作品紹介・あらすじ
珠子、茉莉、美子――3人の少女は、戦時中の満州で出会った。何もかも違う3人は、とあることから確かな友情を築き上げる。やがて終戦が訪れ、3人はそれぞれの道を歩み始める。日本、中国で彼女たちはどう生きたのか。そして再び出会うことはあるのだろか――。2016年本屋大賞第3位に選ばれた、感涙の傑作、ついに文庫化。
感想・レビュー・書評
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著者の年齢を見ると戦争経験者ではない世代と知った。しかし想像や、身近の人達の経験談だけではこれほどの話が出来るものではない。読み終わり参考文献を見て少し納得。著者の膨大な学習努力が覗える。環境の全く異なる3人の女性の人生に、読者はどこかで自分と重なる出来事を見つけてしまうのではないだろうか?戦争は、人を変えるのか?自分に潜む非情さを曝いてしまうのか?ただどこにも常に優しさも有ったことが救われた。今も世界では戦争が起きている。このお話はけして遠い過去の出来事ではないのかもしれない。
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戦時中、満州で出会った3人の少女を巡る話です。
高知から家族とともに来た珠子、朝鮮人の美子、横浜から来た茉莉。
国籍を超えた友情で結ばれる少女たちですが、戦争が激しさを増すにつれ日本は追い詰められていき…
3人はそれまで想像もつかなかった人生を送ることになります。
珠子は終戦後中国戦争孤児に、美子は日本で朝鮮人差別を受け、茉莉は空襲で家族を失い…
戦争という誰も逃げられない苦しみの中、必死で生き抜いた少女たちの人生とは。そして失った物と、そこから得た物とは?
日中韓の関係の悪さは今でも度々問題になっていますが、この本を読んだらその理由が分かるかと思います。
フィクションですが史実を基にしているため、当時の生活や貧しさがリアルに描かれています。
3人が日本で再開した時、日本語が話せない珠子に衝撃を受けた美子と茉莉。
母国の言葉さえ戦争で失われてしまったことはとてもショックでした。
「戦争さえ無ければ」と、当時を生きた人たちはどんなに願ったでしょうか。
今の平和な日本に感謝すると共に、二度と同じ歴史を繰り返してはいけないと思いました。
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珠子、茉莉、美子、
戦時中の満州で出逢った3人の少女。
一時の出逢いの後、それぞれの地で戦争に翻弄され、それぞれの道を歩む。
***ネタばれ***
満州で中国残留孤児となり、それまでの記憶をほとんどなくしてしまった珠子。
横浜に戻り、空襲で両親を亡くして戦争孤児となった茉莉。
朝鮮で生まれ満州を経て日本に渡り、在日朝鮮人となった美子。
3人の歩む道に、胸を張って前を向く姿に、
一時も目が離せない。
ただの戦争小説じゃない。
あの先の大戦をあらゆる角度から描き、戦争に翻弄された3人の少女が、戦後、どのような人生を辿ったのかまで描かれていて、彼女たちの人生を通して、生きるとはどういうことかを考えさせられました。
解説でも書かれていますが、著者である中脇初枝さんが膨大な量の取材をし、たくさんの資料を読み込んでこの素晴らしい作品を書かれたことに、大変感銘を受けました。
今、ロシアがまた同じ事をしています。
この作品に描かれているみたいに、多くの人が凄惨な体験をされ、犠牲となっています。
なのに、何もできない自分が虚しく、誰も止めれないことに恐怖を覚え、未来に対する不安がましてやまない毎日ですが、この小説を読んだことで、前を向く勇気、人生に立ち向かう勇気をもらったように思います。自分ができる事は、このような作品を通じて事実から目を背けず、未来に伝えて行くこと。そうやって前を向いて歩いていきたいです。
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戦時中の満州で出会った3人の女の子の話。
全員が戦争に巻き込まれ戦後も互いに苦労し、何十年と時が過ぎてから再会する。再会出来た理由の1つに人の思いやる気持ちがそれを叶えた。戦争体験の話だけではなく、人を守る事の難しさ負の連鎖を断ち切るためにはどうすれば良いのか考えさせられる話。それは戦争中だけでなく今の世界でも抱えている問題。答えはいつか分かるのかな。
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涙と怒りしかない本でした。次のページが不安でずっとドキドキしながら読みました。生きて3人が再び会うことができて本当に良かった。
自民党の国会議員の方々や自民党支持者の皆さんは、この本を読んでも、憲法を改正して日本も戦争をできるように変えるべきだと言うのでしょうか。デモやTwitterでヘイトスピーチ、差別発言を続けるのでしょうか。我々日本人も、いつまで忘れることの得意な民族を演じ続けるのでしょうか。忘れて無かったことにしてしまうのでしょうか。
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幼いころ満州で出会った3人の女の子の、戦中・戦後の物語。
一人は貧しい高知の村から開拓団として満州に行かされた珠子。一人は生活のためにどちらかと言えば親日の考えを持っていた両親のもと(ただし母親は学校にも行っておらず読み書きができなくても、朝鮮人としての誇りは失わなかった)、満州で仕事をしていた朝鮮国籍の美子、もう一人は横浜で事業をしている父親が満州に視察(?)に来た時に連れてこられた、お金持ちのお嬢様の茉莉。
3人は短い期間だが満州で友情を育み、国籍や立場が違っても、お互いを思いやってかけがえのない思い出を作る。その時には、そのささいな思い出が、どんなに大切なものなのか気づかない。
終戦を迎え、満州の奥地で少ない田畑を耕していただけの貧しい珠子たち開拓団は何の情報もなく見捨てられ、筆舌に尽くしがたい悲惨な目に遭う。珠子は人身売買?で誘拐され、中国残留孤児に。貧しいが温かい養父母に育てられながら、だんだんと日本人としてのアイデンティティを失っていく描写が悲しくて悲しくてたまらない。
朝鮮人の美子たち家族は、日本の敗戦により、これまで日本に協力してきたことが糾弾されることを恐れ、日本に渡ることを決断する。その後の成長では、日本で生きる朝鮮人としてのアイデンティティが問われる。しかし自分の意思で何か決められるわけでもなかった、美子たちのような終戦時子どもだった世代は、日本人とか、朝鮮人とか関係なく、ただそこで、一生懸命生きているだけだ。
一番恵まれていたはずの茉莉は、空襲で家も家族もすべて失い孤児になる。このときの淡々とした描写も涙なくして読むことはできない。
立場も置かれた状況もまったく異なる3人だが、共通しているのは、「幼いころ自分は可愛がられ、愛されて育った」という記憶だ。そして「満州で友達に優しくされた」という記憶も心の鍵となって、何か重大なことに直面したとき、正しく誇りを持って生きるための役割を果たす。
戦争の悲惨さがもちろん伝わってくる作品だ。子どもにとって、幼少期に愛され、大切にされることがいかに重要かも伝わってくる。自分以外の誰かに思いやりを持つことの素晴らしさ(自分が大切にされてきていれば、困難な局面にあってもそれができる)。
どんな状況でも、正しく生きたい、と強く思わされる。(もし自分が同じ状況に置かれたら正しい行いができるかはなはだ疑問だ、人は弱いものだ、とも思わされる)。
在日朝鮮人にもさまざまな立場の人たちがいることもわかる。日本に来た経緯にもいろいろあるし、終戦時に朝鮮半島に帰るかどうかの判断もいろいろだ。
中学校で教える強制連行の歴史なんて、間違いではないにしても、本当になんて薄っぺらいのだろう(ジレンマ)。
ここに描かれた3人くらいの世代の人たちの記憶は、もう失われつつある。本書は「一番売りたい本!」という本屋大賞ノミネート作品だが、本当に、こんな物語がずっとたくさんの人に読みつがれてほしいと思った。
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昭和18年9月の終わり、珠子は満州についた。
ふるさとは貧しくて、国策としての満州開拓団に強制的に入団させられたのだ。
城壁に囲まれた土地ではあったが、地味豊かな満州の土地で、ようやく彼らはお腹いっぱい食べることができたのだった。
美子は朝鮮に生まれたが、日本の支配下にあった朝鮮で、朝鮮人が豊かに暮らすことはできなかった。
父が満州に仕事を探しに行っていた数年間、美子は母と二人で毎日働きづめに働いて、ようやくコーリャンの薄いおかゆをすすれるような暮らしだった。
やっと父が迎えに来て家族で満州に移住。
日本人たちのそばで日本人と同じように学校に通い、そこで珠子と友だちになった。
茉莉は横浜の貿易商の家に生まれ、着るもの食べるもの何一つ不自由をしたことのない暮らしだった。
欲しいと思う前にすべてを与えられ、愛情たっぷりに育てられた茉莉は、お産を控えた母が面倒を見られないので、満州を視察する父についてきて、そこで珠子や美子と出会った。
3人が大人に内緒で遠出をした時、疲れて眠りこけている間に天気が急変し、川が氾濫し橋は流され、そんな中、3人はたった一つのおにぎりを分け合い夜を過ごしたのだった。
それは彼女たちの長い長い生涯のなかのほんの短い時間だったけれど、この出会いが今後の辛い人生の中で彼女たちの精神的な支えになった。
終戦後、引き上げ途中で中国人にさらわれ売られた珠子。
終戦前に日本に戻ったけれども、いわれなき差別を受け続ける美子。
横浜大空襲で家も家族もすべてを失った茉莉。
読んでいて辛くて辛くてしょうがなかった。
戦争は子どもだろうと年寄りだろうと病人だろうとお構いなしに、というよりも弱者により激しく試練を与える。
大人が子どもを食い物にし、自分が生き延びるために他人を踏みつける。
抵抗できず、目を逸らすことも出来ずにそれを見る子どもたち。
戦争中よりも、戦後の生活の方が辛い。
日本人であることを忘れ、中国人として過ごしていた珠子が、後年、中国残留孤児として日本に帰って来るが、日本語を話せない彼女たちは働こうにも職種が限られる。
せっかく家族と再会できても、会話を交わすことすらできない。
空襲から一人生き残った茉莉は、近所の人たちに畑の野菜を奪われ、防空壕に隠していた家財道具いっさいも奪われ、手に握りしめていた一粒のキャラメルすら大人に奪われたことが一生残る心の傷となった。
しかし反面、戦争に巻き込まれて死んでいった家族のことを思う時、自分だけが幸せになることができず、プロポーズを断る。
戦争が終わっても、ずっとずっと戦争の影が彼女たちを追いかける。
どこまで傷つけられなければならないのか、苦しくて悔しくて、読みながら唇をかみしめる。
だけど彼女たちは、少なくとも家族に愛されて育った過去がある。
だから生きてこられたのだと思う。
そしてたった一度、3人がひとつのおにぎりを分け合ったこと。
一人占めせず、小さい子に多く分けて食べたおにぎり。
茉莉の生き方に頭が下がる。
戦後、弱者として虐げられながらも決して俯くことなく胸を張る。
同じ状況に陥ったら、私はこう強く生きて行けるだろうか。
真っ先に死んでしまうか、それともあさましい行いをしてしまうのか。
どんな大義名分があろうとも、弱いというだけで踏みつけられる世の中は間違っていると強く思った。
ネタバレし過ぎと思われるかもしれませんが、ネタではなく、この作品の世界すべてをまるごと味わっていただきたいと思いました。
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三人の女性の幼少期から晩年までを綴った、史実を基にしたフィクション。戦争について描いた小説はたくさんありますが、一人一人の人生について、徹底した取材を基に、ここまでリアリティをもって物語る小説には初めて出会いました。
中国残留孤児、戦争孤児、在日朝鮮人。知識としては知っていましたが、そういった人々が何を経験し、何を感じたのか、本当の意味では何も知らなかったのだと、この小説を通して改めて感じさせられました。作者の筆致は淡々としていますが、そこに語られる事実の壮絶さに圧倒されますし、胸が痛くなります。そして、戦争が個の人生を否が応にも変えていってしまうその無慈悲さを、ただそうであるものとして描き出そうとしている作者の覚悟にも、感服させられます。
三人の主人公の人生が一瞬交錯して、物語の最後にまた繋がる展開は、人と人が国籍や思想を越えて、繋がることができるかもしれないという希望を描き出しています。もちろん、その道のりは並大抵のものではないのですが…。戦争に翻弄されながらも、そこで生きていこうとする人々の人生を濃密に描き出した本作品。たくさんの人に読んでもらえるといいなと思いました。
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美子が茉莉と珠子に1個しかない自分のおにぎりを分け与え、自分は1番少ない部分を食べた場面には、子供なのに、自分もお腹が空いているのに、助けが来るかどうかも心配な状況で、神みたいだなと思った。
この3人は、それぞれ中国残留孤児、在日朝鮮人、戦災孤児という精神的にとても辛い状況にありながらも生きてこられたのは、幼い時に受けた家族の愛情と自身の精神力だと思う。
現代社会で考えてみると、子供時代に自分は愛されて育ったという自信があれば、例えば仕事や人間関係で嫌な事が起こっても頑張れる気がするし、周囲の人に優しくもできる気がする。でも世の中そんな良い環境で育った人ばかりではないから、いろんな人がいる。そんな心に余裕がない人にも、平等に愛を分け与えることができるような人になれたら素晴らしい。やっぱり世の中は、お金も大事だけど、最後は『愛』なのだと思う。
最後に、中国残留孤児と在日朝鮮人、戦災孤児について深く考える良い機会になった。
著者プロフィール
徳島県に生まれ高知県で育つ。高校在学中に坊っちゃん文学賞を受賞。筑波大学で民俗学を学ぶ。創作、昔話を再話し語る。昔話集に『女の子の昔話 日本につたわるとっておきのおはなし』『ちゃあちゃんのむかしばなし』(産経児童出版文化賞JR賞)、絵本に「女の子の昔話えほん」シリーズ、『つるかめつるかめ』など。小説に『きみはいい子』(坪田譲治文学賞)『わたしをみつけて』『世界の果てのこどもたち』『神の島のこどもたち』などがある。
「2023年 『世界の女の子の昔話』 で使われていた紹介文から引用しています。」
中脇初枝の作品