私たちは生きているのか? Are We Under the Biofeedback? (講談社タイガ)

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062940610

感想・レビュー・書評

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  • 逃げたウォーカロン達がいる!という「富の谷」へ潜入するハギリ博士御一行(゜゜;)ほんわか楽しそうな世界だなぁ(^-^)と思って読んでいたけれど、途中から「もしかして、そこは真賀田四季ワールドなんじゃ…?」と恐ろしくなった(ToT)でも最後のハギリ博士とデボラの会話はほんわか(*´-`)

  • 「では、彼がやられたところを、マグナダは見ていたのですか?」
    「わからないけれど、その可能性が高い」
    「水晶玉を使ったのですか?」
    「使わないよりは、多少科学的な方法だ」

    「怒っているね?」
    「はい」
    「言いたいことがあったら、聞くけれど」
    「言いたいことは事前に申し上げました。問題は、言っても先生にはきいてもらえない、ということです」
    「うん。いや、充分に理解はしているんだけれど、しかし、なんというか、好奇心が勝ったというか…」
    「誘惑に負けたということですね?」

    「ここは、まだなにか重要なことを隠しているように思う。そうでなくても、ここと緊密な関係を持つことは、将来的に有益だと思える。なんか、そういう感じがする」
    「感じがする」
    「しょうがない。論理的ではないが、研究者としての勘みたいなものだよ」
    「みたいなものではなく、単なる勘ではないでしょうか?」

    「そうだね。悪いことを考えるのは、みんな人間だからね」

    『理念を打ち立てるほど、言葉だけの理屈を信じていない。ただ、問題を地道に解決し、障害を取り除くことで、少しずつ生きやすくなれば良いと、というのが基本にある。正解値が得られないならば、近似値で良い。誤差が小さくなる方向へ進めば、それは進歩なのだ。』

    「私はデボラは生きていると思う ー 自分の存在を意識できる能力、その複雑性が、すなわち生きているという意味だ、と私は解釈しているから」

    『成長するとともに、この人間社会の不合理に圧倒されることになるはずだ。人間も地球も無駄なもので汚れている。社会も間違いだらけなのだ。
    そして、最も我慢ならないのは、自分の肉体が、そんな汚れた地球の一部であること、自分の躰の中に不合理で意味不明な、洗練されていない自然が残っていることだ。
    彼らがボディを捨てた理由は、それだろう。』

    『いつか、人間もボディを捨てる時代が来るだろう。
    これは、確信できる。
    そのあとには、脳もいらなくなる。脳だって肉体だからだ。
    人間は、いつか人間と決別することになるだろう。』

    『そうか…。
    生きているものだけが、自分が生きているかと問うのだ。』

  • シリーズ物なので、ついつい読みたくなってしまいますね。しかし、毎回期待を裏切らない面白さです。
    今回はウォーカロンの住む町に行って事件が起こるという話。
    VR的(マトリックス的?)な話とか、不老不死の新たな形とか(ネタバレになるので詳しく書けない)、こんな未来もあるのかなあ、と想像しながら読めるのがこのWシリーズの魅力です。まあ、それらが仮に実現する頃には、自分は生きてないでしょうが。

  • Wシリーズ第5弾。

  • 一回でさらっと読めない深みがある。疑問が投げかけられ考えるのに立ち止まり戻ってから進む。その繰り返しだ。

  • Wシリーズの5冊目。
    今度は、ウォーカロンばかりが暮らしているという情報から、アフリカの南端の村を訪れるハギリら3人。
    いつもはあまり何も起こらないシンプルな話の中で思わせぶりな考察が語られるのだけど、本作では『行ったが最後、誰も戻ってこない』と言われる謎めいた場所が舞台で、いつもとちょっと作りが違う。
    そうした場所に囚われた局面の割にはハギリに緊張感もなく、敵の攻撃も長閑で、イマイチ緊迫感には欠けるのはこの本らしい?
    一方、生命というものの概念について、『人の命はかけがえのないもの、この世で最も貴重なものだという信念が、本当なのか、どうしてそんなことがいえるのか、という危うい境界にまで到達した世界』で、『自分の存在を意識できる能力、その複雑性が、すなわち生きているという意味だ』と語りながら、行きつ戻りつ繰り返される考察が深淵。
    『生きているものだけが、自分が生きているのかと問うのだ』、なかなか面白い。

  • S&Mシリーズの最後もバーチャルの中の話だったっけ…うろ覚え。10年以上経って、その設定がさらに洗練されて展開していたように思う。

  • 以下、面白かったor気になった本文抜粋。ネタバレ注意。





    CGではないのだ。どうしてかというと、いかにもフィルムが古くて、CGのようにリアルでも鮮明でもない。(P9-10)
    # CGの方がリアル

    「さてと……、何をするべきかな」僕は呟いた。
    「シンに会いにいきます」ウグイが言う。彼女は銃のホルダに手を当てる。「落とし前をつけてもらわないと」
    「さすがに、古典が専門だけあるね」(P208)
    # ちょいちょい出てくる古典選考ネタ

    「推論による解として、幾つかの候補がありますが、その中で最も統括的なものならお答えする価値があるかもしれません」
    「持って回った言い方だね。えっと、ローリィが自分は生きていないと言った理由?」
    「はい」
    「面白い。教えて」
    「理由は、彼が生きているからです」
    僕はデボラの解を聞いて、納得ができた。
    それが正しい。
    「素晴らしい答だね。君は生きているんじゃないかな」
    「いいえ。私は、それを自分に問うことさえありません」
    そうか……。
    生きているものだけが、自分が生きているかと問うのだ。(P262)

    「そうだろうね。じゃあ、プレゼントされて嬉しいものは何?」
    「嬉しいという感情は私にはありませんが、自分にとって有利になるものでしたら、歓迎できます」
    「つまり、情報かな?」
    「それは、当然ですが、もっと入手困難なものがあります」
    「何?」
    「友情です」(P266)
    # デボラがデレた!?

  • 生きてるとは?

  • 脳の集積あたりはおもしろかった。

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著者プロフィール

工学博士。1996年『すべてがFになる』で第1回メフィスト賞を受賞しデビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、エッセィ、新書も多数刊行。

「2023年 『馬鹿と嘘の弓 Fool Lie Bow』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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