神とは何か 哲学としてのキリスト教 (講談社現代新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065135037

作品紹介・あらすじ

科学万能の現代に、なぜこのような「時代遅れ」の問いが発せられなければならないのか? だがしかし、本当に、 「神」の問題は哲学的にはすでに解決済みなのか? 人間存在の根源に迫る、齢90の碩学からの、近代人への挑戦状。

感想・レビュー・書評

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  • タイトルから、キリスト教神学に関心のある人向けの内容を想像されるかもしれない。「神とは何か」という探究は、単なる知識ではなく、近代人が忘れている「知恵」の探求を必要とする事柄であり、人間が自己を確立して生きるには「知恵」とともに生きるべき存在であると、本書を読んで改めて感じた。
    本書のキーワードとして、「知識と知恵」「知的視力をもたらす『光』」「内在的超越」「神のリアリティ回復」「自由意思」「尊厳」などを挙げたいと思う。

    ・序章:「神とは何か」という問いを巡って
    ・第一章:なぜ形而上学か
    ・第二章:無神論とどう向き合うか
    ・第三章:知識と知恵
    ・第四章:自己から神へ

    ここまでは、著者も自ら示しているように、「神とは何かと問うこと」つまり知的探究についての設定について述べている。ここまでに多く言及されているのがアリストテレスでありトマス・アキナス。
    僕にとっては、アリストテレスを通じてロジックの組立はなんとなく理解していたこともあり、それほど違和感なく読み進められた。

    ・第五章:「一」なる神
    ・第六章:「三・一なる神」から「人となった神」へ
    ・第七章:キリストとは何者か

    ここから急激にキリスト教神学の世界に入っていく。信者ではない人間には聞き慣れない言葉が頻出し、しかも真理そのものに対して「謙遜」「従順」と、知的探究に求められるものとは異質な、いわば態度を求められると受け入れるのが困難になる。特に第六章の議論は私には理解しがたいところが多かった。しかし、ここが踏ん張りどころかもしれない。

    ・おわりに:人間の尊厳のためにー「神と魂を知りたい」

    この本が、数多あるキリスト教神学の解説と大きく異なるのが、この章の内容。尊厳という、近代人にとってなじみ深い概念と神の存在の関わりについて、鮮やかに切り取っている。

  • あくまでも、キリスト者がキリスト教内からキリスト教と神を哲学的に考察した本、だと思う。著者の当たり前が私の当たり前とかなり違うので哲学書として受け止めることが出来ず、信仰告白のような印象が強かった。それを否定しようとは思わないし尊重はするが。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/729353

  • トマス研究の泰斗として知られる著者が、「神とは何か」という問題について、「哲学を素地として誰にでも解る平易な言葉で」語ることを試みた本です。

    こうしたもくろみにのっとって書かれた本なので、著者は随所で「神とは何か」という問いそのものに意味を見いだしがたいと素朴に考える読者に対する注釈を交えつつ、なぜ「神とは何か」と問うべきなのかを説明しています。そうした著者の姿勢には好感をもちますが、けっきょくのところそのような疑問をいだく読者を説得することに成功しているかといえば、疑問符をつけざるをえないように感じます。

    著者はまず、デカルトにはじまる近代以降の哲学が、経験と理性にもとづく「知識」を求めることにのみ邁進する知的伝統をかたちづくっていることを指摘し、そのような限定された問題設定からはずれてしまう、「知恵」にかかわる形而上学的な問題領域が存在することを説明しています。そのうえで、こうした形而上学的な探求は、経験と理性のみに依拠することによっては果たしえず、信仰の光にみちびかれつつおこなわれなければならないという立場が打ち出されています。

    ここまでは、宗教哲学的な考えとしてある程度理解できるのですが、その後著者は神の「一」性や「無からの創造」、「三位一体」といったキリスト教の教義にもとづく議論を紹介し、その哲学的意義を明らかにしようと試みています。ただ、どうしてもキリスト教の教義を前提にしており、ドグマティックな印象をぬぐいきれません。また、滝沢克己の「インマヌエルの原事実」についての理解を「観念的承認」すなわち「教養や学識のある人が聖書を熱心に学んで、自らがそれに基づいて生きるべき自覚的信念として形成した信仰」だと批判しているところに、そうした疑問を強く感じました。

  • 著者はカトリックの司祭でトマス・アクイナス研究の第一人者である。本書では現代日本において、中世哲学を学ぶ意義について語っているように感じた。一般向けの新書としてこういう本が出たということ自体が興味深い。個人的にはかなりの知的刺激を受けた。特にカントやデカルトへの批判は共感するものがあった。ネットにあるいくつかの感想を見ると、”神の存在証明をする本”という勘違いをして、憤慨されているキリスト教嫌いな読者が多いようで、そこがとても残念。

  • 信仰ありきですからね。
    困ったものです。
    信じない者は門前払いです。

  • 某所読書会課題図書.題名の特異さと解明のアプローチに興味があり、内容の難しさを克服する意味で頭が冴えている朝に取り組んだ.気になった語句を列挙する.知的視力、知識と知恵、真理、無神論(排除論、無用論)、科学主義的信仰、閑暇、観想、根元的経験主義、観念の道、物心二元論、無からの創造、神に固有の業(創造と救済)、受肉の神秘、観念的信仰・現実的信仰、謙遜と従順、自己認識、などなど.結論としては、次の語句が心に触れた."「神」探求の最終段階は「人となった神」キリストを学ぶこと"

  • 東2法経図・6F開架:B1/2/2514/K

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著者プロフィール

稲垣良典(いながき・りょうすけ)
一九二八年生まれ。中世哲学。東京大学文学部哲学科卒業。アメリカ・カトリック大学大学院(哲学)M.A.、Ph.D取得。ハーバード大学法学部研究員。南山大学、九州大学、福岡女学院大学、長崎純心大学大学院教授などを歴任。著書『現代カトリシズムの思想』(岩波新書、一九七一年)、『トマス・アクィナス「神学大全」』(講談社選書メチエ、二〇〇九年)、『カトリック入門』(ちくま新書、二〇一六年)、『トマス・アクィナス哲学の研究』(創文社、一九七〇年)、『習慣の哲学』(創文社、一九八一年)、『抽象と直観』(創文社、一九九〇年)、『神学的言語の研究』(創文社、二〇〇〇年)、『人格〈ペルソナ〉の研究』(創文社、二〇一〇年)、トマス・アクィナス『神学大全』翻訳(創文社、一九七七~二〇一二年)で毎日出版文化省受賞、『トマス・アクィナスの神学』(創文社、二〇一三年)、『トマス・アクィナス「存在(エッセ)」の形而上学』(春秋社、二〇一三年)で和辻哲郎文化賞受賞。

「2017年 『nyx 第4号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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