが大流行した年だった。

      はじめわたしは石と木だけの家だったが、時とともに、窓ができて、わたしの目になり、

      庇ができて、人の話し声も聞こえるようになった。わたしは、さまざまな家族が住んで

      育つのを見、おおくの木々が倒れるのも見た。たくさんの笑い声を耳にし、たくさんの

      銃声も耳にした。

      なんども嵐が来て、去って、なんども修理がくりかえされたが、結局、わたしは住む人の

      いない家になった。

      そして、ある日、キノコとクリを探しにきた子どもたちが、勇敢にも、人の住んでいない

      この家のなかに入りこんできたのだった。

      そうして、いまにつづく現代の夜明けのときに、わたしには、新しいいのちが吹き込まれたのである。

      この本は、古い丘にはじまり、二十世紀を生きることになった、わたしのものがたりである。

                                           2009年


    この扉文で、著者が家の命をどのように捉えているのかがわかる。

    家は、家としてできあがったときに目も耳も得るが、
    人が住んでいることでこそ生かされるのだと。

    この家は1656年生まれだが、本書は「百年の家」(原題:The House)である。

    20世紀の人々とともに生きたことが物語りになっているのだ。

    家が何世紀も命を持ち続けるという感覚は、頑強な石の家を作り、
    何年も住み続けるという感覚のある西洋ならではかもしれない。

    日本はもったいない精神で大切に物を使う時代ならば、
    家だけでなくあらゆる物に対して
    そういった感覚を持ち合わせていたかもしれないのだが・・・。

    西洋も家への感覚が変わってきていることを本書は示唆している。

    1900年、廃屋だった家を子どもたちが見つけるところからお話は始まる。

    本書は、左側に小さな挿絵と年、右側に四行の文章のページと
    その年に対応して、見開きで家と周りの風景を描いたページで構成される。

    1900年の挿絵は、木の実を集める子供たち。

    小さなサイズの絵だが、ポストカードとして眺めたくなるような絵だ。

    四行の文章は、このように書かれている。

      ざわざわと、騒がしいためいきのような声がした。

      ―「見ろよ! おっそろしく古い家だ」

      もうずっと、ただの廃屋だったわたしを、

      やっと見つけてくれたのは、子どもたちだった。

    本書は非常に大判の絵本であるが、
    この歴史をもった家と周りの風景を描き出すにはちょうどよい大きさに思える。

    絵はひとつひとつが非常に細やかにていねいに描かれている。

    1900年のページでは、家を見つけてやってきた10人の子どもたち、
    家の周りの木々や生き者たち、そして、忘れ去られていた家。

    1901年は、家を修繕している人たち、
    そして、周りの土地を耕す人と牛、木は切り倒されている。

    1905年は、移り住んできた人たちが、
    木を切ったところに苗を植えている。
    上では家畜を放している。

    人がやってきて生活を始める様子がそのまま家に、
    そして、この絵全体に生命を与えているかのようだ。

    1915年は、家の娘の結婚式。

    1916年、そして子供が生まれた。

    1918年、第一次世界大戦が終戦したが、兵士だった夫は亡くなった。

    挿絵の妻が泣いている。家は雪景色の中だ。

    1929年、1936年・・・。

    そして、戦時下の1942年。

    この色彩の暗さは何だろう。

    くっきりと濃い影が存在する。

    でも、家はこの中でも確かに希望の灯りとして存在していたのだ。

    オレンジ色の光に力があり、温かい。

    この1942年の見開きページがちょうど本書の真ん中のページに相当する。

    これはそのままひっくり返すと表紙と裏表紙とまったく同じ絵であることがわかる。

    四行の言葉に、そして、絵に込められた行間。

    この家の死は、戦争で訪れたのではなかった。

    1967年の葬儀。

      みんなが集まっている。雨降る日の葬式だった。

      母親の柩を乗せた車が、わたしの前を通り過ぎてゆく。

      心をなくした家は、露のない花のようなものだ。

      弔いの鐘が、ひそやかに鳴った。

    戦争の日々よりも、寂しく悲しい色彩の絵。

    悲しんでいるのは、雨の葬儀に集まった人たちだけではない。

    そして、この家には誰も住まなくなる。

    1973年。

      いままでの暮らし方を継がない。それが新しい世代だ。

      だが、若さだけで、この家の古い石は、とりかえられない。

      この家がわたしだ。けれども、わたしはもうだれの家でもない。

      運命をたどってきたわたしの旅のおわりも、もうすぐだ。

    1999年。

    このページの文章ははじめて、四行を越えている。

    そして、ここに込められた言葉の深さ。

    この家が生きたのは二十世紀だ。

    二十一世紀を描くとしたらどんな百年の家になるのだろう。

  • 読了

  •  古びた一軒家の100年の物語。舞台は1900年代、それから100年間の経過を家視点で描かれたもの。
    その長い歳月の中で家の改修から始まり、出会いと別れ、終戦から開戦、その戦時中の暮らしが淡々と書かれており、物寂しい雰囲気の絵本だと思った。

  • 家を定点観測した絵と、家自身の言葉でお話が綴られていく。良い時も悪い時も、全てを見てきた家のたどり着く先が意外だった。

  • 年号と文面ページ、そして見開きの絵が繰り返される。
    静と動、余白。そこに時の流れを感じる。

    細やかな絵が、切り取った時間と動きを感じさせる。
    変化していく環境と人。じっくり向き合いたい1冊。

  • 同じ画角のイラストが続く絵本。ページをめくる事に年が経ち、周りも家族も、家すらも変わる
    パラパラとページを捲っては戻ってを繰り返すのが楽しい。その反面、時が経つ残酷さや来て欲しくない未来に目を瞑りそうになる
    けど、独りだったら耐えられないことでも、誰かと一緒だと思えば耐えられる。

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