- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065198957
作品紹介・あらすじ
江戸時代の大坂と言えば「天下の台所」、つまりは町人の都というイメージが強いだろう。司馬遼太郎は、幕府直轄の武士はわずか二百人と述べている。しかし、江戸時代のはじめからおわりまで、一貫して大坂は「武士の町」だったのだ!
大坂に武士はほんとうは何人いたのか?
武士たちはどうやって大坂の生活を楽しんでいたのか?
大坂城はどんな構造だったのか?
奉行所では何が行われていたのか?
大塩平八郎はなぜ決起したのか?
なぜ「大坂は町人の町」という言説が生まれたのか?
「武鑑」や、大坂町奉行所の絵図面、代官たちの日記、幕府にのこされた数々の文書など、数多くの史料を駆使して、大坂という町で、いかに武士が生き、歴史を動かしていたのかに光をあてる快心作。
感想・レビュー・書評
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大阪商業大学であったシンポジウムで、藪田貫氏の講演で知った本が「武士の町 大坂」でした。
彼が、この本を書こうと構想を抱いた後、平成8年大阪文化情報センターでの講演の後、与力の家系のご婦人から、『大阪ではいつも「町人の町」といわれ、肩身の狭い思いをしてきました。今日、はじめて、自分の家に自信がついた気がします』と言われ、当該書物を著すきかっけとなったと書いておられる。
実は、私の家の菩提寺も北区同心にあり、近くの川崎東照宮があり、造幣局は、与力屋敷を壊した後に検察されたものだと知りました。
明治政府が徳川時代の武士社会を消すため、採った政策の結果が「町人の町」大阪だったという藪田の仮説ではあるが、そうかなと思ったこの本を読んだ感想です。
ということで、藪田さんの本をもう少し読んでいくことにします(笑)。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/768816 -
大坂の武鑑類や赴任した武士の日記など史料を基に大阪での武士たちの姿を見ていく中で、「町人の都」の言説について考える書。今までなかなか見えていなかった徳川期の大坂における武士を考えるうえで貴重な本だと思う。
個人的には、関連史料にどんなものがあるかを知ることができただけでもありがたい。それらを見ていく中で、うちの先祖の大坂城代家臣としての役職がわかる史料がいくつか見つかり、先祖の事績確認がまた少し進んだ。