- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087202663
作品紹介・あらすじ
一一〇〇万人を超える人類史上最大の反戦運動もむなしく、アメリカとその同盟国は、ついにイラク攻撃に乗りだします。デモクラシーを高らかに謳いあげる国々による圧倒的な暴力は、人々の意志が政策に反映されることのない絶望的な光景を、かえって浮き彫りにしました。果たして、政治はひと握りの人間によって決定され、他の者たちは粛々とそれに従うほかないのでしょうか?本書では、世界的に進行するデモクラシーの空洞化を多角的に分析しながら、私たちの政治参加の可能性を探ります。日豪屈指の知性による、深くて鋭い盛りだくさんの対話劇。「イラク戦争以後の民主主義入門書」を片手に、いっしょに考えてみませんか。
感想・レビュー・書評
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姜尚中とテッサ・モーリス=スズキが、現代の国際政治状況におけるデモクラシーの危機について語りあっている本です。姜はすでに森巣博と『ナショナリズムの克服』(集英社新書)という対談本を刊行していますが、本書ではおなじテーマを政治思想史を振り返りつつ、もうすこしオーソドックスなかたちで語りなおしたものということができるように思います。
「すべての人間は、外国人である」というスズキのキャッチーなスローガンは示されており、読者の目を引きます。ただ、おおむね問題意識を共有している二人が、おたがいに問題と感じているところを確認するにとどまっており、これからの展望を切り開くような議論がやや乏しいように感じてしまいました。
著者たちは、民主主義に対する不信感が人びとのあいだで蔓延していることを踏まえて、「あとがき」でメディア・リテラシーを身につけることや、民主主義について選挙をはじめさまざまな場面でみずからの考えを表明し発信することなどを呼びかけていますが、残念ながら民主主義の再生が可能になるという希望は感じられませんでした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『デモクラシーの冒険』
著者:姜尚中
著者:テッサ・モーリス‐スズキ
【版元】
定価:本体720円+税
ISBN:4-08-720266-6
例えば、1100万人を超える反戦運動が、まったく無視されたわけですが、――それは、なぜ!?
イラク戦争以後の民主主義入門書
1100万人を超える人類史上最大の反戦運動もむなしく、アメリカとその同盟国は、ついにイラク攻撃に乗りだします。デモクラシーを高らかに謳いあげる国々による圧倒的な暴力は、人々の意志が政策に反映されることのない絶望的な光景を、かえって浮き彫りにしました。果たして、政治はひと握りの人間によって決定され、他の者たちは粛々とそれに従うほかないのでしょうか?本書では、世界的に進行するデモクラシーの空洞化を多角的に分析しながら、私たちの政治参加の可能性を探ります。日豪屈指の知性による、深くて鋭い盛りだくさんの対話劇。「イラク戦争以後の民主主義入門書」を片手に、いっしょに考えてみませんか?
<http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0266-c/>
【目次】
エピグラフ [002]
目次 [003-011]
序章 ヤギさん郵便、あるいはデモクラシーの議論への誘い 012
◎テッサ・モーリス‐スズキから姜尚中 へのメール 012
◎担当編集者から姜尚中へのファックス 016
◎姜尚中からテッサ・モーリス‐スズキへのメール 017
◎テッサ・モーリス‐スズキから姜尚中への手紙 018
◎姜尚中からテッサ・モーリス‐スズキへの返信 020
◎テッサ・モーリス‐スズキから姜尚中に宛てた、対談のレジュメ冒頭部 021
◎姜尚中からテッサ・モーリス‐スズキへのファックス 022
◎テッサ・モーリス‐スズキから姜尚中への手紙 024
第一章 デモクラシーの空洞化――冷戦構造崩壊後、自由は勝利し、それによって自由な選択肢はなくなった 026
あなたは、自分たちが暮らしているこの世界をより良い方向に変えていくことが可能だとしたら、そうすることを選びますか
デモクラシーの担い手とは――「それを望むすべての人々」
リーダー選びの手続きにおいてすら機能しなくなったデモクラシー ――選挙に負けていた、史上最高支持率の大統領
イシュー(論争点)を発見することができない政党――アジェンダ(競技事項)設定の機能不全
ボタンがない――孤立化する草の根の声
重要な議論を隠蔽している世論調査
マニフェストと二大政党制――有権者は消費者、小冊子は通販
無党派層――代表されていない人々の増大
自由が勝利した瞬間、自由な選択肢が消失した―― マーガレット・サッチャーのあだ名「TINA」
先進デモクラシー国家に浸透する寡頭制(オリガーキー)
市場の社会的深化――刑務所と警備に関する事業の、世界的な複合ネットワークの誕生(ワッケンハット社のケース)
しばし休憩――昼寝の間に、論点を整理しましょう!
第二章 グローバル権力の誕生小史・第二次大戦後五〇年――国家と企業の癒着、民営化 052
南太平洋の夕闇のなかで対談再開!
新分業体制と情報革命
1960年代後半以後、ポスト・フォーディズムへの移行期――国籍も職場も違う労働者たちと、組合運動の世界的な衰弱
福祉国家構想の世界的な終焉
ネオリベラリズム(新自由主義)は原理主義――自由市場は神様です
個人と国家、あるいは個人と企業をつなぐ中間項の消失
戦後日本のネオ・コーポラティズム ――経済総動員体制下における労働運動の限界
公的領域と私的領域の境界線が消失している!
民営化――国家と企業の癒着の進行
矯正施設や職業安定所が、民営化されたら?
ソビエト崩壊はハード・ランディングで、ネオ・リベラリズムはソフト・ランディング
戦争もしくは政治に寄生した資本主義―― ハリバートン、ケロッグブラウン&ルートの場合
生ぬるい夜風に吹かれて
第三章 政党、世論、ポピュリズム――デモクラシーのブラック・ボックス 083
一 政党をめぐるおしゃべり 083
渚にて
政党というブラック・ボックス
二大政党制か多党連立制か――民意の反映から効率性の重視へ
政党は階級から生まれた―― 一七世紀イギリスのトーリーとホイッグ
国民政党に脱皮した民主党は、誰を代表しているのか?――階級の変容と、日本党の誕生
自由民主党の「派閥」は代表制の代替物だった――巨大な利益代表機関
一院制のほうが「効率的」とは?
選挙のときは、有権者に寝ていてほしい―― オーストラリアでは、小政党への投票が死に票にならない
二大政党制のなかで、市民運動がイシューをどれだけ公約に載せられるか
政党は、マルティチュードを抑圧する―― NGOやNPOなど、多様な連帯を志向する人々の可能性を、国民国家の内部に封じ込めようとする権力装置
「支持政党なし党」をつくろう!
いちばん負担を被る人たちの発言力を増大させる――難民受け入れに関する議論に、送り出した側の代表者も参加する
二 世論をめぐるおしゃべり 107
第二次大戦中の小山栄三による世論研究――世論はどこにも存在せず、国家と国民の関係性のなかで人工的につくられる
世論は「虚焦点」をつくる―― フィクショナルな焦点をめぐる幻想民主主義
憲法と世論――近代国家の、二つの権力抑制機能が崩壊している
テレビ番組『ビッグ・ブラザー』――強化されていく相互監視と、世論と国家の一体
三 ポピュリズムをめぐるおしゃべり 118
リスクを回避するメディア ―― ポピュリズムの温床
ポピュリズムとは何か
自民党の利益誘導政治(派閥政治)の機能不全と、ポピュリズム ――中心政党と癒着した日本型ポピュリストたち
失敗しつづけるポピュリスト・石原慎太郎の支持基盤――都市型中産階級の怨念
東京では、地方からの「移民」一世と二世間で、階層の再生産がうまく機能していない
石原ポピュリズムの特徴――逆・毛沢東主義、つまりは、地方切り捨て
企業資本主義とデモクラシーの原理を切り離すこと
第四章 直接民主主義と間接民主主義――デモクラシー思想の歴史と「外国人」 137
時には歴史の話を
デモクラシーの対談に関するレジュメ(日本語訳)――あるいは、デモクラシーのオーソドックスな歴史の見取り図
プラトンの哲人王を待ち望む雰囲気の蔓延
決断主義
デモクラシーは爆弾とともに空から降ってくる
人間のなかに秩序はない
ホッブズと歴史の忘却
バークと歴史の復権
ルソーの可能性――暮らしのなかからデモクラシーを考えること
国民国家の成立――消失していく直接民主主義の理想
公共圏――アーレントのいう相互承認に、在日は含まれるか
女性――公共圏のカヤの外
外国人の誕生――国境管理所の人権侵害
五番目の「戦後民主主義」
戦争と大衆デモクラシー
民主主義の拡大と非民主主義の拡大――在日の投票券
ギリシャ哲学のビオスとゾーエー ――国民ではない住民とは何か
遠き水面に、日は落ちて
第五章 間奏曲「月夜の対位法」――デモクラシーは酸素なんだよね 180
月下のドライブ
オーストラリアへの移住――白豪主義から多文化主義への激変の時期
「朝鮮半島は、デモクラシーとは無縁だ」という刷り込み
セキュリティの彼方には、デモクラシーなど存在しない――韓国の民主化闘争四〇年
すべての人間は、外国人である
第六章 ふたたび「暮らし」のなかへ――今、私たちに何ができるのか 196
一 想像力を奪うものへの抵抗 196
デモクラシーの未来
被害者への過剰な感情移入と、無関心な第三者意識の蔓延
視聴率調査をする会社が、なぜ一つだけなのか?
ドキュメンタリー番組の蘇生法
ワイドショーは、地縁や血縁の代替物
テレビのイデオロギー ――この退屈な日常はずっと続いていく
オンラインの可能性――北東アジア新聞
オンラインで司法を民主化できるか
二 グローバル権力と、内なる無力感への抵抗 216
企業の民主化――労働者だけでなく、消費者が企業経営に関わること
企業の知的所有権を過剰に保護する国際協定「TRIPS」と、第三世界の人権侵害――グローバル権力に勝利したエイズ・キャンペーン
北東アジア共同の家――地域主義的なデモクラシーを支えるもの
北東アジア共同の家の境界線さえも解体する
内なる無力感と、憎悪の連鎖に抗して
あとがき(姜尚中 テッサ・モーリス‐スズキ) [235-242]
用語解説 [243-269]
みんなでつくるデモクラシー・マニフェスト [270] -
2011/05/13
amazing -
ナショナリズムが「糞」であることを、姜尚中・森巣博『ナショナリズムの克服』(集英社新書、2002)よりもエレガントに教えてくれる一冊。
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[ 内容 ]
一一〇〇万人を超える人類史上最大の反戦運動もむなしく、アメリカとその同盟国は、ついにイラク攻撃に乗りだします。
デモクラシーを高らかに謳いあげる国々による圧倒的な暴力は、人々の意志が政策に反映されることのない絶望的な光景を、かえって浮き彫りにしました。
果たして、政治はひと握りの人間によって決定され、他の者たちは粛々とそれに従うほかないのでしょうか?
本書では、世界的に進行するデモクラシーの空洞化を多角的に分析しながら、私たちの政治参加の可能性を探ります。
日豪屈指の知性による、深くて鋭い盛りだくさんの対話劇。
「イラク戦争以後の民主主義入門書」を片手に、いっしょに考えてみませんか。
[ 目次 ]
序章 ヤギさん郵便、あるいはデモクラシーの議論への誘い
第1章 デモクラシーの空洞化―冷戦構造崩壊後、自由は勝利し、それによって自由な選択肢はなくなった
第2章 グローバル権力の誕生小史・第二次大戦後五〇年―国家と企業の癒着、民営化
第3章 政党、世論、ポピュリズム―デモクラシーのブラック・ボックス
第4章 直接民主主義と間接民主主義―デモクラシー思想の歴史と「外国人」
第5章 間奏曲「月夜の対位法」―デモクラシーは酸素なんだよね
第6章 ふたたび「暮らし」のなかへ―今、私たちに何ができるのか
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
(2008/5/4読了)
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テッサ・モーリスースズキと姜尚中による対談をまとめたもの。新進気鋭の学者2人が、オーストラリアのビーチでデモクラシーについて語り合った内容。
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確かに、世の中自分が何かしたところで変わらないって思っている節はある。でも、今までの歴史を振り返ってみるとどうして今の世の中があるかって誰かが体制を変えてきたから。今も体制を変える原動力を一人一人が持っているはず。現在人々が無気力化しているのはグローバリゼーションによって力が分散してまとまって大きな力を築くことができないって書いてあったけど、私個人的には今の生活に満足しているからかなって思った。それは世の中を知らないからかもしれないけど、満足しているからこそ知ろうともしないのだと思う・・
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デモクラシーの担い手とは、「それを望むすべての人々」というタテマエになっているが、現実では人々は自らの無力さを感じ、それゆえ「政治的無感情」となっている。その原因はさまざまである。「市場の社会的深化」により、デモクラシーにおいて有権者である人々は消費者となったこと。世論は人々の声を代表しないことや、グローバルな権力によって、人々の選んだ代表にも決定できない事柄が増大した。このように、自分たちがいくら努力しても結果に結びつかなくなって人々は「政治的無感情」に追い込まれた。こうしてデモクラシーの空洞化が進み、ポピュリズムを促進させ、憎悪の政治学を作っている。しかしながら、今は市場の社会的深化や公私境界線の消失によって、従来のデモクラシー理論では対応しきれない事態となった。21世紀のデモクラシーを考えるにあたって、「市場の社会的深化」と、企業と資本主義とデモクラシーの原理を分けて考えることが必要である。そしてデモクラシーには「消費者」は存在せず、「消費者」から脱出するためには「賢く」なって身近な場面からアプローチしていく必要がある。
本の要約はこのようである。ところで、本書を読み進んでいくうちに「そもそもデモクラシーとは何であるか?」という疑問にぶつかった。本書でもいくつか解説を挙げているが、読み終えた今でも私の頭の中で混乱している。そこで、このレポートではデモクラシーのもっとも根源的な原理とは何であり、デモクラシーとは一体何なのか、その意味と意義を、本書を踏まえて私なりに考えてみたい。
まずデモクラシーのもっとも根源的な原理について考えてみたい。本書にもあるようにデモクラシー元来の意味は「大衆による支配」であり、支配者と被支配者が同一でなくてはならない。つまり担い手は大衆であり、大衆が自ら自律していくことである。ところで、ここでひとつ重要な問題がある。直接民主制はともかく、間接民主制においては大衆を代表する者の存在が欠かせない。だが、代表者が存在するということは「大衆が自ら自律していくこと」と矛盾する。それでも間接民主制をデモクラシーとみなすのであれば、民衆から正当に選ばれた代表者が民衆の利益を擁護し、かつ自身も法というルールに従わなければならないのだ。言い換えれば、間接民主制がデモクラシーであるためにはこの2つの条件をクリアしていなければならない。
ところが、現在はその代表者が大衆を代表していない。本書にもあるように、民意とかけ離れた政策決定を行っている。ポピュリストは一見、大衆を代表しているようにも見えるが、正体は煽動家による衆愚政治ともいえる。つまり、間接民主制においては、代表者は民衆の利益を擁護しつつもポピュリスト的な要素を排除した政治を行なわなければならないのである。と同時に、代表者が大衆の代表でなくなったとき、大衆は代表者を交代させる権利を持っている。(しかしながらこの権利もまた現代において「政治的無感情」によって行使しにくいものとなっている。)つまり、本来であればデモクラシーのもとではひとつの党が何年にもわたって執権することはありえないことである。なぜならば、ポピュリストでない意味での民衆の代表は、それぞれが各集団の利益(≒基本的権利の保障)代表者でもあり、それぞれの利益がぶつかる場合もあるからだ。ちょうどベネズエラのチャベス政権というイメージだろうか。
これらを言い換えれば、デモクラシーとはすべての人がステイクホルダーとなり、それを通して自分たちの利益が保障されるしくみであり(これがすなわちデモクラシーの意義でもある)、そのために代表者を選んで、自分たちの利益を保障してもらうシステムである。
だからこそ2人の著者が言うように、自分たちの利益を保障してもらうためにも、デモクラシーに参加しなければならないだろう。 -
デモクラシーが向かっていくべき方向はどこか。