掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集

  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (322ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065119297

感想・レビュー・書評

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  • 最高。古い写真を見ながら、話を聴いていくあの感じ。きちんと整理されているアルバムではなく、バラバラで、大切なのか失敗写真なのかわからないような写真から出てくる話。私の・私こそが、生きた・話し。話しのオチ?そんなもの知るか。と、口を開けてぼやっと待っていると、ピシャっと頬を打たれる。行ってみたいチリ、メキシコ。

  • エッセイのような小説のような。オリジナル版の序文(邦訳では後書きの前に掲載)によると"オートフィクション”というものらしい。ほぼ作者の人生の体験が虚実ないまぜで語られる。幼いころから様々な事情を重ねて生きていた自己をむき出しにした書きぶりが、荒れた素肌に触れてしまっているようで読んでいるこちらが痛みを感じてしまうほどだった。たぶんオリジナルはもっとひりひりする感じなのだろう。訳がとてもこなれていて、痛々しい内容に柔らかさと少し品を与えているように思う。24の掌編中でよかったのは「星と聖人」「喪の仕事」「さあ土曜日だ」。好きな一節は「私の騎手」でERの患者の服を脱がせる大変さを表現したところ-あんまり時間がかかるのでめげそうになった。三ページもかかって女の人の着物を脱がせるミシマの小説みたいだ。(p.66、l.9-10)

  • 「喪の仕事」「さあ土曜日だ」あたりがとくに好き。

  • 24の短編は2頁から長くても20数頁という短さだけど、中身は相当にヘビーで濃い。全編丸ごとがルシアの人生であり、体験に基づく物語だからで、そこには、幼少期の性的虐待、病による身体的不自由による学校でのいじめ、求めながら得られなかった母の愛、抜けられないアルコール依存などが手を変え品を変え描かれる。

    それでも決して陰気にならないのは、どの物語も決して自虐的にならず、笑いを取り込み、卓越した比喩によってなんとも魅力的な文章で描かれているから。
    メキシコの、チリの、砂ぼこりを感じさせる描写、酒を求めて早朝から並ぶ主人公の焦燥感、死への深い洞察、どんなに困難な目に遭っても決して失わないユーモアと強い心。

    中でも好きなのは「喪の仕事」と「あとちょっとだけ」かな~。「ソー・ロング」もいいし、「さあ土曜日だ」もいい。
    枕元に置いて、その日の気分で1作ずつ読みたくなるような作品集でした。

  • 海外文学と相性の悪さ解消できず、なかなか入り込めずむりやりページを繰って終了。お祖父さんの歯の治療だけ面白かった

  • ★4.0
    全24編が収録された短編集。著者の実体験をモチーフにしており、性的虐待やアルコール依存症等、経験したからこそ分かるのだろうと思える描写が多め。中でも、祖母に優遇される妹を妬み、祖父の妹への虐待を傍観する姉の姿がリアル。が、負の感情を描きながらも、不思議と読後感は悪くない。それもこれも、著者が負の感情を肯定し、率直に嫌いと言い切る潔さがあるからだと思う。また、アルコール依存症の女性の酒屋までの冒険が、本来は深刻なはずなのに妙にコミカル。その土地を知らなくても、情景が浮かぶ筆力に頭が下がるばかり。

  • 読みごたえしっかり。
    なんと言うかハードボイルドな短編集だった。
    行ったことのない南米の光景がありありと目の前にひろがる。

    スラム街、上流階級、背中の矯正具、教師、アル中シングルマザー、虐待、死の床の妹。
    普通では考えられないくらい色々な人生経験を積んできた彼女の、ありとあらゆる角度から語られる短編たち。
    まったく違う世界だけど、根底に流れる彼女の視線は常にドライでブレない。

    叔父さんが少年と犬をひき逃げしてしまう話のラストがとてもよかった。

    きっと原典読んだ方が面白いのだろうなと思う。

  • 2019年の日本の海外文学において『掃除婦のための手引き書』はひとつの事件だったように思う。「ルシア・ベルリンって何者?」といった感じで噂が広まっていった。

    モノクロの装丁はクラフト・エヴィング商會なのだが、最初に見たときは女性向けの自己啓発本みたいで(『ニューヨークで夢をかなえるなんちゃら』とか『いくつになっても恋をするなんちゃら』とか)小説には見えないと思った。

    翻訳の岸本佐知子さんも最初はこの写真を表紙に使うことに反対したそうだ。曰く、「美しすぎて著者本人に見えない」、「タバコを持つポージングまで決まりすぎて女優かモデルのようだ」と。
    (写真の撮影クレジットはBuddy Berlinとなっているので元旦那さんか息子さんではないかと思う。)

    ただこの写真はすごく雄弁で、ルシア・ベルリン本人の、ラテンっぽい美しさ、力強さ、まちがいなくモテたであろうセクシーさ、男に対して少しだらしないと思われるふしだらな感じ、人生の苦労がもたらす疲労感など、作品に通じる雰囲気がよく出ている。

    2ページから10ページくらいの短編集なのだが、同じ時代を書いていたり、共通する話もあったりで、一冊まるごとでひとつの小説にもみえる。

    彼女の文章の切れ味、話のおもしろさはリディア・デイヴィスと岸本佐知子さんが言葉をつくしても語りきれない感じなので、ここで繰り返しても意味がない。
    リディア・デイヴィスが「ルシア・ベルリンの文章なら無限に引用しつづけられる」と言うように、どこを切り取っても絵になるかっこよさである。

    以下、引用。

    アーミテージさんはうちの真上の4Cに住んでいた。ある日店で彼女に鍵を渡されて、受け取った。もしもあたしが木曜に来なかったら、それはあたしが死んでるってことだから、わるいけどあんた死体の発見者になってちょうだい、そう彼女は言った。

    トニーは目を開けなかった。他人の苦しみがよくわかるなどと言う人間はみんな阿呆だからだ。

    精神科医たちは〝原光景〟だの〝前エディプス期の喪失体験〟だのをもてはやしすぎて、小学校とクラスの同級生が与えるトラウマには見向きもしない。あれほど残酷で血も涙もない連中はいないというのに。

    サンパブロ通りに似ているからお前が好きだよと、前にターに言われたことがある。

    ターはバークレーのゴミ捨て場に似ていた。あのゴミ捨て場に行くバスがあればいいのに。ニューメキシコが恋しくなると、二人でよくあそこに行った。殺風景で吹きっさらしで、カモメが砂漠のヨタカみたいに舞っている。どっちを向いても、上を見ても、空がある。ゴミのトラックがもうもうと土埃をあげてごとごと過ぎる。灰色の恐竜だ。

    「マギー、おれが行っちまったら、お前どうする?」べつのとき、ロンドンに行く前にもあんたは何度も何度もそう訊いた。
    「レース編みでもするわよ、ばか」
    「おれが行っちまったら、お前どうする?」
    「そんなにあんたなしじゃ生きていけないみたいに見える?」
    「見える」あんたは言った。

    三ページもかかって女の人の着物を脱がせるミシマの小説みたいだ。

    何を言っても、締めくくりは聖書の引用だった。
    「まあ、あの人は考えが足りなさすぎだったわよ、あんな……」
    「まったくだわ。されど彼を仇のごとくせず、兄弟として訓戒せよ」
    「テサロニケの三章!」メイミーが言った。一種のゲームみたいなものだった。

    セックス・アピールの鉄則はね、と彼女はわたしに言った、とにかく一人で動くこと。相手の子が美人とかブスとかの問題じゃない。ただ作戦がややこしくなるし、まどろっこしいのよ。

    母のオフレンダには、ほかにハーシーのチョコレート、ジャック・ダニエル、推理小説、それにこれでもかというほどの一ドル札。睡眠薬、ピストル、ナイフ、これは母がしょっちゅう自殺未遂をやらかしていたから。ただ首吊りの縄はなかった……母が、首吊りはコツ(ハング)がわからないと言ったから。

    死には手引き書がない。どうすればいいのか、何が起こるのか、誰も教えてくれない。

    死が近づくと、人はおのずと自分の一生をふりかえり、あれこれ意味づけをしたり悔やんだりする。わたしもここ何か月か、妹に付き合ってそれをしてきた。わたしたちは長い時間をかけて怒りや憎しみを手放した。いまでは後悔や自責のリストさえ短くなった。残ったのは、わたしたちがまだ失わずに持っているもののリストだ。

    当時のわたしはその言葉を知らなかった。ヘロインと聞いて、何やら素敵なものを連想したーージェーン・エア、ベッキー・シャープ、テス。

    「それに、もしあんたが馬鹿でどうしても結婚するっていうなら、せめて金持ちであんたにぞっこんな男になさいって。『まちがっても愛情で結婚してはだめ。男を愛したりしたら、その人といつもいっしょにいたくなる。喜ばせたり、あれこれしてあげたくなる。そして「どこに行ってたの?」とか「いま何を考えてるの?」とか「あたしのこと愛してる?」とか訊くようになる。しまいに男はあんたを殴りだす。でなきゃタバコを買いに行くと言って、それきり戻ってこない』」

    これはいわば、『風と共に去りぬ』のスカーレットの涙。ママは自分に誓ったの。もう誰にも、二度と、あたしを傷つけさせるものかって。

    あたしたちのほうはママに嫌われてるって思ってたけど、本当はただ怖かったのね。ママは、あたしたちが自分を見捨てた、あたしたちが自分を憎んでるって思ってた。だからあたしたちを馬鹿にしたり皮肉ったりして自分を守った。傷つけられる前に、先にあたしたちを傷つけた。

    ああこれだ、とわたしは思った。わたしは自分が悪くないときに母に自分を信じてほしいだけではなかった。たとえ悪いことをしたときでも、自分に味方してほしかったのだ。

    それからメイミーが読んでいた聖書をぴしゃっと閉じた。
    「おふくろ、ちゃんと読みなおせよ。あんた勘ちがいしてる。もう片方のほっぺたを差し出すってのは、子供を傷つけさせていいって意味じゃねえんだ」

    「文章を書くとき、よく『本当のことを書きなさい』なんて言うでしょ。でもね、ほんとは嘘を書くほうがむずかしいの。」

    「どのくらい酒をやめれば、もう大丈夫って思えるようになるもんなんですか?」とおれは質問してみた。順番が逆よ、と先生は答えた。まず自分はまだ終わりじゃないと自分に言い聞かせる。そうしてはじてめやめられるようになる。

    「オーケイ、白状する。教師をやってる人間なら、誰でも経験あることだと思う。ただ頭がいいとか才能だけじゃない。魂の気高さなのよ。それがある人は、やると心に決めたことはきっと見事にやってみせる」

    スティーヴン・クレーン『オープン・ボート』
    エルモア・レナード

    彼女は自分の生徒に、あなたの書くものは巧すぎると言ったことがあるー巧さを目指してはだめだ、と。

    • りまのさん
      ふぅ、貴女は、素敵な、人ですね。   …リマノより。
      ふぅ、貴女は、素敵な、人ですね。   …リマノより。
      2020/08/21
  • どうしようもなく絶望的で、汚らしくて、ぼろぼろななかで、自分らしく世界を見つめていまを生きている様々な女性たちの物語。

  • 2023.1.10

    小説として面白いのもあるけど、
    刃物みたいな文章が読んでいて楽しい。

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著者プロフィール

1936年アラスカ生まれ。鉱山技師だった父の仕事の関係で幼少期より北米の鉱山町を転々とし、成長期の大半をチリで過ごす。3回の結婚と離婚を経て4人の息子をシングルマザーとして育てながら、学校教師、掃除婦、電話交換手、看護助手などをして働く。いっぽうでアルコール依存症に苦しむ。20代から自身の体験に根ざした小説を書きはじめ、77年に最初の作品集が発表されると、その斬新な「声」により、多くの同時代人作家に衝撃を与える。90年代に入ってサンフランシスコ郡刑務所などで創作を教えるようになり、のちにコロラド大学准教授になる。2004年逝去。レイモンド・カーヴァー、リディア・デイヴィスをはじめ多くの作家に影響を与えながらも、生前は一部にその名を知られるのみであったが、2015年、本書の底本となるA Manual for Cleaning Womenが出版されると同書はたちまちベストセラーとなり、多くの読者に驚きとともに「再発見」された。邦訳書に『掃除婦のための手引き書』(岸本佐知子訳)がある。


「2022年 『すべての月、すべての年 ルシア・ベルリン作品集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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