- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065184400
作品紹介・あらすじ
敵艦への体当たり攻撃で還らぬ人となった20代以下の若者たち。彼ら特攻兵は何を思い、亡くなっていったのか。その現実に迫る一冊。
感想・レビュー・書評
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特攻とは何だったのか。命令ではなく自主的自発的な意思に基づきというのは既に半ば否定されるべきではあるが、当時の世相、軍の命令絶対服従的な空気の中、直接的に指示せずともやらざるを得ない兵士たちを取りまく空気感。
日本は太平洋戦争で各地の島嶼部を次々と米軍に奪われ敗戦への道を突き進む。そのような中で既に昭和天皇を初め軍の上層部にはどのように戦争を終結させるかの議論が巻き起こる。むざむざと降伏するくらいなら、敵に最後の一撃を加えて後、有利に交渉を進めるという考え方自体が、現実との乖離をよく表している。科学技術や物量に於いて圧倒的に劣性の日本が精神力と気迫だけで果たして100倍の敵を屠る事など出来たものか。特攻に向かう若者の中には飛行操縦を短期間に習得できる頭脳明晰な若者が沢山いた。彼らは自分たちの死がその後の日本にどう影響するか、また一時的な戦局にどれほど軽微な影響しかもたらせないか、多くは理解できていたであろう。そのような中で飛び立つ気持ちを現代の我々が理解することは不可能だ。だからそこにあるリアル(現実)を追求する事に価値はあるだろう。だが答えなどは存在せず、1人の人間が爆弾として十死零生の空へと飛び立つ際の気持ちはそれぞれ持っていたはずである。世の中の情勢、個人の遺書やインタビューから見えてくる言葉、そして統率の外道と認識しながら推し進めていく人々。様々な観点から総合的に俯瞰的に「死にゆく彼らの」心の中を想像する事は可能だ。いや寧ろ戦争を知らない今の人々がそれをする事には大いに意味があるのではないかと思う。自ら命を断つ若者たち、テレビ映像で目にするウクライナやパレスチナの人々を見て傷ましく思う人々、残虐シーンが多いゲームや映画を観て楽しむ子供達。
我々が知るべきは表面的な事実よりも、実際そこにいた(いる)当事者の気持ちではないだろうか。そして命を賭した彼らを忘れる事なく、今の日本がある事、自分たちが多少の不自由があっても暮らせている現実に感謝することではないだろうか。他人と分かち合い理解し合い、手を取り合って今を懸命に生きる事の大切さと意味を教えてくれる本。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。 (スターツ出版文庫)を読んで、特攻隊についてもっと詳しく知りたいと思いました。
小さなマスコットを心の拠り所にして飛び立っていった若い命。
平和な時代に生まれ変わって人生をやり直して欲しい‼︎ -
やっぱり特攻は虚しい
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特攻隊員や日本軍上層部、はたまたマスコミや国民の世論などが当時どう変遷していったのかについてまとめられている。
結局、特攻は最初期にアメリカに対策を取られ、ほぼ効果のない作戦となってしまった。
そうした現実を直視しようとせず、特攻を繰り返させたのは軍の上層部だけではなく、日本国民全員の責任である。
こういう過去の事例から、日本人は現実を直視することや論理的思考を学ばなければいけないのに未だに学べず、コロナ禍では全く意味のない対策をまさしく一億総火の玉になって邁進してしまった。
海外では最早コロナなど過去の遺物になってしまったあとも懲りずに一億総火の玉と化して同調圧力のもと、マスク警察、飲み会警察、ワクチン警察に政府、マスコミ、国民が一丸となってしまった事実には総括が必要だと思われます。
このままでは日本が成長をするはずもなく、衰退する一方で、そのうち先進国から脱落するでしょう。 -
★4.0
1944年から敗戦まで続けられた、敵艦隊への体当たり戦法・特攻。本書では、特攻隊員の現実を描いた第一部、一般国民から見た特攻を描いた第二部と、内側からと外側からの視点で綴られる。当然ながら前者は、彼らが残した遺書や日記から紐解かれることになる。それらを目にして感じるのは、前向きな言葉の裏に隠された諦観。勿論、本当に前向きなまま逝った人もいるだろうけれど、彼らの未来が絶たれたことが本当に残念。そして、特攻隊員を神と崇めていたのに、戦後に手の平を返す様が悲しい。が、何よりも上層部の責任逃れに呆れる。 -
東2法経図・6F開架:B1/2/2557/K