「正しい戦争」は本当にあるのか (講談社+α新書)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065285763

作品紹介・あらすじ

「ぼくは抽象論が嫌いなんですよ」ーーそう宣言して、「戦争と平和」について論じた名著を、新書版として復刊。
経済のグローバリゼーションによって世界中のサプライチェーンがつながったことで、大規模な戦争が「不合理」なものと思われていたいま、なぜロシアは侵略を開始したのか。
独裁的な指導者ひとりの個性や、権力への渇望だけでは説明できない戦争の深層を語りつくす。
もはやあと戻りできない歴史の転換点に立ち、日本最高の知性の一人が洞察する。

「核は使えない兵器ではなく、大規模な兵器に過ぎません」
「〈力〉から〈民族〉へ、〈民族〉から〈デモクラシー〉へという流れが、まさに新しい対立を作っている」
「政治でも経済でも、お金持ちのグローバリズム、貧乏人のナショナリズム」
「東西の緊張が高まるとヨーロッパは戦場になっちゃう」
「米ソが同じ側にいるってことは、地域紛争に大兵力を駆使できるってことです」
「冷戦が終わったことじゃなくて、こういう終わり方をしたことがあとあと尾を引いた」
「小規模で短期の戦争を伴うと、戦争という行動は合理的なんだというふうに考えられちゃう」
「自由主義っていうのはヘタをすれば戦争抑制どころか、これまで以上に強い軍隊を生み出した」
「自分たちが侵略されてもいないときの軍事行動は、単純に侵略戦争以外のなにものでもない」
「平和はお題目じゃない。必要なのは祈る平和じゃなくて、作る平和です」

感想・レビュー・書評

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  • ●国際政治において戦争が必要になる場面がないとは言えないが、必要性のない戦争は戦争犯罪そのものであり、ただ犠牲を招くだけだ。アフガニスタン介入、イラク介入もいらない戦争であるように思われた。
    ●戦争の捉え方は3つ①悪い奴が戦争を起こすので戦争を起こそうとするような政府は取り除かなければならない。②どの政府も自分たちの欲望や利益を最大にしようとして行動している。お互いに脅しあっている状態が国際関係。この場合戦争には良いも悪いもない。政策の1つである。③武器よさらば。武器がある限り戦争は起こってしまうから武力の保持そのものを禁止しよう。憲法9条。
    ●戦争を否定する論理。経済の拡大による戦争の陳腐化と、市民の政府による戦争の制限って言う、非戦の論理が生まれる。
    ●悪い政府をつぶしてしまうとなるととてもお金がかかる。放って置かれる戦争と介入する戦争の間にとんでもない不公平とギャップが生まれてしまう。新聞やテレビで報道されない侵略なんて、世界中にたくさんあるってこと。
    ●暴力を正当化するために誰もが「正義」って言ってきたわけですよ。とてもじゃないけど簡単に信用できるものじゃありません。

  • まさにこのタイトル通り、「正しい戦争はあるのか」「喧嘩は許されないのになぜ戦争は許されるのか」というようなことを考えたい人には、うってつけの本である。

  • 藤原 帰一さんは、日本の政治学者で、専門は国際政治学・比較政治学。朝日新聞夕刊に月一で「時事小言」が連載されており、以前から鋭い視点で国際情勢を捉えている方だなと思っていたが、その藤原さんの書籍で、しかもタイトルが『「正しい戦争」は本当にあるのか』と、今般ロシアがウクライナに侵攻・侵略している時勢にマッチしていることから、興味が湧き手にした。
    どの戦争が誤りで、どの戦争が必要なのか?正しい戦争は本当にあるのか?は、非常に難しい問いだ。明確な回答は示されてはいないが、我々がどう考えるべきかを、歴史の中における成功や失敗の事例を挙げながら、より平和な国であるべき方向に導いてくれる書だと感じた。

    まえがき
    冷戦後、9.11同時多発テロは西側優位の軍事秩序を揺るがし、中ロが米国への対抗軸へと反転。2010年以降はロシアによるクリミア併合、シリア内戦介入と自由世界の下の安定に代わって権力政治が展開されるようになる。国内政治に目を向けると、ポピュリズムへの傾斜が表れ、民主主義は世界を結びつける原則ではなく、自国優位の状況を作り出す基礎となっていった。
    平和はどのようにつくり、支えるのか?武器を一掃すればよいのか?軍事力で脅せば平和をつくれるというのか?しかし侵略を前にした平和主義は役に立たず、抑止に頼っても抑止が破綻する可能性は無視できない。

    1.正しい戦争は本当にあるのか
    戦争の捉え方として①侵略する国には交渉ではなく武器をとる ②戦争は国家政策の一つで、国家が脅しあって均衡状態が生まれた時が平和=力の均衡。この場合、正義のために侵略国を潰そうとすることは、国際関係を不安定にするだけなので、現状維持が第一とする ③武力の保持を禁止する憲法9条のイメージ ちなみに宗教戦争時代から力の均衡にシフトしたのが、近代欧州の始まりだが、現在はジュネーブ議定書や国連憲章など戦争を違法化する法律や制度が出来てきている。そしてそれらは、戦争がない世界に向かうロジックの 1)経済統合 2)市民による戦争の制限 にも同期している。
    但し米ソ冷戦時は両陣営の勢力範囲の中、ある意味均衡が保たれていた関係が、冷戦終結後は各国に軍事力が集まり、かえって戦争や紛争が起こるようになる。
    (筆者は)対ナチス独のように軍事力行使の必要な場面は国際関係の中にあるだろう。ただその先に、兵隊や軍事力に頼らない方法がないか、できるだけ丁寧に考える必要がある。そして戦争の許される状況の制限と戦争で用いる方法の請願が大事だ。戦争を違法化するためには、各国独自の軍事行動の権利は制約されるべきで、そのために国際機構の役割が出てくる。暴力の制度的抑制を考える必要がある。日本について言えば、憲法上あってはいけないはずの自衛隊(軍備)を黙認し、憲法を、軍を抑える道具に使ってきた。理念で掲げているはずなのに、実はいつも現状追随が続いている。ここで抜けているのは、どのような状況ならば、誰がどう軍隊を派遣出来、どんな場合なら出来ないかという問題。先の戦争の捉え方で言えば、②は軍拡競争と国家間の不信につながり③では世界で緊張がなくなることが前提なので、現状では無理。①の正義の戦争には法の支配が必要 そして我々が進むべき道は最小の軍隊と最大の知恵で戦争を起こさないようにすること だと言う。
    平和は現実の積み重ね。目の前の現象を丁寧に見て、どんな手を打てるのかを考えること。すぐ兵を送るのは短絡的。ある意味汚い取引や談合を繰り返すことで平和が保たれ、結局良い結論になる。

    2.日本は核を持てば本当に平和になるのか
    核抑止は、その破壊力を考えると平和の方がマシと考えることが前提だが、相手は本気のようなので先手を打とうと考えられると成り立たなくなる。実際米国では2002年に時のブッシュ大統領が核兵器と通常兵器を組み合わせた戦略を議会に提出しているし、イスラエル、印パ、北朝鮮はその地域的不安定さ故使用する可能性さえある。地下100mの所に作られた基地や研究施設を壊すには核兵器しかない。またミニニュークの開発が進められていたりで、核は抑止兵器ではなく、使える兵器に変わりつつある。
    しかし核を持てばかえって自国の環境が危うくなる。だからこそ危険レベルを下げることが一つの手段で、核軍縮は戦争の蓋然性を下げる(緊張が弱まる)ことを狙っている。核は安上がりと言われるが、運搬手段を考える必要がある。基地化では基地を攻撃されたら終わり。移動式では衛星で探知される。原潜は事故が心配。いずれにしても核を戦略の中心に据えようとすれば大きな投資が必要となる。
    核の傘で守ってもらうことを拡大抑止と呼ぶが、そもそも拡大抑止とは守護してくれると言う保証で成り立っている訳ではない。戦争が起これば必ず損をする。

    3.デモクラシーは押し付けができるのか
    国家政治でどんな国家が国家として認められるかは、力、民族、デモクラシーの順に変ってきており、それが新しい対立を作っている。民族としての国家は独自の政府・経済・文化を保っていいというものなので、民主化やグローバリゼーションという考え方と正面でぶつかる。ナチスによる民族浄化からの教訓や、戦後民族ごとの政府が出来てきた欧州から、人権や民主主義が大事だと言う考え方が出てくるが、自民族の素晴らしさや伝統を守り植民地からようやく独立に至ったアジア・アフリカでは違うととられ、結果内戦や紛争が起こる。また米国による民主化支援の結果がイラクの問題にもつながる。こんなことだから欧米に民主主義と言われても反感を買うことにもなる。
    日本では冷戦期に、米国と手を結んだ保守勢力によって政治が支えられていた訳で、この保守勢力は米国の力を必要としていたが、民主政治などと言う理念を必要としていなかった。日本では親米保守と反米リベラルばかり。反共という一点で米国と同じ側に立っている人が、デモクラシーという理念をいだいていた。
    民主化の過程は内から発生するもので、外から出来るものではない。米国社会の文化的・宗教的多元性に背を向けてキリスト教とアングロサクソン文化の優位を平然と重視する大統領が民主化のための戦争と言うのはグロテスクだ。押し付けを押し返すそうとするのはナショナリズムにつながる。

    4.冷戦はどうやって終わったか
    ここでは、ソ連解体の歴史の説明がある。'88年頃には冷戦が終わり勝ち負けのない喧嘩が終わったと言う話だったが、'91年勃発する湾岸戦争に米国(本音は石油供給確保)主導で正義の戦争として諸国を参戦させ東西独の統一に導き、米国の勝利と言う話に変わる。
    冷戦の終わりは東側の瓦解であり、西側の封じ込め政策の勝利だった。決して米国に追い込まれた訳ではなかったが、脅したことで冷戦が終わったと読み換えられ、中国も同じように脅せばいいだろう と言うことに進んでしまう。大戦争で犠牲が多いあとは何とかしなくてはいけないと国際政治の変革につながるが、戦争なしで終わった冷戦では悲惨さがなく、新たな世界をつくると言う動機付けが存在しなし。逆に小規模・短期の戦争は合理的だと捉えられてしまい、最悪だ。

    5.日本の平和主義は時代遅れなのか
    外国から見ると、憲法よりも安保条約こそが日本の軍事的単独行動を抑えていると考えられ、日本の中に軍国主義を抑える考えがあるとは思われていない。
    日本では太平洋戦争は、日本国民を苦しめさせた責任の方が議論される。敗戦や憲法を押し付けられたことが屈辱だと思うのは、自尊心が強すぎるのではないか。
    平和主義とは、二度と戦争をしたくない、武装しないことで戦争に巻き込まれることを避けようとする考え方だろう。9条と非武装中立は世界で初めての実験だと言われるが、外に広めようとはしていない。つまり日本国内向けの平和主義で自分たちの安全を第一にする考え方で、そこには多くの日本人が戦争で犠牲になったという感覚が潜んでいる。そして日本が特にアジア諸国にでれだけ酷いことをしてきたかと言う視点が抜け落ちている。
    (筆者は)改憲に反対だ。現在の政治状況で憲法を改正しても自衛隊の活動を法的に規制するものにはならない。逆に法によって縛られてきた軍隊の行動が、これまでになく自由に使われるようになる。そのための憲法改正となれば、歯止めをつけるのではなく歯止めを外すことになる。今提案されているものは復古調で、凡そ日本社会で共有されているものとは思えない。まずは具体的にどのような外交政策や軍事行動が誤っているのかを示すことが先だ。今は単に米国政府にアピールするだけのために活動範囲を広げているようだ。
    平和というものは具体的な目の前の戦争をどうするか、戦争になりそうな状況をどうするかと言う問題だ。

    6.アジアの冷戦を終わらせるには
    戦後アジアでは、それぞれの国で革命運動が起こる。欧州での冷戦の終わりは社会主義の崩壊だったが、アジアの場合は米中接近だったので、社会主義体制は壊れない。米国の中国接近は、中国との戦争を避けたいからだ。中国にしても当時ソ連とは軍事衝突を起こしており、2正面作戦を回避できる。この延長線上にニクソンのアジア撤退方針が出される。北朝鮮が拉致事件実行等で進化を遂げるのはこの頃だ。日本は、中国は本当は危険な国だと米国をアジアに繋ぎ止めようとする。つまりアジアの緊張を維持しようとしていた。
    日本は70年半ばより、東南アジアに対しては戦後賠償を始めとして経済援助をベースに各国との関係を築いていくが、東アジアの場合は、軍事的脅威に対して日米関係をどう堅持するかと言うこおの方が問題になった。
    日朝関係でいえば、小泉時代の日朝会談では、平壌はこれまでにない譲歩を見せたが、拉致事件を認めたことで、日本の世論もマスコミもかえって硬化し、取引が全て否定される方向に向かった。今日に至るまで北朝鮮の暴走は止まらないが、正義の戦争で倒して良いものか?いや、誰が何をして良いのか明確な規制がない限り、軍事行動は単なる侵略戦争となる。政府は内側から倒されるものだ。
    アジアの社会主義国との付き合い方は、その体制を受け入れた上で、緊張緩和方法を考えるべきだ。それには伝統的な外交交渉が必要だ。
    日本はベトナムやカンボジア和平に大きな貢献をしているが、そのアプローチが参考になろう。今必要なのは、現在の紛争や将来紛争を招きかねない緊張の一つ一つについて、出来る限り犠牲の少ない対策を作り、その実現のために努力することだろう。
    問題は憲法を守ることではなく、日本の置かれた地域から軍事紛争の芽をどれだけ摘み取ることが出来るかだ。必要なのは祈る平和ではなく、作る平和だ。

  • 国際政治学における「正戦論」「現実主義」の違いと歴史的な変遷を説明するもの。
    「絶対平和主義」と「相対主義」の違いと言い換えてもよいのだと思う。
    正義のために悪を制御するために行われる戦争という、目的のためには手段を選ばぬやり方は、言ってみれば十字軍であって、そこで掲げられる「正義」が相対的なものであるという話。

    これを総論として、各論としてポスト冷戦のあり方、日本の戦後の平和主義、東アジアの状況にまで論が及ぶ。
    日本についていえば、「戦争における加害者であったこと」をコントロールするために憲法9条が作られたということが話題にされる。
    一定以上の年齢の人には自明だし苦い記憶だからあまり語られないけど、あまりにもあっけらかんと「なかったこと」にしてしまうのは客観的な見方との乖離が広がりますね。

    本書の底本は2003年のもので、ロシアによるウクライナ侵攻後の2022年に復刊されたという。
    ポスト冷戦に注目するのには時代性があると思うが、しかしその延長線上にウクライナ侵攻があるわけで、このタイミングでの復刊には意義があると思う。

    ただ、底本も復刊も「正しい戦争」をカッコでくくるのはいかがなものかと思う。
    カッコでくくった「〈自称〉正しい戦争」が存在することは自明すぎるので、問題の所在が曖昧に見えてしまうと思う。

  • 【請求記号:319 フ】

  • そろそろ、ロシアがウクライナに侵攻して1年。どう見ても旧西側陣営からはロシアに大義があるように見えないけど、ロシアからしたら侵略ではなく祖国防衛戦争なのか。「正しさ」や正義は人の数だけあると思うけど、国際社会ではいろんな利害が複雑に絡んでるだろうから、我が国も同盟国に助けてもらおうなんて魂胆は早く捨てたほうがいい。

  • ウクライナ問題に合わせて約20年前の本を新たに新書化したもので、内容的にはやはり古さを感じる部分はあるものの、ひとつの歴史として読めば「こういう時代だったのか」と当時を振り返ることが可能であるという点で有益ではある。また、理論・思想的な事柄に関しては普遍的と思われる部分もあり、これらを現在起こっている国際情勢に当てはめて考えてみるというのがひとつの読み方になるのかもしれない。
    著者は基本的には国際政治学者としてリアリズムを重視しているようだが、多少理想主義的と思える発言もあり、どっちつかずで中途半端な印象も受ける。しかしながら、どちらかに偏りがあるのも問題ではあるので、両者のバランスをいかにとるかということが、政治を考える上で肝要なことなのだろう。
    体裁としてはインタビュー形式なので読みやすいとも言えるが、ややまとまりのなさも感じる部分もある。また、独特の史観というか分析にも感じられるところもあって、「なるほど」と感じる部分がある一方、「そうかなあ」と疑問に感じる部分もあって、この辺は良し悪しかなと思う。ちなみに著者は最近話題の三浦瑠璃の指導教員のようだが、思想的な影響はあまり与えてないような印象を受けた。

  • 面白かった!
    これを読んでしまったら,今までの自らの思考が全て陳腐化してしまって,政治や世界情勢の見え方が変わってしまった気すらするほどの面白さだった.
    聞き手の一人が,我らがロックの達人「渋谷陽一」となれば,それはもう俄然読みすすめる手にも力が入ってしまうというもの.
    右も左も,こういう座標軸で政治をやってくれたら政治ってすごく面白いし,盛り上がるのになぁと思う.

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著者プロフィール

東京大学社会科学研究所教授

「2012年 『「こころ」とのつきあい方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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