ポエトリー・ドッグス

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065291863

作品紹介・あらすじ

「このバーでは、詩を、お出ししているのです」 
今夜も、いぬのマスターのおまかせで。詩人・斉藤倫がおくる、詩といまを生きる本。
『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』につづく、31篇の詩をめぐるストーリー。

「詩っていうのは、おもい出させようと、してくれてるのかもね。このじぶんだけが、じぶんじゃなかったかもしれないことを。このせかいだけが、せかいじゃなかったかもしれないことを」
 
T・S・エリオット 吉岡 実 ガートルード・スタイン アメリカ・インディアンの口承詩 萩原朔太郎 ボードレール 杉本真維子 宮沢賢治 石原吉郎 ウォレス・スティーヴンズ 石牟礼道子 アルチュール・ランボー ……ほか全31篇の詩をめぐる物語

感想・レビュー・書評

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  • 犬のバーテンダーが詩を出してくれるバー。
    「なにか、ぼくにあいそうな詩を」と言って出してもらった詩。
    そして、おかわりを出して説明をしてくれるバーテンダー。

    第一夜から第十五夜まで一夜に二編の詩について犬のバーテンダーとぼくが美味しそうなカクテルを吞みながら語り合います。詩の歴史のうんちくから、どうぶつかにんげんかの話。(犬と人間ですから)政治の話もあります。

    私はもうちょっと軽い気持ちで詩を読みたかったのですが、結構難しい話をしています。

    ぼくのことばで
    「詩のむこうに、深いいみがあるなんて、うそだっていってるようでもあるね。詩は、あるがままの、この、ことばのならびとひびき、それだけだって」
    というのが心に残りました。

    ぼくが、バーテンに教えてもらった詩で、ほかに詩なんてしらないのに、いちばん好きだとおもってしまった詩は、第十二夜のランボーだそうです。


    「王権」アルチュール・ランボー(宇佐美斉訳)
     ある朝のこと、とても穏やかな気性のひとびとが住む国で、惚れ惚れするような一組の男女が公共の広場で叫んでいた。
    「みなさん、わたしはこの女に王妃になって貰いたいのです!」
    「わたしは王妃になりたいのです!」
    女は笑い、身を震わせていた。
    男は朋友に向かって啓示について、すでに終わった試練について語っていた。
    ふたりは身を寄せ合ってうっとりとしていた。
     実際に彼らは王であり王妃であった。真紅の垂れ幕が家々に高く掲げられたその日の午前中に、そしてまた、ふたりが○○の庭園の方へと歩いていった午後のあいだは。

    (○○は漢字の変換ができませんでした。ごめんなさい)


    私がいいと思ったのは。第四夜の。


    「暦」(アメリカン・インディアンの口承詩)(金関寿夫訳)

    (オジブワ族)
    一月、長い月 霊の月
    二月、サッカー、魚の月
    三月、積もった雪が硬くなる月
    四月、雪靴の破れる月
    五月、花の咲き乱れる月
    六月、いちごの月
    七月、ラズベリーの月
    八月、コケモモの月
    九月、ワイルドライスを採る月
    十月、落葉の月
    十一月、凍てる月
    十二月、小さな雪の月


    「さんびか」阪田寛夫
    ぐっどばあい
    ぐっどばあい
    びいおおれす
    かんだんつるう!
    なんのことだか
    わからない
    なんのことだか
    わからんが
    これをうたえば さよならだ
    "Good-bye good-bye,
    Be always kind and true!!"

  • とあるバー。
    そこにはいぬのバーテンダーがいて、
    ふさふさした手でお酒を出してくれる。
    もうひとつ、
    お通しのかわりに出してくれるものがある。
    それは、詩。
    いぬのバーテンダーが「ぼく」に見繕って出してくれる古今東西の詩、は、いつしか―――。

    すてきな本すぎて、紹介する言葉に迷う。

    詩とお酒は似ている。
    どちらも酔う。
    わたしはどちらも少し嗜む程度だが、この本は嵌まった。
    マスターと「ぼく」の会話は滋味深く、わかるようでわからない。
    そもそも、詩、が、わかるようでわからない。
    でも、これは、どういう意図で書かれたんだろう、どういう気持ちで書かれたんだろう、という、わからない、を楽しむ姿勢が大事なんだね。

    詩が好きな人はもちろん、わからない、について考えるのが好きな人、あと、いぬ好きの方にも。

    • たださん
      5552さん

      ちなみに村田さんは、夢の中で、低空飛行ながら空を飛ぶことができて、それから何度か同じ夢をみて、少し高く飛べるようになったそう...
      5552さん

      ちなみに村田さんは、夢の中で、低空飛行ながら空を飛ぶことができて、それから何度か同じ夢をみて、少し高く飛べるようになったそうですよ。夢の中で上達するんですね。凄い!

      他者の夢を覗いてみる・・興味はありますが、何か怖いものもありそうですよね。人間の未知の領域を目の当たりにしそうな、そんな漠然とした不安が。

      私の飛び降りる夢は、地面から離れて以降の感覚だけ、妙にリアルで嫌な感じなのですが、もし、そこで夢だと気が付けば、私にもチャンスはあるのかもしれませんね(それはそれで怖そうですが)。過去に、他の夢の中で夢だなと思った事は、一度二度あったと思うので、もったいないことしたなあと。

      そう考えると、俄然、夢を見るのが楽しみになってきました。早速、今夜から地道に挑戦してみます(^_^)
      2022/12/11
    • 5552さん
      たださん

      夢の中でも上達できる、って面白いですね。
      映画の『マトリックス』みたいに、その世界の中では万能ということではなく、妙に現実...
      たださん

      夢の中でも上達できる、って面白いですね。
      映画の『マトリックス』みたいに、その世界の中では万能ということではなく、妙に現実的なのが興味深いです。(観てなかったらごめんなさい。)

      たださんの夢は落下していく感覚だけリアルということですか。
      現実では安全に味わうにはバンジージャンプくらいしかないですよね。
      恐怖感はありそうですが、お得といったらお得かも、と思ってしまいました。
      落ちる途中で、ハッと気づき、「飛べる!」と念じたら飛べるのかもしれませんね。

      夢ライフを楽しめれば人生が1.5倍くらい楽しめそうです♪
      2022/12/12
    • たださん
      5552さん

      現実的という表現、興味深いです。夢にも何かルールや法則的なものが存在しているみたいに感じられて・・いつか、夢について、色々判...
      5552さん

      現実的という表現、興味深いです。夢にも何かルールや法則的なものが存在しているみたいに感じられて・・いつか、夢について、色々判明する日が来るのですかね。あ、マトリックスは昔観ましたよ(^_^)

      ちなみに昨日は出来ませんでした(まあ、そうですよね)。どんな夢なのかも記憶が曖昧だったので、これからもっと感覚を磨いていこうと(!?)、思っております。

      ちなみに、現実でバンジージャンプは、無理ですね。高いところが怖くて苦手なもので(^^;)
      2022/12/12
  • 三軒目に辿り着いたバーのマスターは、ふさふさの毛並みの犬だった。壁一面の棚には、きらめくお酒のボトルと、光を通さない詩の本が並んでいる。
    この店ではお通しに詩を出てくれるんだ。
     いやあ、詩は、むずかしいなあ。

    マスターも言う。
     わたしもわかりません。詩にいいたいことがあるのかもわかりません。しかし人間が物事をどうとらえているか知りたいのです。

    ぼくは、マスターに出してもらった詩を楽しみにするようになった。詩には「私」も「君」もいなくていい、まるで溶けているみたいだ。詩人が不在で繋いできた口承詩。象徴詩って、個人の感受と科学の間にいる酔っ払いみたい。わからない詩はわくわくする、詩がどっかに連れ出そうとしてくれるってことだから。


     つらい仕事、ぼくの飼っている犬、どんどん増える酒、眠れない夜、悪くなっていく体。そんな体に染み込んでいく詩。
    言葉って?尊厳って?自分の境目って?物が増えていったら名前がつく。聴き落とした言葉、争いを生む言葉。自分の<言葉>の前に、言葉を発せない、聞き逃した<言葉>がある。それを知って自分は語る<言葉>を生み出せるのだろうか。

    犬のマスターのいるバー。ここにいると<会える>気がしたんだ。でもぼくは新たに歩き出す。一人だって思っていたけれど、言葉があって、ひとりじゃないって思えたんだ。

    ===

    斉藤倫の本は、児童書と児童向け詩の読み方の本に続いて三冊目。この本全体が散文詩のような、胸を締め付けられるような言葉を使います。
    (詩や短歌の本では必ず書いていますが)私は詩が苦手です。わからない!そして詩って小説より容赦ない!
    しかし詩人の著者が「わからない」「それでもいい」と言っているんなら良いか。
    小説ならあるんですよ、わかんないけど良いというものが沢山。私が一番好きな作家はアルゼンチンのボルヘスですが、まーーるで理解できません!しかし出会えたことが、読めることが幸せ!人にはあまり言えないが、自分ではそれで良いと思っている!
    それなら私にも「この詩わからんが幸せ!」というものに出会うことがあるのかな。

    ※※※若干ネタバレ※※※

    この本は、「ぼくがゆびをぱちんとならして きみがおとなになるまえの詩集」の前日譚のようなものです。
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4834084574#comment

    この本の最後で療養することにした語り手は、「ぼくがゆびを〜」では、親友の忘れ形見の「きみ」に詩を勧めて楽しみ方を共有したり、「わからなくても、大丈夫だと思える詩にきっと出会える」といいます。
    こちらの「ポエトリー〜」で犬のバーテンダーに詩を紹介してもらった自分が、今度は他の人に詩を紹介して繋がっていきます。
    題名が「ポエトリー・ドッグス」と複数なんですよね。マスター、飼い犬、そしてこの語り手も含めて「ドッグス」になったのかな。(詩って人間が溶け出しているっていうんだったらいいよね)

  • 【第2回】代官山絵本通信 『斉藤倫の物語』 | 特集・記事 | 代官山T-SITE | 蔦屋書店を中核とした生活提案型商業施設
    https://store.tsite.jp/daikanyama/blog/kids/14393-1138010616.html

    斉藤 倫『ポエトリー・ドッグス』/斉藤 倫「近代詩100年の「わからなさ」/『ポエトリー・ドッグス』刊行記念エッセイ」|KAZE|note
    https://note.com/novalisnova/n/n9d4295afb44b

    『ポエトリー・ドッグス』(斉藤 倫)|講談社BOOK倶楽部
    https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000369067

  •  バーテンダーは犬。そして、お通しのような感じでバーテンダーチョイスの詩を出してくれる。という、夢のような設定。
    全くお酒飲めないけど行きたい。

    そこについ足を向けてしまう、主人公。大抵三軒目くらいに。

    自分ではとても手を出せないような、上級者向けの詩が出てきた。そして、半分以上、見事にさっぱりわからなかった。ここまで理解できないかというくらいに…
    バーテンダーと主人公が少し詩を紐解いてくれるけれど、それでも難しい〜(汗)

    ただ、わからなくても、そのわからない感じがどこかに連れ出してくれる、ということが書いてあった。確かに、わからないなりに、色々と映像が浮かんだり、気持ちが揺れ動いたりしたのは事実。

    途中、難しすぎて辛かったけれど、最後に近づくにつれ、一気に心に突き刺さるものが…

    [若かったからかな。いちどだけ、なにもかもが可能で、たやすいって信じた。なのに、なにかを壊す勇気ももたず、うしなうことばかりを恐れたせいで、かけがえのないものをすべてなくして、ここにいるとおもった。]

    [自分は、風邪に吹かれている草だとおもえ。東から吹いたら西になびびて、北から吹いたら南になびく、それだけをおもってください。あとはなにもかんがえないように。うしなって、じぶんが、できる、そのじぶんまでもうしなってしまわないように、ぼくらは、守る。でも、それでは、うしなったものは、うしなわれたままだ。]

     一年前に飼い犬を亡くした主人公に、吉原幸子さんの、「仔犬の墓」の詩を出してきた時は、私も主人公同様、「よくもこんな!」と少し思った。
    〈さびしい抜け毛を 知らなかった〉の所はもう無理だった。
    でも、
    「このバーにいるときだけは、まだあの子がいるって気がした。帰ったら待っているっておもえた。」
    という主人公の言葉に、私もこのバーに、バーテンダーに、一緒に慰められていたんだと知った。

    わからないなりに、この本の世界を堪能していたことに自分でも驚いた。面白い一冊だった。

  • 『「いらっしゃいませ」グラスをふいている手がふさふさしていた。バーテンダーは、いぬだった』―『第一夜』

    酔った足どりで辿り着く場末のバーで、アペリティフ代わりに供されるのは一篇の詩。それを焦点の定まらぬ目で読み取り、読み解く。解いた答えはたちまち霧散し、そもそも答えなんてものがあったのかどうか。問い質そうと人語を介するバーテンダーに尋ねても、やんわりとはぐらかされる。

    果たしてこれは文学ガイド的小品なのか、はたまた詩人の凝った作りの散文なのか。バーテンダーの差し出す詩片を読む「ぼく」の心境の変化と共に、詩に対する感性がじわじわと啓かれていく。詩なんてものは結局、解からなくても判っても、一杯のアルコールのように、一瞬の刺激とその後に続く余韻のような実態ではないものを愉しむもの。そんな声が聞こえてくる。

    謎解きのような十五夜を経た後に酔人が辿り着くのは、セラピーを受けた後のような心境か、あるいは夢から覚めた夢か。「いぬ」に対する「ぼく」の思いは酔っ払いの戯言から心痛の発露へと変化する。一夜毎の「ぼく」の変化が語られていない物語を読者に悟らせる。その物語とも言えない、明瞭な輪郭を持たない出来事が酔わずには辿り着けないバーの存在の意味をじわりと告げる。

    『もし生きていたとしても/言えません ぼくは/じょうずには‥‥‥/ふじいくんのおとうさんは/詩を書くひとです/ぼくにかわって/何かを書いてくれると/あのころ/誓ってくださいました (ビラヴド/藤井貞和)』―『第十一夜』

    どうしてDogではなくDogsなのか。詩人の仕掛けた言葉の罠にまんまと嵌まる。

  • 書影が好きで、手に取りました。
    普段詩はあまり読まないのですが、犬のマスターが出してくれる詩という設定が可愛らしくて面白いなと思い、購入しました。

    「詩は主人公がおらず、筋がない。でも、言葉で言い表せない何かを感じる。そんな自分を大切にして欲しい。」詩人、谷川俊太郎さんの言葉です。この本に出てくる詩を読んでいて、この言葉を思い出しました。
    主人公がおらず、筋もない。でも繰り返し読むうちに言葉からじんわりと味が染み出してくるような感覚がありました。

    これを気に、何かの詩集に手を出してみようかなと思いました。良い読書体験になりました。

  • 連作短編で、詩の紹介が物語の一部になっているというのは、大好きな『ぼくがゆびをぱちんと〜』と同じ設定なのだけど、今作はよりシビア。
    ぼくがゆびを〜では受け入れて世界を広げていくイメージだった詩は、自分(個人、あるいは人間)を厳しく問いかけるものであったり、辛い記憶に繋がるものだったりする。
    でも、だからこそ力強い無二の支えにもなる。
    言葉の暴力性に自覚的だったのも良かった。
    マスター、愛おしい。

  • やっぱり、詩は、分からない笑

  • 自分をひとりにさせないでくれる本だなと思いました。
    イケイケどんどんなひとには響かないテンポの本かもしれないけれど、ひさしぶりに、ひとにおすすめできる本の候補が見つかりました。

    詩に関心はあるけれど詩そのものの本はハードル高いなと思うひと、バーという言葉に魅力を感じる方におすすめです。

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著者プロフィール

斉藤倫 詩人。『どろぼうのどろぼん』(福音館書店)で、第48回児童文学者協会新人賞、第64回小学館児童出版文化賞を受賞。おもな作品に『せなか町から、ずっと』『クリスマスがちかづくと』『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』『さいごのゆうれい』(以上福音館書店)、『レディオワン』(光村図書)、『あしたもオカピ』(偕成社)、『新月の子どもたち』(ブロンズ新社)』絵本『とうだい』(絵 小池アミイゴ/福音館書店)、うきまるとの共作で『はるとあき』(絵 吉田尚令/小学館)、『のせのせ せーの!』(絵 くのまり/ブロンズ新社)などがある。

「2022年 『私立探検家学園2』 で使われていた紹介文から引用しています。」

斉藤倫の作品

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