いやでも数学が面白くなる 「勝利の方程式」は解けるのか? (ブルーバックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065154878

作品紹介・あらすじ

人類史上最大の発明は「数学」である! 円周率や無理数との出会い、ゼロの発見など、エピソード満載で語る新しい数学入門。

感想・レビュー・書評

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    志村史夫
    (しむら・ふみお)

    1948年、東京・駒込生まれ。工学博士(名古屋大学・応用物理)。日本電気中央研究所、モンサント・セントルイス研究所、ノースカロライナ州立大学教授(Tenure:終身在職権付)、静岡理工科大学教授を経て、静岡理工科大学名誉教授。応用物理学会フェロー・終身会員、日本文藝家協会会員。日本とアメリカで長らく半導体結晶などの研究に従事したが、現在は古代文明、自然哲学、基礎物理学、生物機能などに興味を拡げている。物理学、半導体関係の専門書、教科書のほかに『いやでも物理が面白くなる〈新版〉』『古代日本の超技術』『古代世界の超技術』『人間と科学・技術』『アインシュタイン丸かじり』『漱石と寅彦』『「ハイテク」な歴史建築』『日本人の誇り「武士道」の教え』『文系? 理系?』などの一般向け著書も多数ある。


    ここで,「ちょっと休憩」のつもりで数学から少し離れ,日常生活のさまざまな事象や問題を“座標”を使って表現してみると,それらの本質を視覚的にとらえることができるという話をしました。

    そして私は,そのような「ものさし」を体得するために大いに役立つのが,物理的,数学的な素養と考え方だと思っている。私は,ストレスの元凶の一つが嫉妬であり,嫉妬は人間が持つ最悪な性質の一つであるととらえているが,嫉妬の気持ちが湧くのは 自分と他人とを比較する からである。私は日々, 自分と他人とを比較しない ことを心がけているが,そのために,自分自身の確固たる基盤となる「ものさし」を持つことが肝要なのです。

    ところで,私は夏目漱石の熱狂的なファンで(拙著『漱石と寅彦』牧野出版,2008参照),小説は繰り返し,何度も読んでいる。いちばん好きなのは,やはり『吾輩は猫である』で,この中に,愛弟子の物理学者・寺田寅彦(1878~1935)がモデルである“ 寒月 君”が登場する次のような場面がある。  寒月君は 夫 とも知らず座敷で妙な事を話して居る。 「先生障子を張り 易 へましたね。誰が張つたんです」 「女が張つたんだ。よく張れて居るだらう」 「えゝ中々うまい。あの時々 御出 になる御嬢さんが御張りになつたんですか」 「うんあれも手伝つたのさ。 此 位 障子が張れゝば嫁に行く資格はあると云つて威張つてるぜ」 「へえ,成程」と云ひながら寒月君障子を見詰めて居る。 「こつちの方は 平 ですが,右の端は紙が余つて波が出来て居ますね」 「あすこが張りたての所で, 尤も経験の乏しい時に出来 上 つた所さ」 「なる程,少し 御 手際 が落ちますね。あの表面は超絶的曲線で到底普通のファンクシヨンではあらはせないです」と,理学者 丈 に 六 づかしい事を云ふと,主人は 「さうさね」と好い加減な挨拶をした。  ここに「超絶的曲線」なるファンクション(関数)が登場している。この「超絶的曲線」というのは,三角関数や対数関数など,代数関数以外の関数(超越関数)がなければ表すことができない曲線のことであるが,障子の表面がしわになって,複雑にうねっているようすを理学士・寒月君らしく表現したものである。本書の中には,超越関数のような“六づかしい”関数は出てこないので,ご安心ください。

    などなど,“関数関係”にある事象はいくらでも見つかる。むしろ,自然現象や社会現象,日常生活においては,関数関係にないもののほうが少ないだろう。

     本書の「はじめに」で,数学(“数”の学問)が「自然」を理解するうえできわめて有力な「外国語」であると述べた。しかし,“数”というものが,自然界に存在するわけではない。数学という「言語」も,すべての言語と同様に,百パーセント人間によって創られたものです。

    ひと口に“科学”といっても,自然科学のほかに社会科学や人文科学があり,数学はいずれの科学においても重要な役割を果たしている(だから,「文系の人」にも数学は必要である!)。本書がここで考えるのは,自然界の法則や真理を秩序立てた知識,そしてそれを追求する自然科学です。

    数学の分野でも物理学の分野でも,“有名な方程式”はいくつも存在する。しかし,数学や物理学には縁のない一般の人にも最もよく知られた方程式といえば,やはり,アインシュタインの「 E = mc 2」だろう。日本の大学のショップではあまり見かけないが,私が知る限り,欧米のほとんどの大学で E = mc 2 とアインシュタインの顔がプリントされたTシャツが売られています。

    数学の真髄は,なんといっても“物事を一般化して考える”ことであり,特定の具体的な数の代わりに,文字を使った文字式で物事を一般化して表現するのです。

    数学でも物理でも,学校で習うどんな教科にもいえることだが,それらを勉強した成果を,その教科内にとどめておく,もっと味気なくいえば,試験のためだけにしておくのはまことにもったいない話である。さまざまな教科から「広く人生に役立つようなさまざまな考え方」を学びとってほしいと思う。だから,“丸暗記”は試験には役立つかもしれないが,現実の人生にはほとんど意味がないのである。方程式の未知数は,「広く人生に役立つようなさまざまな考え方」の中の最たるものの一つだろう。

    算数と数学を比べた場合,一般的な印象としては「数学のほうが難しい」だろう。  両者の違いはすでに述べたように,算数では文字式や方程式が使えないが,数学ではこれらを使える点にある。以下,同じ文章問題を算数と数学で解いてみて,両者の違いを実感していただきます。

    たとえば,図3‐11は ある 集団(総勢144人)における各員の ある 実績を0~10にポイント化してグラフで表したものである。「ポイント0」は「業績ゼロ」,「ポイント10」は「最高業績」ということにしよう。  この図3‐11のような分布は一般に「山型分布」とよばれるが,試験の点数や運動能力,個人の収入,身長や体重など,一般社会にも自然界にも普通に見られる分布である。  0~10の各ポイントごとの度数(人数)を掛けたものをすべて加えて(10×2+9×10+8×18+…),それを144(人)で割れば平均値が求められる。図3‐11に示されるデータから求められる平均値は,5.5である。  自身のポイントと,この平均値(5.5)とを比較すれば,自分がこの集団の中で“優等”に属するのか,“劣等”に属するのかがよくわかる(もちろん,この場合の「優等」「劣等」は,「 ある 分野の業績」という観点からのみのことである)。たとえば,企業で「売り上げ」を重視する営業課の人事考課をする立場の人や,試験結果から優・良・可・不可の成績をつける立場の人(私もかつて,大学で長いあいだそういう立場にあった)は,図3‐11のようなデータを参考にするのが一般的です。

    また,たとえば,ある新商品の大きさを決める際,その大きさをポイント化して,どのような大きさが好まれるかを市場調査した結果,125人から回答が得られ,そのデータから上記の方法で平均値を求めたところ,5.7という数値が得られたとしよう。単純に考えれば,ポイントが5~6に相当する大きさの商品をつくれば,いちばん無難な気がする。  しかし,この市場調査の結果の分布は,じつは図3‐12のような「谷型分布」だった。つまり,平均値を重視して,大きさが5~6の商品をつくったら,最も売れないという結果が見えてくる。  たしかに,「平均値」は「ある数値」あるいは「自分」が全体の中でどのような位置を占めるかを知る目安にはなるのだが,図3‐12のような分布から得られる「平均値」は, ある意味では危険な「平均値」である。「平均」を過度に信用するわけにはいきません。

    最後にもう一つ, 曲者の平均値 の代表例として「平均年収」の話をしよう。  ある100人の集団の「平均年収」を調べたところ,「平均」が1970万円だった。Aさんの年収は1000万円なので,いつも「世間的にいえば,自分の収入はかなりいいほうだ」(事実「そう」だろう)と,本人も家族も年収に関しては満足の毎日を送っていた。ところが,この調査結果を知って,当人も家族(多分,奥さん)も,「えっ! 100人の平均年収が1970万円!? なんだ,ウチは平均以下だったのか!」と 愕然 とした(じつは,このようなときに愕然としないためにも,2‐1節で述べた「 自分と他人とを比較しない こと」が大切なのです。

    この例のように,ほんの一握りの人が超高額な年収を得ているような場合,「平均値」は実態(平均的な値)と掛け離れたものになってしまうので注意が必要です。

    余談だが,私が昔,ドイツへいったときに出合い,「さすがドイツだなあ,数学者が紙幣のデザインに使われるんだ!」と感心した紙幣(いまでも大切に持っている)を図3‐17に示す。その10ドイツ・マルク紙幣には,同国を代表する数学者であるガウス(1777~1855)と正規分布(ガウス分布),そしてガウス関数 が描かれています。

    微分・積分は,学校で習う数学の“スター”です。

    その微分・積分は,理工系の各分野ではいうまでもなく,たとえば経済学で市場動向を理解する場合や,社会学におけるさまざまな情報の統計処理のような場合にも必要である。そして,微分・積分の考え方は日常生活においてもまた,大いに役立つものでもあります。

    しかし,一歩一歩筋道立てて考えていけば,微分・積分は決して難しくないし,わかりにくいものでもない。むしろ,とても面白く,数学そのものに対する興味を拡げてくれる存在ですらあります。

    数学に限らず,どのような学問においても,“意味を考える”ことはきわめて重要である。特に数学においては,“意味”を無視して,むやみに事項を暗記しても面白くないし,そのような暗記に意味があるとも思えない。学校での数学がなぜ面白くなかったのか,思い出してみてください。

    「“大きさ”を持たない架空の点などどこにあるんだ!」と憤慨されそうだが,じつは,“大きさを持たない架空の点”は,数学においてのみならず,物理学の世界でもしばしば登場する。そしてじつは,特に説明はしなかったものの,本書でもすでに登場している。第3章で,「物体の落下」について考えた箇所である。いうまでもなく,あらゆる物体は“大きさ”を持つが,その“大きさ”を無視して,物体を“質量( m)”に置き換えて話を進めたのです。

    グラフ上では,図4‐7のように,各点の接線の傾きが各点の正確な速さを示しているのだった。それを数学的に見出そうとする手法が,微分法なのである。  このような微分法の考え方が,“速さ”以外にもさまざまな経済的,社会的現象(たとえば後述する消費電力量の時間的変化など)に適用できることはすでに述べた通りである。また,日常生活においても,一見複雑に思えるような事柄でも,それを分割した要素で考えてみると意外に簡単に解決策が見つかることが少なくない。「分割の思想」は,3‐2節で述べた「因数分解」と共通する考え方といってもよいだろう。

    さて,式(4. 9)によって, ある 値が求まるのだが,その ある 値を「極限値」とよび,極限値を求める計算を「極限計算」という。図4‐6と式(4. 9)の意味を考えれば理解できると思うが,このような極限計算によって,任意の点における“傾き”が求められるのである。  いま述べたように,数学嫌いになるきっかけの一つがこの,極限計算にあるようである。極限計算は決して難しいものではないが, という記号自体になんとなく違和感を覚えるのだろうか。以下,その違和感を払拭するために,具体的な関数について極限計算をしてみよう。

    何度も繰り返しているように,微分・積分に限らず,数学の面白さを味わいつつ,数学を学ぶうえで最も大切なことは,その“意味”を論理的に考えることである。そのことが,結果的に,単に「数学」の域を超えて,豊かで,充実した人生を送るうえでの有力な道具を構築する過程となるからです。

    もちろん,現実的な日常生活の中で,私たちが「数学」に直接的に接することはほとんどないが,ものごとを「筋道立てて考える」「論理的に考える」ことは,日常生活を送るうえでも仕事を進めるうえでも,きわめて重要であり,満足できる結果を得るために大いに役立つものである。  しかし,何事も面白くなければ,楽しくなければ長続きしない。本書中でも述べたように,「数学」は筋道立てて,一歩一歩進んでいく努力さえすれば,それほど難しいものでも,面白くないものでもないのである。そして,「数学」は,そのような努力を通じてこそいっそう興味深いものになっていく奥の深いものだと思います。

  • 数学を今まで具体的な社会の現象で例えたり、考えたりしていなかった場合には、とても興味深い内容となるだろう。

  • まだ難しかった。

  • 【文章】
    読み易い
    【ハマり】
     ★★★・・
    【共感度】
     ★★★・・
    【気付き】
     ★★★・・

    標準偏差の説明などで、「数学的に扱いやすいから」と説明が端折られているところがあり、物足りなさを感じてしまう。

  • ふむ

  • 請求記号 410.4/Sh 56/2092

  • 「数学」は人類史上最大の発明だ!「ゼロの発見」はなぜ、画期的だったのか?座標の発明に貢献した意外な生きものとは?微分・積分が最速で理解できる、いちばん簡単な考え方は?「ビジネス上の決断」や「人生の選択」で役立つ数学的思考法があった!そして意外にも、算数よりずっとやさしい!?おどろきのエピソード満載で語る、誰でも楽しめる「超」入門書。

  • グラフの使い方から微分・積分の考え方まで、なぜそうなるのかをひとつずつ分かりやすく学べます。個人的には、極限の考え方を通して微分の復習ができた点が良かった。

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著者プロフィール

志村史夫(しむら・ふみお)

1948年、東京・駒込生まれ。工学博士(名古屋大学・応用物理)。日本電気中央研究所、モンサント・セントルイス研究所、ノースカロライナ州立大学教授(Tenure:終身在職権付)、静岡理工科大学教授を経て、静岡理工科大学名誉教授。応用物理学会フェロー・終身会員、日本文藝家協会会員。日本とアメリカで長らく半導体結晶などの研究に従事したが、現在は古代文明、自然哲学、基礎物理学、生物機能などに興味を拡げている。物理学、半導体関係の専門書、教科書のほかに『いやでも物理が面白くなる〈新版〉』『古代日本の超技術』『古代世界の超技術』『人間と科学・技術』『アインシュタイン丸かじり』『漱石と寅彦』『「ハイテク」な歴史建築』『日本人の誇り「武士道」の教え』『文系? 理系?』などの一般向け著書も多数ある。

「2019年 『いやでも数学が面白くなる 「勝利の方程式」は解けるのか?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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