則天武后 (講談社学術文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062923958

作品紹介・あらすじ

秦の始皇帝に始まる二千年余にわたる中華帝国の歴史にその名を刻む唯一の女帝・則天武后(武則天)。男性中心秩序の古代社会に己の才覚と知力で挑み、至尊の座にまで登りつめた女性は、何を目指し、また何が彼女を生み出したのか--。大唐帝国繁栄の礎を築いた冷徹にして情熱的な生涯とその時代を、学術的知見に基づいて鮮やかに描き出す。

感想・レビュー・書評

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  • コテンラジオのテーマをトレースしようの一環。コテンは漢王朝やら唐王朝の成り立ちまで遡ってスタートしてたけど、隋以降の話は大分この本から持ってきてるんじゃないかな。

    中国王朝唯一の女帝。則天武后の生涯を時代背景や周辺の関係者たちの物語と絡み合わせ遍歴していきました。豪快で残忍な一面もあり、狡猾で用意周到な立ち回りを見せたり、色んな個性が一堂に会してるって感じです。後宮の女同士のドロドロな駆け引きとか、高宗のなんとも言えないヒモ感とか人間味が溢れ出ておりまして、単純に魅力深かったです。

    登場人物多くて紛らわしい名前がバシバシ出てくる中国あるあるですが、粒ぞろいなので各所見どころ満載。コテンラジオで一回シリーズを聴き終わって予備知識ある状態で、今度は視覚的に同様の内容を通読する価値はあります。

  • 唐代石刻史料研究の第一人者が手掛けた、則天武后の一代記。それまでの通説的な彼女への評価とは一線を画す異論を随所に差し込み、結果的により傑物としての姿を描き出している。現代においては則天武后を語る上での基盤となる本と言えるか。一部句読点が怪しい部分、小説的な描写が挟まれるのは、研究書ではなく、一般書としての読みやすさを重視したためであろう。

  •  則天武后がどのようにして権力を握ったのかについては、興味はあったけれど具体的には分からなかった。この本を読んでよく分かった。
     とにかくすごい展開で、女性の権力に対する欲望は、男よりもすごいんじゃないかと思わせる。身分の低い普通の助成が、太宗の後宮に入っただけなら普通にある話ですが、太宗が死んだら息子の高宗を取り込んで、しかも、皇后の地位まで奪うというのだから凄まじい。自分の子供を自分の権力欲のために何人も犠牲にするのだから凄い。
     一気に読める学術文庫でした。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/741518

  • 則天武后の一生を、その前段である隋末より描く。描写は極めて小説的でありそういった意味で純学術的ではないけれどおかげで最後まで楽しく読むことができた。章立てが細かく、区切りがつけやすいのもそれに寄与している。
    唐初の時代背景として、西魏由来の旧六鎮を元とした主流派・関隴集団と、それ以外の非関隴集団との政治力学が種々に出てくる。則天武后は自らの幕下として北門学士といった寒門出身の子士を多く用いたためか。
    唐代は律令による三省六部の官制が敷かれたが。中書省は皇帝に近侍する秘書的役割から発展したもので、皇帝の意を体現する。門下省は詔勅の審議を受けるが、これは貴族の意を体現するものであると同時にそういった貴族勢力を政権に組み込むことで政権の安定を図った。
    太宗の皇太子争いでは、長孫皇后の子である皇太子承乾と魏王泰と晋王治がいた。皇太子が素行不良により廃嫡され、対抗馬であった魏王泰も相応しくないとされ、晋王治にお鉢が回った。これは魏王泰を推すのが南朝系の者であり、政治の主導権を奪われることを恐れた関隴集団筆頭の長孫無忌が、気が弱い晋王治を擁立することで影響力の保持を図ったためだった。
    則天武后は自らが皇帝の位に付く前に、任官に科挙を重視し名門貴族同士の通婚を規制し新たな家格体系を作ることで門閥系貴族の力を抑え新興非門閥貴族系勢力の台頭を促した。また、酷吏により反対勢力を叩き潰し、瑞兆を演出し、仏典から理論を構築するなど入念な下準備をしていた。
    唐代の皇室は、北朝系の遊牧民の慣習を色濃く残しているためか、嫡子相続が確立はせず、皇后の地位と権威も不安定で常時置かれていたわけではなかった。そういった時代だからこそ、則天武后が皇帝の位につく事もできたのだろう。しかし、流石に男女同格の気風までは取り除けず、韋皇后は単純に則天武后の後を倣うが失敗している。
    唐という王朝は、整った統治機構をもって成立しながら、武后という女性皇帝の登台をあっさりと許した。それを許した大きな理由は、足場としての唐朝の特質、すなわち個人的な人間関係、恩寵的関係を容認する体制上のゆるさ、その上に北族的影響と魏晋以来の時代の空気のなかで形成された女性の強さが重なる、という構図から導きだされる。筆者はここに、漢代までの古代的世界とも宋代以降の君主独裁制が確立する時代とも異なる、中国中世的世界の表象をみてとるのであるが、どうであろうか。

  • まさに突出した能力と個性である女性則天武后がえげつない手段を用いながらもどうやって皇帝にまで上り詰めたかがわかる。則天武后が存在しえたそれ以前でもそれ以降でもない唐という時代の背景をベースに、関隴系功臣集団と山東系をはじめとする古来からの名族の支配する朝廷に対抗するため、科挙に及第した新興層を取り立てて政治の実権を握っていくという、皇帝を巡る愛憎の激情とは裏腹の冷静な計算を緻密に行っていた凄味がわかった。また、小説のような表現が用いられていてとても興味深く読みやすく、歴史を解説するうえでも詩情を排するのではなく人間の情をある程度忖度していくことの有効性が感じられた。

  • ようやく読んだ
    最近読むのが遅くて本当に困る 疲れた…

  • 空前絶後、女性として女性のまま中国の皇帝となった則天武后。太宗の後宮から、感業寺に尼として入り、高宗が見出した、と言うよく知られるエピソードに疑義を呈し、対立者を取り除いて、皇帝たる高宗を実質的には服従させ、政治を動かした則天武后。個人的には、酷吏の跋扈するこの時代に住みたいとはあまり思わないが、大胆な人材の登用で人身を収攬し、外征にも手腕を発揮し、明堂をはじめとした文化事業にも取り組み、といった側面も伺いしれる。使えるとなれば奸臣だろうと酷吏だろうと使えるだけ使い、潮時と思えば、姻族だろうと容赦なく殺す。そして拙速ではなく、女性が皇帝位についてもおかしくない、と言う世論を、慎重に慎重に編み上げていって、皇位につく様は圧巻。死に際しては「無字碑」を建てさせた。”自分がやってきた仕事や業績は文字にして表しきれないほど無限に大きいということ”、”その評価を後の人間にゆだねたい”ためであったのでは、と。

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著者プロフィール

明治大学東アジア石刻文物研究所所長。

「2021年 『中国史書入門 現代語訳 北斉書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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