中国の歴史6 絢爛たる世界帝国 隋唐時代 (講談社学術文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (472ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065219072

作品紹介・あらすじ

講談社創業100周年企画「中国の歴史・全12巻」の学術文庫版。第3回配本、第5巻と同時発売の第6巻は、古代東アジアに君臨した隋唐帝国の興亡史。
後漢末以来、400年にわたった分裂は、589年、隋によって統一された。2代皇帝・煬帝は大運河を開鑿するなど強権を発動したが、高句麗遠征に失敗して求心力を失う。煬帝の死後、3代恭帝から禅譲された李淵は唐王朝を樹立。2代太宗は、均田制・租庸調・府兵制を中心とする律令体制によって国力を充実させ、国際都市・長安を中心とする当時世界最高の文明国を現出させた。唐は一時、中国史上唯一の女帝・則天武后の周朝により中断するが、第6代玄宗により中興を果たすと、唐詩の李白・杜甫、書の顔真卿らを輩出して文化面でも繁栄を極めた。しかし、8世紀半ば、突厥の母とソグドの父を持つ安禄山の反乱、さらに9世紀後半の黄巣の乱へと混乱の度を加え、907年、朱全忠の簒奪により唐王朝は滅亡する。
シルクロードと都市の発展、女性たちの進出、日本からの遣唐使と円仁の求法の旅、朝鮮・ウイグル・チベットなど周辺諸国の動向もまじえ、世界帝国の300年を鮮やかに描き出す。
〔原本:2005年6月、講談社刊〕

感想・レビュー・書評

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  • 2021/4/11読了
    秦漢と同じく、抜本的構造改革の先鞭を付けた短命王朝とその遺産を受け継いだ長命王朝の組み合わせである隋唐。唐は律令制の産みの親ながら、ガチガチの法体系で縛られていた訳でもなく、一定の緩さがあったが為に則天武后のような女傑の台頭を許した、という指摘に納得。

  • 唐の太宗が漢民族の皇帝(天子)と諸民族の上に立つ天可汗を初めて兼ねた君長になったと記されているが、それは隋唐が北方民族と親和関係にあったことを感じさせられる。
    則天武后がクーデタで、失脚・幽閉され、唐朝復活後も唐の中宗が頼りなく、妻・韋后娘の安楽公主、上官婉児という女、さらに中宗の妹の太平公主などが武后と同様に権勢欲のかたまりで、跋扈したとの説明には笑えた。唐初の任瓌という猛将の妻の強さの前にたじたじの逸話も楽しい。唐朝が彼らたくましい女性たちの存在を許容する北方遊牧民族的気風が持ち込まれた鮮卑北族系色を濃くもった王朝という説明、倫理観よりも文学的教養を重視する貴族的時代性の説明は納得。唐代は皇后が空位の時期が4分の3を占めるということにもつながるように思う。宋代からの女性の地位を考えると驚きである。
    節度使が唐を分裂状態に追いやっていた印象があったが、むしろ唐の統制に服する人たちも多く、彼らが宰相として中央政界に進出することなどが、唐が長く存続した理由でもあったとは意外。唐文化の諸相 正史の編纂や史館の成立などにみられた太宗の歴史への意気込みは、唐を中国史上にどう正当に位 置づけるか、そこに彼の主たる関心があり、『晋書』の編纂に特にに力をいれていた。唐としての教訓を得ることにあったとは流石に太宗は凄い人物だと思った。隋唐は貴族の時代、そして宋からは科挙官僚の時代になっていく。日本の平安時代からの転換と正に重なると感じた!

  •  隋唐時代はあまり面白くないイメージがあったのですが、とても面白かった。広大な帝国を統べる強大な皇帝がいて、絶大な権限を奮っていたのだろうと思っていたのは違っていました。
     春秋戦国時代を終わらせて、南朝の陳を滅亡させ中国全土を統一した初代皇帝(文帝)は、14歳年下の皇后に頭が上がらず、後宮には数千人の美人が揃っているのに手をつけることができなかった。一度お手つきした奴婢は皇后によって虐殺された。
     唐になっても、歴代皇帝は皇后に手を焼くことになる。則天武后なんて太宗の後宮にいたのだから、太宗の没後は大人しくしてるべきなのに、年下の息子高宗をたぶらかせ、その皇后を押し退け、自分が皇后になり気弱な高宗に代わって全てを取り仕切る。高宗の没後は皇帝に即位してしまうのだから凄い。
     さらに中宗の韋皇后も旦那そっちのけで、娘と共謀して旦那や息子を殺して権力を奪おうとするのだから凄まじい。この「武韋の禍」を解決し党の最盛期を築いた玄宗だって、晩年いい歳こいて楊貴妃に入れ上げて安禄山に長安を奪われ、まるでアフガニスタンの大統領のように都を逃げ出す。

     男性はどんだけ女性に弱いか
     女性はどこまで暴走するか
     どんなに成功した人でも最後まで立派で貫けない

    様々な教訓が隋唐時代にはありました。

  • KY2a

  • 前半で隋建国から唐滅亡までの通史、後半で様々な視点からの社会の諸相、周辺国との関わりといった幅広い内容で、時代の理解を深めるにはうってつけの内容。懐の深い時代だったと感じさせられる。

  • 隋唐帝国盛衰の経緯、国情、文化、周辺地域との関わり等々をテーマ毎に解説した、この時代を包括的に知るのに適した一冊。遊牧民ならではの婚姻慣習と女性の強さ、民族や宗教への寛容など、人類史有数の大帝国の特徴を俯瞰するのは、泥沼の戦乱期を眺めるより、一種の心地良さがあった。内陸部長安を拠点とした最後の統一王朝で、制度として科挙を導入した事からも、中世への橋渡し的役割も担っており、マクロな視点で見る唐代は、今日の中国を宋代の後継と見る時、さらに意味あるものとして映った。

  • 唐内部の政権抗争の激しさに対して、文化や社会制度のレベルの高さ。日本などは、長らく唐の社会制度がお手本になっていたようなレベルに対して、朝廷の内紛の非道さはどう感ずればいいのか。
    日本は天皇制を維持することに対して、反面教師として見ていたのか。

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著者プロフィール

明治大学東アジア石刻文物研究所所長。

「2021年 『中国史書入門 現代語訳 北斉書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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